四十七 王になる
シーラムの次期女王の結婚相手が決まった頃、マレの第二王子は、一通の手紙を受け取っていた。
屋外で手紙を読み終えたシュツェルツは、先程まで剣術の稽古をつけてくれていたエリファレットに目を向けた。
「今日の稽古は、またあとでしよう」
「御意。殿下がそう仰せならば」
暗殺騒ぎのあと、父王は一応、追加の護衛をよこしてきたので、エリファレットもシュツェルツを教える余裕ができたのだ。
動きやすい服装に身を包んだシュツェルツは、騎士から差し出されたタオルで汗を拭うと、再びエリファレットに声をかけた。
「アウリールの部屋にいくよ」
「かしこまりました」
エリファレットが気遣わしげな視線を送ってくる。手紙の内容と、文面を読んだシュツェルツの心情が気になるのだろう。
シュツェルツは護衛騎士たちを引き連れて学院寮に戻ると、アウリールの部屋へ向かった。深呼吸をして扉をノックをすると、「どうぞ」という、聞き慣れたアウリールの声がしたので、少し安堵する。
扉を開くと、ついてきた新入りの護衛騎士たちが中に入ってこようとした。シュツェルツは彼らのほうを振り向く。
「ついてくるのはエリファレットだけで良い。大切な話がある」
騎士たちがぴしっと礼を執り、立ち止まったので、シュツェルツはエリファレットを連れて入室した。
アウリールはシュツェルツを見ると、立ち上がろうとする。
「座ったままでいいよ。僕が向かいに座るから」
チェス盤が置かれた丸テーブルを挟んで、シュツェルツとアウリールは向かい合った。傍らには、エリファレットがたたずむ。
「父上から返事がきた。君にも読んで欲しい」
シュツェルツは父王からの手紙を、アウリールに向けて差し出した。受け取ったアウリールは、手紙を開き、無言で読み始める。
最後まで読み終えたアウリールは、手紙を元の折り畳まれた状態に戻し、シュツェルツに返した。
「……国王陛下は、殿下が直ちに帰国されることを、お望みなのですね」
シュツェルツは頷いた。手紙にはこう書かれていたのだ。――宮廷の情勢が落ち着いたので、帰ってこい、と。
暗殺未遂事件のあと、シーラムは王太子派の暗殺者をマレに送り返した。彼らの身柄を利用して、父王は王太子派を掣肘し、弱体化させることに成功したのだという。
つまりは、帰国したシュツェルツが暗殺される可能性は、限りなくゼロに近づいたというわけだ。
アウリールは、若草色の瞳に真摯な光を宿し、シュツェルツを見据えた。
「殿下のご意思をお聞きする前に、ひとつ、申し上げておきたいことがございます」
ただならぬアウリールの様子に、シュツェルツは不安になった。だが、これは信頼する侍医の言葉だと思い直す。シュツェルツもまた、真剣な顔で尋ねた。
「それは、何?」
「この手紙には書かれておりませんが、文面から読み取れることがひとつございます。……シュツェルツ殿下、あなたは、王太子になられる覚悟はございますか?」
それは、予想もしていなかった答えだった。アウリールの目はまじめそのもので、冗談を言っているようには、とても見えない。
「……え?」
シュツェルツは、そう問い返すことしかできなかった。
「おそらく、王太子殿下のご病状が優れないのでしょう。それゆえ、国王陛下は、王太子殿下に見切りをつけられたのだと思われます。元々、わたしの見立てでも、王太子殿下は二十歳まではとても――」
「そんなこと、聞きたくない!」
シュツェルツは、思わず叫んでいた。嫌いだったはずの兄が余命幾何もないと告げられ、初めて心が乱された。
「……兄上がもうすぐ死ぬから、代わりに父上は僕を王太子にしようとしているってこと? 無理だよ。僕に王太子なんて務まるわけがないよ……」
ずっと不安だった。両親に顧みられず、命を狙われ、異国での生活を余儀なくされた。
けれど、マルヴィナに出会い、みんなに受け入れられてからは、毎日が楽しかったのだ。
それなのに、勝手な都合で呼び戻され、王太子にされようとしている……。
不安定な己の運命が、シュツェルツは恐ろしかった。
弱音を吐くシュツェルツを、アウリールは沈痛な面持ちでじっと見つめていたが、やがて口を開いた。
「殿下……わたしは以前から、あなたが兄君より遅く生まれたというだけで、なぜ王太子になれないのだろう、とずっと歯痒く思っておりました。あなたほど聡明な方は、同年代の少年を見渡しても、めったにおいでにならないのに。
……わたしは、あなたが王になることこそが、マレにとっての唯一の希望だとさえ思っております」
アウリールの表情には、苦渋が滲んでいた。
(ああ、そうか)
シュツェルツは悟った。
国王に恋人を理不尽に奪われたアウリールにとって、次期国王になれる可能性のあるシュツェルツの存在は、唯一の希望であり、救いだったのだ。
だからこそ、シュツェルツを苦しめることになったとしても、王になって欲しいという願いを、口に出さずにはいられなかったのだろう。
だが、それを押しつけだとは思わない。アウリールは、それだけのものを自分に与えてくれた。
シュツェルツの傍らに立っていたエリファレットが、初めて発言した。
「殿下、差し出がましいことを申し上げますが、わたしもアウリールと同じ気持ちです」
アウリールとエリファレット。信頼する二人から言葉を受け取り、シュツェルツの胸に静けさが満ちた。不思議なことに、高揚ではなく静けさだった。この二人に望まれているのなら、自分は王になるべきだ、と思った。
思えば、自分にはやるべきことがあった。マレから理不尽を少しでもなくす、という理想を実現させることだ。今まで考えたこともなかったが、そのためには、王になったほうが手っ取り早いのだ。
そもそも、シュツェルツがそう志すようになったきっかけは、ベアトリーセだ。死んだ人間の価値を、生き残った人間が決めるのだとすれば、自分が善き王となることで、ベアトリーセと――生まれてこられなかった弟の命を、意味のあるものにできるかもしれない。
そうだ。何を迷うことがあるのだろう。王太子にされる、と聞いて取り乱した自分を、シュツェルツは恥じた。
シュツェルツは立ち上がり、アウリールとエリファレットの目を見てから言った。
「……分かった。君たちが望むなら、僕は王太子になり、いずれ必ず王となろう。――これからも、僕についてきてくれるか?」
アウリールが立ち上がり、絨毯の上にひざまずく。
「はい。これからも、殿下のお傍にお仕えさせていただきます」
エリファレットも、友であるアウリールの隣にひざまずく。
「身命を賭して、殿下にお仕えさせていただきます」
シュツェルツは、二人の手を取って、立ち上がるように促した。まだ二人しかいない味方が、この上なく頼もしかった。
ふと、シュツェルツはマルヴィナのことを思った。自分と会う前から、既に女王になる覚悟を決めていた彼女のことを。
きっと、マルヴィナは果断な女王になることだろう。
(僕も、負けていられないな)
眩しさを覚えたあとで、シュツェルツはマルヴィナと別れなければならないことに思い至り、胸が締めつけられた。
(友達でもいい。マルヴィの傍にいたい……)
だが、自分は決心したのだ。シュツェルツは拳を固く握り締め、改めて二人の腹心を見やった。




