二十一 ハープシコードの音色
シュツェルツには、歓迎会のあとで逆に謝られた。
「ごめんね、マルヴィ。僕と友達になれば箔がつく、なんて言っておきながら、あんな事態を招いちゃって。しかも、君は止めようとしてくれたのに……」
マルヴィナは首を横に振った。
「いいえ。これからは気をつければいいだけの話よ。ルズ、これからも、わたしのお友達でいてね」
シュツェルツは、ほほえんで頷いた。彼とフィラスの仲は、あの事件をきっかけに、ほんの少しだけ良くなったような気がする。その変化がマルヴィナには嬉しい。
収穫はもうひとつあった。セオンとフィラスの幼なじみである、イーニアス・スピリアンという少年と知り合えたのだ。
彼は双子の昔話をしてくれたのだが、その中でも、特にマルヴィナの心に引っかかったことがある。昔のフィラスは今のように無口ではなく、快活な少年だったというのだ。
しかし、なぜ彼の性格が変わってしまったのかを訊くと、フィラスから距離を取って話していたにもかかわらず、スピリアンは言葉を濁し、マルヴィナもそれ以上の追及はできなかった。
これで、双子のどちらが初恋の君なのかは、ますます分からなくなってしまった。
(でも、もうひとつ、気になることができちゃったわ)
フィラスの過去に、一体何があったのだろうか。そのもやもやした気持ちは、ふとした拍子に、マルヴィナの心に蘇るのだった。
*
入学してから四日目。マルヴィナにとって最初の音楽の授業が終わった。
ラトーンでは、音楽は選択科目だ。マルヴィナはリュートを嗜んでおり、歌うのも好きなので、この授業を受けることに決めたのだった。
音楽のあとは自由時間だ。生徒たちは談笑しながら、あるいは黙々と、それぞれ思い思いの場所に散っていった。
マルヴィナもいったんは音楽室の外に出たのだが、足を止めた。
ハープシコードの音色が音楽室から流れてきたからだ。しかも、その音は複雑で、流麗ですらあった。
誰が弾いているのだろう。マルヴィナは踵を返した。
再び室内に入ると、フィラスがハープシコードを弾いていた。彼も音楽の授業を受けており、先程は音楽教師に何やら質問をしていた。そのため、邪魔をしては悪いと思い、マルヴィナは話しかけなかったのだ。
だが、驚いた。フィラスは授業中、音楽の理論について教師に質問し、ノートを取っていただけで、楽器には全く触れていなかったからだ。
マルヴィナは音楽室の入口付近で、フィラスの演奏する曲にじっと耳を傾けた。目を閉じて聴くと、彼の奏でる曲は繊細で、夜空にきらめく星々のように静謐な美しさがあった。
やがて、静かな余韻とともに曲は終わった。
この完璧な静寂を壊してしまうことを一瞬ためらったあとで、マルヴィナは拍手を送った。フィラスは既に気づいていたのか、驚きもせずにこちらを見た。
マルヴィナは、ハープシコードの前に座るフィラスに近づいていく。
「素晴らしいわ。何ていう曲?」
たっぷり時間を置いたあとで、フィラスはぼそりと答えた。
「……あれは、わたしの自作です」
「え!? あの曲、フィラスが作曲したの? すごい!」
「大げさな……。思いついたものがようやく形になったので、試しに弾いてみただけですよ。ですから、まだまだ音が甘い。もっと試行錯誤してみるか、先生に教えを乞う必要がありそうです」
それで、さっき、音楽教師に質問をしていたのか。ものすごく真剣な顔をしていたから、何事かと思った。
「あれで試し弾きなの? 演奏も上手だし、まるで宮廷音楽家みたい。フィラスにこんな才能があるなんて知らなかったわ」
フィラスは皮肉っぽく笑った。
「ラトーンでは、芸術の才能はさほど重要視されませんから」
「でも、フィラスはそれでも音楽を続けているんでしょう。周りから褒めそやされなくても、好きなことを続けているって、すごいことだと思うわ。それに、まだ未完成かもしれないけれど、わたしは好きよ、あの曲」
マルヴィナが熱心に告げると、フィラスはわずかに目をみはった。
「――殿下は、やはり女性ですね。昔、わたしの演奏する音楽が好きだと、最初に言ってくれたのも母でした」
家族の話題が苦手だと言っていたフィラスが、初めて母親の話をしてくれた。その事実にマルヴィナは目をしばたたいた。
フィラスは怪訝そうな顔をする。
「……殿下、わたしは何か妙なことを申しましたか?」
マルヴィナは慌てて首を振る。
「あ、違うの。……ただ、またあなたの演奏が聴きたいな、と思って」
「それでしたら、構いませんが」
「本当!? フィラスはヴァイオリンは弾ける?」
「一応、弾けますが……ご所望なら、今から弾きましょうか?」
フィラスは立ち上がり、音楽室に置いてあるヴァイオリンケースを手に取った。
「嬉しいわ。さっそく演奏してくれるなんて」
お世辞ではなく、マルヴィナは心の底から喜んでいた。あの無愛想なフィラスが、自分だけのために、曲を演奏してくれるというのだ。まるで雲の上にでもいるかのような、ふわふわとした心地がする。
あとで気づいたのだが、マルヴィナはフィラスを前にしていたのに、初恋の君のことをすっかり忘れていた。
そんなことがなぜ起こったのか、マルヴィナが知るのは、まだまだ先のことになる。




