十七 情報収集
「お嬢さま、お嬢さま! 起きて下さいまし!」
ラティーシャの声で、マルヴィナは目覚めた。束の間、ここがどこだか分からずに、ぼーっとした頭を巡らす。
数秒後、ここが寮の離れであることを思い出し、青くなってラティーシャに尋ねる。
「え!? もしかして遅刻?」
入学二日目で遅刻では、レオニス女公として格好がつかない。
ラティーシャは首を横に振った。
「いいえ。そうならないように、少し早めにお起こし致しました。さ、お召し替えをお手伝い致しましょう」
ラティーシャは、どこまでもできる侍女であった。
着替え終わって、髪を編んでもらったマルヴィナは、部屋に設えられていた姿見に、全身を映してみる。
ラトーンでは街に出かける時に着ていくというガウン以外に制服はないので、生徒はそれぞれ思い思いの服装をしている。
動きやすい服装といえばズボンだが、それはゲームズの時にはくとして、マルヴィナは普段着として身に着けている、襟元にリボンをあしらったドレスを選んだ。
双子のどちらかが初恋の君である以上、身だしなみには気をつけなければ。
まあ、そういう事情がなくても、レオニス女公として、あまりだらしない服装はできないのだが。
「十分お綺麗ですよ、お嬢さま」
ラティーシャにそう言われたあとも、姿見の前で睨めっこをしていると、ノッカーの音が響いた。
応対に出たラティーシャが、慌てて戻ってくる。
「お嬢さま、マレの王子殿下と名乗る方がお待ちです」
「え、シュツェルツ殿下が?」
マルヴィナは小走りで部屋を出た。狭い玄関に、シュツェルツが立っている。
「おはよう、マルヴィ。今日も可愛いね」
「おはよう。だけど、どうしたの? ルズ」
シュツェルツの台詞の後半を流し、マルヴィナは小首を傾げた。シュツェルツは輝くような笑顔を不服そうな表情に変える。
「酷いなあ。僕はせっかくできた友達を迎えにきたんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。そのために早起きしたんだから。さあ、一緒に食堂にいこう、マルヴィ」
「ええ、いいわよ。何だか悪いわね」
断る理由もないので、マルヴィナは頷いた。友達と一緒に登校――学校生活を送っている感じがして、うきうきする。
だが、何かを忘れているような気がする。何だろう?
あとで思い出すことにして、マルヴィナはラティーシャを振り返る。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃいませ。お嬢さま」
ラティーシャに送り出され、マルヴィナはシュツェルツとともに離れを出発した。
「それにしても、よくこの場所が分かったわね」
マルヴィナが疑問に思っていたことを口に出すと、隣に並んだシュツェルツは得意そうな笑みを浮かべた。
「だって、ラトーンの敷地内を案内された時、この離れも紹介されたもの。僕にとっても高祖母に当たる女王陛下が、寝起きされていたんでしょ?」
「ええ、そうよ。なかなか居心地がいいわ」
「僕の部屋も、狭いけどまあまあだね。大部屋で眠るなんて、考えただけでぞっとするよ。ところで、さっきの赤毛の娘、マルヴィの侍女? すらっとしていて、なかなか綺麗だね」
シュツェルツがさっそくそう評したので、マルヴィナは釘を刺しておくことにした。
「ルズ、ラティーシャを口説いちゃダメよ。彼女はわたしの姉妹同然だし、ちゃんと意中の人がいるんですからね」
「へえ。安心してよ、そんなことしないから。僕、好きな相手がいる人には、声はかけない主義なんだ。初めから負けが決まっている戦はしないのさ」
それならどうして、マルヴィナのことはやたら褒めるのだろう。
(あ、初恋の君の話をしていないからかも)
初恋の君といえば、アスフォデル兄弟である。
(ん? セオンとフィラス……何か思い出せそうな気が――まあ、いいか)
マルヴィナは思い切って、二人のことを訊いてみることにした。
「ねえ、ルズ。セオンとフィラスのことなんだけど」
並んで歩いていたシュツェルツが、目で話の続きを促した。
「二人はわたしのお世話係を引き受けてくれたのに、わたし、まだ彼らについてよく知らなくて。だから、あなたに彼らのことを教えて欲しいの」
どうにか不自然にならないように話を切り出せた。マルヴィナが内心で汗を拭っていると、シュツェルツはつまらなそうな表情をした。
「別にいいけど。……ただ、僕も彼らと親しいわけじゃないから、分かる範囲で話すことになるけど、それでいい?」
「もちろん」
「まず、セオンのことから話すよ。マルヴィも知っているだろうけど、彼はジェニスタ氏寮の監督生で、勉強もスポーツも何でもできて人当たりもいい、言わば人格者だね。あ、僕はわざわざスポーツのことをゲームズって呼ぶのが嫌いだから、こう言わせてもらうよ」
「ええ、いいわよ」
それに関しては、マルヴィナも同感なので苦笑しただけだ。シュツェルツは続ける。
「僕がラトーンに入学したのは、一年の途中からなんだけど、その頃には、『ファグ』っていう制度があったんだ」
「何それ?」
「上級生が下級生をこき使う制度だよ。その代わり、上級生は下級生がいじめに遭わないように便宜を図るっていうね。僕は馬鹿馬鹿しい制度だと思っていたけど。セオンは、去年に監督生になってすぐ、それを廃止したんだよ。上級生による新たないじめの温床になっている可能性があるからってね。実際、セオンが監督生になってから、いじめが起きたっていう話は聞いていないな。まあ、見事なものだよ。彼は政治家向きだね」
セオンが政治家向き。そんなことを考えたこともなかったマルヴィナは、少し衝撃を受けた。さすがは宰相ユリーズの子息と言うべきか。
「じゃあ、フィラスは?」
「フィラスは、僕の所属している学院寮の監督生をしているんだけど、正直、セオンと取り替えて欲しいよ。すごく厳しい上に、態度も大きいし、人の顔を立てるってことを知らないんだから」
シュツェルツは顔をしかめている。話が逸れそうなので、マルヴィナは水を向ける。
「えーと、彼の評判は?」
「フィラスも、勉強はできるみたいだけど、際立っているのはスポーツの成績だね。昨日も馬上槍試合で勝っていたでしょ? ラトーンはスポーツ馬鹿が多いから、彼の人気は絶大だよ。フィラスはセオンと違って軍人向きだね。指揮能力も高いし、人を従わせる力もある。僕の騎士とも気が合うみたいだ」
シュツェルツはそう言って、ちらりとうしろを振り返った。
シュツェルツから距離を置くようにして、一人の騎士がうしろからついてくる。短いホワイトブロンドの髪に、鮮やかな青い瞳を持つ、整った顔立ちの二十代前半の男性だが、顔つきに、何としてでも主君をお守りするのだという思いが前面に出過ぎていて、ただならぬ気配を発している。
マルヴィナを護衛するため、彼とは線対称に移動しているアレクシスも、ちょっと引き気味のように感じている――ような気がする。
事務的な嫌いがあるフィラスと、なぜ気が合うのかは不思議だが、武人気質を持つ者同士、通じ合うものがあるのかもしれない。
そういえば、フィラスは近衛騎士志望だと言っていた。
近衛騎士と言えば、シーラムでは天馬騎士団だ。騎士の中でも、エリート中のエリートしかなれないと言われているけれど、ひょっとしてラトーンには天馬騎士団の志望者も多いのだろうか。
「……で、マルヴィは、双子のどちらに興味があるわけ?」
シュツェルツの口から突如として発せられた言葉に、マルヴィナは「へ!?」と変な声を上げてしまった。
「興味だなんて――彼らとは友達になりたいだけで、それ以上の意味はないわよ」
「嘘だあ。ここは男子ばっかりだけどさ、もしも女子がいたら、双子にどんな反応をするか、僕には分かるよ。ねえ、白状してみたら?」
シュツェルツは追及の手を緩めない。賢い彼にこれ以上隠しても無駄だと悟ったマルヴィナは、意を決して白状することにした。
「……あのね、昔、王宮で叔父とはぐれた時に、優しくしてくれた男の子がいたの。わたし、その子の名前すら知らなかったのだけど、昨日、偶然、彼と会ったの」
「へーえ。うん? 今、『名前すら知らなかった』って言った?」
「言ったわ」
マルヴィナが悲壮な顔で頷くと、シュツェルツは気の毒そうな顔でこちらを見た。
「……なるほどねえ。その子が、双子のどちらか分からなくて、困っている、と」
やはりシュツェルツは聡明だ。これだけの話で、マルヴィナが今置かれている状況を全て把握してしまうとは。
「ねえ、ルズ、セオンとフィラスのどちらが、その子だと思う?」
「僕に分かるわけないでしょ、そんなこと。君にだって分からないのにさ。……まあ、見ず知らずの女の子に親切にしそうなのは、セオンだとは思うけどね」
「だよねえ……」
マルヴィナはため息をついた。
話に夢中になっていたマルヴィナは、その時、初めて向こうから歩いてくる二人の人影に気づいた。
セオンとフィラスである。
(――あ、しまった)
昨夜、二人が朝に迎えにくると言っていたことを、マルヴィナはようやく思い出した。
注意して見ると、マルヴィナの隣を歩くシュツェルツに、フィラスがものすごく険悪な視線を送っている。
状況は最悪だ。




