四十六 帰還
まだ冬の寒さの残る――しかし、晴れ渡り、雲の少ない三月半ばの日曜日に、マルヴィナは再び、ラトーンの土を踏んだ。
「もうすぐ始まる春期休暇のあとに戻られては?」と周囲からは言われていたのだが、マルヴィナは一刻も早く、ラトーンに帰りたかったのだ。
離れのポーチに止まった馬車から、従僕に手を取られて降りると、目の前に、フィラスとセオンが立っていた。
「二人とも、どうしてここにいるの?」
マルヴィナが驚きを口にすると、セオンが笑って応じた。
「今回のお戻りは、前もって知らせが届きましたから。フィラスにお手紙を出されたでしょう?」
「あ、そうだったわね。それにしても、わざわざ待っていてくれるなんて、嬉しいわ」
マルヴィナが笑顔を向けると、フィラスが姿勢を正した。
「女公殿下、お待ちしておりました」
馬車からラティーシャとドゥーガルドが降りてくる。セオンが真っ先にラティーシャと目を合わせたのを、マルヴィナは見逃さない。
フィラスはしかめっ面、セオンは感じの良い笑顔。久し振りに会うアスフォデル兄弟は、マルヴィナのよく知る二人だ。
だが、その二人の常日頃の表情は、最後に馬車から降りてきた、たった一人の人物によって、崩れ去った。
最初に驚愕から立ち直ったセオンが、若干上擦った声を上げる。
「父上!?」
そう、マルヴィナと一緒に馬車に乗ってきたのは、他ならぬシーラム宰相、ユリーズ・アスフォデルだったのである。
*
一同は、離れの居間に集まり、それぞれソファーに腰かけた。ラティーシャだけはセオンに手伝ってもらい、荷物から茶葉を取り出して、お茶を淹れている。
「……何のご用ですか? 父上」
フィラスが眉間に皺を寄せて尋ねた。
そう、ラトーンに戻る許可が出た時に、クレメントが出した条件が、「ユリーズを連れていく」というものだったのである。
仕方なくマルヴィナが頷くと、なぜかドゥーガルドまでついてくることになっていた。
どうやら、二人が同行したのは、カミーリア校長を慰留するためらしいが、何か裏があるのでは、と、マルヴィナは勘ぐっている。
ユリーズは、ゆっくりと口火を切った。
「校長を慰留するためだ。……と、言いたいところだが、もうひとつ用事がある。手短に訊こう。フィラス、お前は結婚する気があるか?」
「は!?」
「結婚する気があるのか、と訊いている」
「それは、いずれ……」
フィラスは一瞬、マルヴィナを見た。結婚するなら自分と、と思ってくれているのだろうか。マルヴィナが胸をときめかせていると、ユリーズがとんでもないことを口にした。
「女公殿下、ご結婚相手にフィラスはいかがでしょう」
「え? え!?」
慌てるマルヴィナを前に、ユリーズはさらなる爆弾発言をする。
「女公殿下は、以前、フィラスを好いているとおっしゃいましたね。お気持ちは、あの時と変わりはございませんか?」
マルヴィナは、ちらちらとフィラスに目をやりつつ、正直に告白する。
「……はい、変わっておりません」
「では、問題ございませんね。フィラス、お前も異存はないな」
「あるに決まっているでしょう!」
ついにフィラスが叫んだ。
「神聖な結婚を、こんな風にみなの目があるところで勝手に決めようとして! 何を考えているんですか、あなたは!」
「ふむ。お前も殿下を好いていると聞いていたが……不服か?」
「そういう問題ではありません!」
「では、殿下のことが嫌いか?」
「……それは……好きです」
顔を真っ赤にして答えたあとで、フィラスはユリーズを睨んだ。
「ですが、わたしは、家のために結婚する気はありません!」
「わたしは、家のために結婚しろなどとは、一言も言っていないが」
ユリーズは呆れたように、かぶりを振った。
「政略的なものは、この結婚には、ほとんど求めていない。お前は次男だし、殿下の即位に反対する者は、今や風前の灯火だ。適当な家柄の者なら、あとで叙爵するなりして、どうとでもなる」
フィラスはサファイア色の目を、まんまるに見開いた。
「……では、たとえ一介の騎士でも、殿下と結婚できると?」
「そうだ。お前も殿下も、好きな相手と結婚すれば良い」
フィラスは信じられないものを見るような目で、ユリーズを見つめていたが、やがて、恐る恐るといった風に口を開く。
「父上は、なぜ、そのようなことを……?」
ユリーズは答えようとしない。痺れを切らしたのか、ドゥーガルドが初めて発言した。
「父親だから、に決まっているだろう。俺はマルヴィには、好きな相手と結婚して欲しい。アスフォデルも、同じ気持ちなんだよ」
叔父は口では色々言いながらも、そんなことを考えてくれていたのだ。マルヴィナがじーんとしていると、フィラスが狼狽えたように隣に座るセオンを見た。セオンは苦笑しながら、フィラスの肩をぽんと叩いた。
「フィラス、父上は、昔と何ひとつ変わっていないよ。だってそうだろう? 世間で言われているような冷酷な人間を、母上が好きになるはずがない」
「兄上……」
フィラスの目が潤んだ。マルヴィナはその光景を温かい気持ちで見守る。と、ユリーズが何とも形容しがたい表情で口を挟む。
「セオン、それは言い過ぎだ。わたしはあの事件が原因で、だいぶ変わったという自覚がある。――だが、お前たちを思う気持ちだけは、変わっていないつもりだ」
何と、ユリーズが照れたように咳払いをした。
「決まっていたこととはいえ、事件のあと、お前たちを追い立てるようにラトーンに入学させて……すまなかった」
「父上……」
フィラスは泣き出しそうな顔をしている。ユリーズが諭すように言った。
「フィラス、女公殿下は危なかっしい方だということが分かったからな。お前が傍で守ってやれ。間違っても、アイオネの二の舞にはするな」
「はい……」
フィラスは深く頷いた。彼は、反発しながらも、ずっと父親にああ言って欲しかったのだろう。見ているマルヴィナまで、何だか泣きそうになってしまう。
フィラスは目元を拭うと、立ち上がり、マルヴィナの前に進み出た。それから、しなやかな動作で片膝を突く。
「女公殿下――いえ、マルヴィナ。わたしと、結婚していただけますか?」
マルヴィナも立ち上がり、しっかりとフィラスの瞳を見つめ返した。
「はい。喜んでお受けします」
その場にいた一同が歓喜にざわめいた。ラティーシャなどは、感極まったらしく、涙ぐんでいる。
口さがない者は言うだろう。ユリーズは己の権勢を維持するために、子息をレオニス女公と結婚させた、と。だが、今ここにいる面々にとっては、そんなことはどうでも良い些末なことであった。
「あ、言い忘れていたが、結婚はマルヴィが卒業してからだぞ。それまでは、色々と慎むように」
ドゥーガルドが、さっそくフィラスに注意した。マルヴィナとフィラスは顔を見合わせたあとで、頬を染めると、異口同音に「は、はい!」と答えたのだった。




