残された妹は兄と姉を偲ぶ (サトコ)
アキートの妹、聡子の話です。
「おにいちゃん、きょうもおそとにつれてってくれる?」
「いいよ。よしっ、サト、じゃあ行くかっ!」
「うんっ! きょうはなにするの? あっ! まってー」
明人お兄ちゃんはスニーカーに足を突っ込むとすぐに玄関から駆け出していっちゃうんだよね。
置いていかれないように一生懸命追いかけたんだよ。
何回も転びそうになったんだから。
お兄ちゃんは優しいけど、そういう所は気が利かなかいのよねぇ。
でも、小さい頃からお兄ちゃんと一緒にいるのが楽しくてしかたなかったんだ。
まだ外で遊べない頃は、部屋で積み木をして遊んでくれたり、私を笑わせようと変な顔をしたり、頭をなでてくれたのを、ちゃーんと覚えてる。
お母さんから外で遊んでもいいって言われたときは、お兄ちゃんについて行けるってすっごくうれしかった。
「今日はサトに友だちをしょうかいしてやるから」
「しょーかいってなあに? ともだち?」
「いっしょにあそぶやつのこと。3人でこうえんに行こう」
そう言ってお兄ちゃんは真綾子お姉ちゃんが待っているところに私を連れていってくれたの。
遠くで立っている真綾子お姉ちゃんはお人形さんみたいに見えたけど、お兄ちゃんを見つけるとぱぁっと笑顔になって、なんだか私も嬉しくなっちゃった。
それからだよね。
私がお兄ちゃんと真綾子お姉ちゃんの二人と一緒に遊ぶようになったのは。
◇
真綾子お姉ちゃんはお兄ちゃんが目の前にいない時を見計らって、私に何度も同じ事を聞いてきたっけ。
今になって思えばだけど、真綾子お姉ちゃんは自分の能力がすごく嫌いだったんだね。
「サトちゃんは私が怖くない? 私はサトちゃんが考えていることがわかっちゃうんだよ? サトちゃんがこっそり私のことを『嫌い』って思っててもわかっちゃうの。どう? 怖いでしょ?」
「ううん、ぜんぜーん。マヤちゃんのこともスキー」
はじめはよくわからなくて、そんな返事をしてたんじゃないかなぁ。
でも、「真綾子お姉ちゃんはお兄ちゃんのことが女の子として好きなんだ」ってわかるくらいに私が大きくなった後も、ずっと同じ事を聞いてくるんだもん。
「真綾子お姉ちゃん、また?」
「だって普通は怖がるものよ。不思議なの」
思わず笑っちゃった。
だって、お互い様じゃない。
真綾子お姉ちゃんと遊ぶときにはいつもお兄ちゃんが一緒で、お兄ちゃんと一緒なら真綾子お姉ちゃんってすっごくわかりやすいんだから。
お兄ちゃんの言葉が嬉しくてにっこりしたり、からかわれてふくれっ面になったり、ちょっと喧嘩して泣きそうだったり。
お兄ちゃんがいれば真綾子お姉ちゃんの考えていることなんて私にはお見通しなんだから、私だって真綾子お姉ちゃんの心がわかるようなものでしょ?
それに……、お兄ちゃんが真綾子お姉ちゃんの事を怖がらないのはちっとも不思議だと思ってないくせに。
口には出さなかったけど、そう考えながらちょっとイジワルな目で見たときの真綾子お姉ちゃんの顔ったら。
「うぅー」
変なうなり声を出しながら真っ赤になってて、それからこっちへ走ってくるお兄ちゃんの方をチラッと見て、もっと赤くなってうつむいてるんだもん。
もう! かわいいんだから、真綾子お姉ちゃんってば!
◇
そんなふうに育ったから、真綾子お姉ちゃんのことを怖いなんて思ったことはなかったよ。
中学生になった頃には、真綾子お姉ちゃんの能力ってアニメに出てくるようなすごいやつよねぇって思ったけど、私にとっては今さらだったし、そんなことよりも私には大問題が発生しちゃってたし。
お兄ちゃんとうまく話せなくなっちゃったことだよ!
お兄ちゃんが中学校に行く少し前くらいから、私たち3人で遊ぶことはほとんどなくなったでしょ?
私や真綾子お姉ちゃんと遊ぶより、お兄ちゃんは同じ歳くらいの男の子達と走り回ったりゲームをしたりする事の方のが多くなったよね。
でも、家ではそれまで通りに話をしたり一緒にテレビを見たりしてたんだよ、私。
それなのに、今度は中学生になった私のほうが家でもお兄ちゃんと話せなくなっちゃった。
なんとなく恥ずかしいの。
それに、なんかイラっとすることがあって、お兄ちゃんに嫌なことを言っちゃいそうだって気づいたら、もう話せなくなってた。
「サト、中学校どう? 部活なにかすることにした?」
「なぁサト、今日晩メシ残してたけどどうかした? 体調悪い?」
「ただいまー。おっ、サトも期末試験か? 結構大変だろ?」
お兄ちゃんはいつもそんなふうに話しかけてくれるのに……。
うれしいんだよ。
でも。
「お兄ちゃんには関係ないでしょ。私部屋に戻る」
そうやっていっつも素っ気なくしちゃうの。
……もうやだよ、こんなの。
それとなくお母さんに相談してみたこともあるんだよ。
「あら、あんたのは明人に向かったのね。反抗期なんてそんなものよ。あんたが高校生になる頃か、遅くとも大学生になる頃には元に戻るから、心配ないない」
ケラケラ笑うお母さんから返ってきたのはそんな言葉で、もうねえ、ガックリきたよ。
大人なんだからもっとちゃんとした解決法を教えてよ。
そんなに長い間お兄ちゃんと今の状態が続くなんて、イヤ!
だったら自分から普通に話せばいいって話だけど、それができないから困ってるのに。
それでね、真綾子お姉ちゃんに相談することにしたの。
3人で遊ばなくなってからも、真綾子お姉ちゃんとは会えば立ち話もするし、中学校のことを電話で相談したりすることもあったでしょう?
でも……、はじめは真綾子お姉ちゃんに相談するのは正直気後れするなぁって。
だってお兄ちゃんのことが大好きな真綾子お姉ちゃんに、お兄ちゃんのことを家で邪険にしてますって言わなきゃいけないんだよ?
結構ハードル高いーって思うのが普通じゃない?
お兄ちゃんが真綾子お姉ちゃんのことをどう思ってるのかは、今はほとんど真綾子お姉ちゃんのことを話題に出さないから、よくわかんない。
そっちは真綾子お姉ちゃんの方が詳しいはずよね。
でも、真綾子お姉ちゃんがお兄ちゃんを大好きって気持ちに変わりがないことは、もちろん知ってたよ。
ときどき会って話をする時の真綾子お姉ちゃんの話題は100%お兄ちゃんについてだし。
それに、偶然を装ってお兄ちゃんと一緒に登校するために待ち伏せしている真綾子お姉ちゃんを何度も目撃してるんだもん。
わかりやすすぎるよ。
それと意外と行動派だよねぇ、真綾子お姉ちゃんって。
あーあ、好きの方向性は違うけど私だってお兄ちゃんのことが大好きなのに、どうして真綾子お姉ちゃんとこんなに差がついちゃったんだろう。
◇
「--というわけなんだけど」
「そう……。恥ずかしくてってところは私にもわかるけど、明人と話をしてイライラしてしまうってところは理解できないわ」
「うん、真綾子お姉ちゃんはそう言うだろうって思ってた」
「サトちゃんが明人を嫌っていないことはわかるわよ。そうね、もしかしたら身体的な理由もあるのかもね」
「身体的な理由?」
「生理の周期でホルモンのバランスが変わったりするそうよ。人によってはそれでイライラすることもあるって」
女の子どうしでも生理とかさらっと言われると照れちゃうよ、真綾子お姉ちゃん。
さすがは大人の余裕ってやつなのかな。
いやいや、真綾子お姉ちゃんもまだ大人じゃないし……、ってそんなことはどうでも良くって。
「でも、そういうふうにイラっとしちゃうのはお兄ちゃんにだけなんだよ。お父さんにもお母さんにもなにも感じないのに……」
「タイミングとか? あとはどんな内容で話しかけられるとそんな気持ちになるかを自分で整理してみるのもいいかしらね」
「タイミングと話の内容……かぁ」
「私も明人にさりげなく話を聞いておくわ。明人も戸惑ってるし」
そう言った真綾子お姉ちゃんは、私かお兄ちゃんにしかわからないくらいだろうけど、嬉しそうだったよね。
……私にはわかるのよ、真綾子お姉ちゃん。
その顔は私をダシにしてお兄ちゃんに話しかける機会をゲットできたって喜んでる顔でしょ。
そう思いながらジトッとした目で見ると、真綾子お姉ちゃんは「ン、ウンッ」って咳払いをしたけど、そんなタイミングで喉はイガイガしないと思う。
「とにかく、話を聞いておくわ」
「……よろしくお願いします」
私はお兄ちゃんと仲良しに戻れる手がかりがほしい。
真綾子お姉ちゃんはお兄ちゃんに自然に話しかけるチャンスをゲットできる。
ウィン-ウィンということにしておきます。
◇
……そんなことをしているうちに、あっという間にもう冬だよ。
あー、もー!
真綾子お姉ちゃんにも協力してもらって、いろいろ考えたんだけどやっぱりお兄ちゃんとはうまく話せないまま。
話してるうちに嫌な気持ちになって、お兄ちゃんに酷い事を言っちゃったらどうしよう。
そもそも何ヶ月もちゃんと話しもしない妹なんて、お兄ちゃんはとっくに愛想を尽かしていて、今さら仲良くしようなんて思ってないかも。
そんなことがぐるぐる頭の中を回って、どうしてもお兄ちゃんと話せないの。
なにか切っ掛けがあればいいのかな?
ちょうどバレンタインデーが近づいてきていて、学校の友だちは本命のチョコを渡すかどうかとか、渡す男の子がバッティングしないかどうかを探り合ってキャアキャア盛り上がってるみたい。
でも、私はお兄ちゃんとのことでそれどころじゃないよ。
そもそも好きな男の子なんていないしね。
友チョコをどうするかはこれからみんなと相談するけど、チョコをあげる男の子なんて……。
友チョコ……、男の子……。
そうだっ! お兄ちゃんにチョコレートをあげるのはどうかな?
兄チョコ? 妹チョコかな?
真綾子お姉ちゃんが渡すはずの本命チョコのインパクトが減っちゃうかもしれないけど、そこは許してくれるよね。
それで、今まで素っ気なくしてごめんねってお兄ちゃんに謝って、真綾子お姉ちゃんに本命チョコをもらったんでしょー? ってからかって、笑い合ったりして……。
うん、いいかも。
そうと決めたら、さっそくどんなチョコにするか考えなきゃ。
真綾子お姉ちゃんとも相談しないとダメよね。
ちゃんとグレードに差をつけないといけないだろうし。
がんばって手作りしてみよっかなぁ。
あっ、なんか楽しみになってきたかも。
お兄ちゃん、びっくりするかな?
喜んでくれるといいなぁ、喜んでくれるよね、にしししし。
今度こそ、きっとうまくいくよ!
◇
お兄ちゃんに、謝れなくなっちゃった。
雨でスリップしたトラックにはねられたって……。
たぶん川に飛ばされちゃって流されただろうって……。
どうして?
やっとまた前みたいに仲良くしようって……。
チョコレートももうできてたんだよ。
雨が止むまでは川の増水で捜索もできないって、なに?
どこかでお兄ちゃんが痛がってるかもしれないのに、探しにも行けないの?
私が自分で行こうとしたら、絶対に駄目だって、お父さんとお母さんに泣きながら止められたの。
お父さんとお母さんが泣くところなんてはじめて見ちゃった。
大人でも泣くんだね。
お兄ちゃん、痛いってどこかで泣いてないか心配だよ。
◇
「真綾子お姉ちゃん……」
病室で真綾子お姉ちゃんは点滴の管を腕につけてベッドでじっとしてた。
呼吸の補助をするマスクみたいなのがついた機械が、外されてベッドの横に置いてある。
眠ってるんだと思って近づいてみたら、真綾子お姉ちゃんはじっと天井を見つめてるのがわかった。
なにかを探すように。
……ううん、わかってる。
お兄ちゃんを探してるんだよね。
気づいたら、真綾子お姉ちゃんの腕にしがみついて泣いてた。
ごめんなさい。
お兄ちゃんと仲良くできなくて。
ごめんなさい。
お兄ちゃんを探しに行けなくて。
ごめんなさい。
お兄ちゃんにはもう会えないんだって思い込んでいて。
◇
なんかボーッとしているうちに、お兄ちゃんのお葬式は終わっちゃってた。
お母さんがお棺になにか入れてあげなさいって言うから、チョコレートを入れたの。
また新しいのを作らなくっちゃ。
学校に行くと友だちは心配そうに慰めてくれたけど、できればそっとしておいてくださいって思う。
だって慰められる理由がないんだから。
お兄ちゃんはきっと生きてる。
真綾子お姉ちゃんもそう思ってるんでしょ。
不思議な力を持つ真綾子お姉ちゃんが、今お兄ちゃんを探してくれてるのよね。
だから……。
どうか……どうかお兄ちゃんを見つけてください、お願いします。
……お願い……お願い……
◇
お兄ちゃんはまだ見つからないけど、あの日、真綾子お姉ちゃんははっきり言ってくれたよね。
お兄ちゃんは生きてるって。
お兄ちゃんの心を感じる事ができるようになったって。
よかったぁ。
よかったよぅ。
ありがとう、真綾子お姉ちゃん。
わ、私、また、お兄ちゃんに……。
お兄ちゃん…………。
◇
真綾子お姉ちゃんはお兄ちゃんが消えてしまってからずっと、遠くを見つめてお兄ちゃんを探し続けてくれていたよね。
今度はお兄ちゃんのいるところへ行くための練習をするって。
もちろん協力するよ。
ううん、手伝わせてください。
真綾子お姉ちゃんがお兄ちゃんのところへ行けば、お兄ちゃんは寂しくなくなるんでしょう?
◇
ずっと二人で練習してきたよね。
私は部屋で待っているだけだけど、いつも、がんばって、お兄ちゃんのところへ行けるようにがんばってって、祈りながら待ってたよ。
真綾子お姉ちゃんはすごい力を、テレポーテーションっていうのかな?、それを身につけて、お兄ちゃんの元へ向かうって……。
……でも、真綾子お姉ちゃんが行っちゃったら、私はひとりっきりになっちゃうんだよね。
ひとりになった私はどうしたらいいんだろう?
お兄ちゃんだけでなくて、真綾子お姉ちゃんまで……。
◇
「サトちゃん、じゃあ私行くね」
「真綾子お姉ちゃん……」
とうとうこの日が来たんだ。
「明人と一緒でなければ戻ってこないし、この力は二人には使えないと思う。だから、……元気でね」
「お兄ちゃんに会えたら……」
「わかってるよ。サトちゃんを悲しませたことをうんと叱っておくから」
「違うの! 真綾子お姉ちゃんにはわかってるはずでしょ……。私、……お兄ちゃんに謝りたい。お兄ちゃんは私のことを気にしてくれてたのに、ずっと仲良くできなかった……」
「大丈夫よ。明人は寂しがってたけど、サトちゃんのことを怒ってなんかいなかったから。兄離れしたんだなぁって笑ってたし」
「……私も、お兄ちゃんに、真綾子お姉ちゃんと一緒に行って、お兄ちゃんに会いたい!」
そうしないと……、真綾子お姉ちゃんが行っちゃったら、私はひとりぼっちになっちゃうよ?
お兄ちゃんも真綾子お姉ちゃんもいないで、ひとりっきりで、どうしたら……。
「ごめんね。わかってるでしょ。明人の所に行くのは私ひとりでないと無理なの。それにサトちゃんまでいなくなっちゃったら、おじさんとおばさんがもっと悲しんじゃうよ」
「それなら、お姉ちゃんだって!」
「私は大丈夫よ。お父さんもお母さんも私のことを怖がってるし、いなくなってもそんなに悲しまないわ。だから、サトちゃんにだけ教えてから行くの」
お姉ちゃんはわかってないよ!
お姉ちゃんがいなくなって悲しむのは、お姉ちゃんのお父さんとお母さんだけじゃないんだよ!
私だって!
ううん、私が!
……
…………でも、しかたないんだよね。
お兄ちゃん……。
「本当に……、行っちゃうのね」
「そうよ。やっと、やっと明人に会えるの! もう絶対に逃がさないわ! サトちゃんの分までべったりと張りついてやるから心配しないで!」
あははは……。
お兄ちゃんがうらやましいよ。
そこまで言ってくれる人に巡り会えたんだから。
だから……。
「…………お兄ちゃんのことをよろしくお願いします。元気でね、真綾子お姉ちゃん」
それから、お兄ちゃんに伝えてください。
お姉ちゃんのことをよろしくお願いします。
二人で幸せになってください。
「うん。さようなら、サトちゃん。あなたは私にとって明人の次に大切な人よ」
そう言って私を見たお姉ちゃんは、すばらしい笑顔を残して遠い世界に旅立っていきました。
最後まで明人お兄ちゃん一筋で、お姉ちゃんには本当に感心するよ。
私は……お兄ちゃんとお姉ちゃんのことを思ってあふれてくる涙を袖で拭きながら、……とりあえず、まだ温かいお姉ちゃんの服と下着を片付けることにしました。
◆
実の兄と、それに続いて姉と慕った人が遠い世界に旅立ってからもう半世紀以上が過ぎたでしょうか。
この世界に取り残された私ですが、兄の分も姉の分も懸命に生きてきたつもりです。
兄と姉の通った高校に進み、大学を出て就職し、結婚して子を産み育て上げました。
孫も生まれて立派に育ちつつあります。
もう、父や母に続いて夫も亡くなりました。
病床にある私の今際もすぐそこでしょう。
兄と姉のことを忘れたことはありませんが、忙しい毎日はあの頃の記憶に浸っていることを許してくれませんでした。
いつしか兄と姉の記憶は、遠いものになったと感じるようになっていました。
でも、今になってこうして日がな一日横になっていると、あの頃のことがより鮮明に思い出されるような気がします。
そういえば、父も母も亡くなる前にはよく兄の思い出話をして、笑っていたように思います。
兄はいつも笑顔を与えてくれる太陽のような存在で、こうして目をつぶっていると、今でも心の中で輝きを放ち続けているのです。
父にも母にも、それは同じだったのでしょう。
姉が旅立った後の周囲の騒ぎは、兄の時ほどではありませんでした。
でも、私の胸の内の喪失感は兄が消えてしまった時となんら変わらないものでした。
姉は、兄を失って千切れそうだった私の心を抱きしめ、励まし、希望を与えてくれた英雄のような人だったのです。
兄に続いてそんな姉も旅立ってしまった後の私は、自分をひとり取り残された存在だと感じました。
それでも、……姉は兄の元にたどり着いて二人が幸せになったのだと信じて、二人がこの世界でやり残したことを全て経験しようと生きてきました。
そんな私の人生ももうすぐ終わることでしょう。
私の旅立つ先は兄と姉のいる場所とは違うのかもしれませんが、いつかもう一度会って話ができる気がするのです。
兄はきっと「よくやった」と言ってくれると思います。
姉からは、兄が鈍感で苦労した、などと話が聞けるでしょう。
懐かしい夢を見たせいか、久しぶりに体の痛みを感じないで目覚めた朝、そんなことを考えながら私はゆっくりと過ごしていました。
心の中に今も良く憶える声が聞こえたのは、そんな時です。
「……トちゃん、サトちゃん、私よ、聞こえる?」
「……真綾子さんの、声? 私を、迎えに来てくれたのですか? 兄の元へ。……いいえ、そんなはずは。体の変調がとうとう幻聴を聞かせるようになったのかしら」
「なにを言っているの? 聞こえているのでしょう? 私よ、真綾子よ」
「ほ、本当に真綾子お姉ちゃん?」
「そう言っているでしょう。寝起きなの? まだボケるような歳じゃないでしょう?」
「い、いえ、もうそんな歳ですけれど……。ど、どうして今になって?」
「ようやく聞くだけじゃない双方向の力を会得したの。すごいでしょ? それよりも、サトちゃん、聞いてくれる?」
「は、はいっ! い、いえ、その……」
「あの人ったらね、ようやく子供ができたからって、私があちこちついてまわるのを禁止して屋敷に閉じ込めるのよ。大事にしろって。もちろん、子供と私を思ってくれるのは嬉しいけど、私には子供たちの声が聞こえるのっ! 危険はないって言っても聞いてくれないのよ!」
「……あの、真綾子お姉ちゃん。あの人というのは、兄の……、明人お兄ちゃんのことですか?」
「なに言ってるの? 当たり前じゃないの」
「こちらの世界では、もう、50年以上過ぎているのですけれど……」
「そうなの? おかしいわね? 私が渡ったときはそんなに時間のずれはなかったのに……。そんなことよりも聞いて! あの人、明人ったら私以外に6人もお嫁さんをもらっていて、20人も子供がいるのよ」
「そ、そんなことって……私の半生なのに……」
「それでね、私もがんばったんだけど、なかなかできなかったのよね。でも、ようやく授かったの! 一度に二人もよ! 10年もかかっちゃったわ。それなのに、こっちの世界では双子以上の多産はありえないから、変な宗教に目をつけられないように身を隠せって言うのよ。失礼よね!?」
「あ、あの、真綾子お姉ちゃん……、なんか性格が変わってませんか? もっと物静かな感じの人だったんじゃ……。それとも私の記憶が……?」
「あっ、あっ、明人が帰ってきた! 力を使ってることがばれたら怒られちゃうわ。じゃあ、またね。また連絡するから。そのうち明人とも話せるように研究してみるから」
「は、はい、待っています。……待っています、いつまでも」
「そうだっ! ねぇサトちゃん、今幸せ?」
「っ! 幸せです! し、幸せに……お姉ちゃん……あ、ありがとう……」
「そう、よかったわ。私もよ。明人にも伝えておくわね。じゃあ、次に連絡するのを待ってて」
「……っ、はいっ! はいっ!」
そうして病床で舞い降りた望んで止まなかった声は、聞こえはじめた時と同様に唐突に終わったのです。
姉の声には、私の記憶にはない溌剌さがにじんでいました。
姉の声が聞こえなくなった後も、内容がくり返し頭の中に蘇ります。
姉が世界を渡った結果が、意味が、じわじわと心の中に拡がっていくようです。
私は伝わり落ちる涙をぬぐうことなく、幸せに満ちた心で強く思いました。
もっと長生きをしましょう。
お読みいただき、ありがとうございました。




