LAST
一週間なんてあっと言う間だった。
日に日に吐き気は強くなっていき、私はバイト中も何度も吐くようになった。
金曜日の夜、勇太に来るように言ったけど、結局あいつは来なかった。
というか、妊娠を伝えてから、パッタリと連絡も途絶えてしまった。
まあ勇太だからそういう最低なところは大体予測できていたし、大した怒りも感じなかったけど。
ただサインと印鑑だけなんとかしなくちゃと思い、近所の百円均一の店に閉店ギリギリに駆け込んで、「松木」と彫られたシャチハタを買い、サインは両者とも私が書いた。
土曜日の朝、手術は十時半からの予定なので、十時にクリニックに来るように言われていた。
私は九時半に家を出る予定にして、今は手術に必要なものの最終確認をしている。もうすぐで九時になろうかというころ、ピンポーンと部屋の呼び鈴が鳴った。
「誰だよ…」
今朝は絶食をしなければならなかったため、普段よりさらに吐き気が酷く、時間も急いているということもあり、イライラとしながら玄関へと向かう。
「はい…」
ガチャリとドアを開け、そこに立っている人物を見るやいなや、私は驚いて目を見開いた。
「…え?」
そこに立っていたのは、知っているけど知らない、そんな感じの…
「勇太…?」
今までの少し長めの金髪はどこへやら。黒いさっぱりとした短髪の勇太が、真剣な目をして立っていた。
一体、どういうこと…?
「…なに?今日はもう土曜日だけど」
「昨日は、ごめん。」
「いいよ、どうせ金用意できなかったんでしょ?」
「ちが…!」
「もういいから!私、十時にはクリニックに行かなきゃいけないから、帰って…」
言いながらドアを閉めようとしたら、勇太は隙間に手を差し込み私より強い力でドアをこじ開けた。
「!なに…」
「赤ちゃん、おろすな!」
「はあ?!」
何て言った?今。
「赤ちゃん、産めよ!産んでくれよ!」
どういうこと?
産めって?赤ちゃんを?
「…あんた産めなんて簡単に言うけど、無理じゃん。人一人育てていくってことがどれだけ大変か…」
「わかってる!世話は大変だし、金だってかなりかかる。それくらい覚悟してる。だから、ちゃんと工場に就職した。バイトじゃなく、正規雇用。もうやめたりしない。この仕事、頑張っていくから」
今何て言ったの?
勇太おかしくなったの?
赤ちゃんのために、髪切ったの?
黒くしたの?
工場勤務なんて、ダサいから絶対嫌だって言ってたくせに。
工場で働く男なんて、ただの見窄らしいオヤジばっかだって、あんたいつも馬鹿にしてたくせに。
「祥子…」
私の目からは、知らない間に涙が零れ落ちる。
「…産まない。産めるわけねーじゃん。」
「なんで」
「うちら、セフレだよ?!セフレの子どもなんて産めるかっつーの!」
「強がんなよ!」
私の言葉に、勇太はぐいと眉を寄せた。
「お前だって本当は産みたいんだろ?だから、タバコやめてるんだろーが!」
その指摘に、私はビクリと肩を震わせる。
「優子だっけ?お前と同じ事務所の。そいつとこの前たまたま会ったとき、聞かれたんだよ。最近祥子はタバコ吸わなくなったけど、禁煙始めたのかって。」
「それは…」
「タバコやめたの、赤ちゃんのためなんだろ。」
私は何か良い逃げ道を考えたけど思い浮かぶことはなく、ただ黙るしかなくて。
「セフレだった。お互い真剣じゃなかった。だけどこれから真剣に向き合えばいいじゃん。」
「………」
「せっかく授かった、俺たちの新しい“命”なんだから。」
なんだよ。
私の気も知らないで。
どれだけ心細くて、どれだけ辛かったか。
そうだよ。
本当は産みたかったよ。
日に日に強くなる吐き気に、この子の成長を感じてた。
せめて手術までは、ほんの短い間だけど、快適な環境で赤ちゃんに眠っていて欲しくて、タバコをやめたんだよ。
ごめんね、ごめんねって。
会うことのない私の子どもに、何度も謝りながら。
どこかで、この子を愛していきたいと。
そう願うようになってしまっていたんだ。
本当、笑える。
「…母親になるなんてダセー」
「心配すんな。もともとお前そんなにイケてねーから」
「?!うっさい!勇太アホだから、こいつもきっとアホだ。」
涙と鼻水を拭い、言いながら私は顔を上げる。
目が合うと勇太は安心したように目を細めて。
「上等じゃん。東大入れてやるよ。」
そう勇太が言ったあと、二人で思い切り笑った。
※※※※
『もしもし』
電話の向こうで、聞き覚えのある女性の声がした。
「もしもし、今朝手術を予約していた橋本です。」
『おはようございます。』
十時まであと十分という時計を見て、私は軽く携帯を持ち直す。
「私、やっぱ産みます。」
………。
しばらくの沈黙。
「あの、」
『…では、手術はキャンセルということでよろしいですか?』
「はい。ご迷惑をお掛けして本当にすみません。」
先生の畏まった声に、思わず声が小さくなった。
しかしそれを聞いて、
『いいえ、私はあなたのその決断が、とても嬉しいのよ』
そう笑顔が目の前に浮かびそうなほど、先生は優しい声で言った。
私は、あの時の言葉を思い出す。
それは、まるで不思議な呪文のような…
「…先生、赤ちゃんができるってことは、奇跡なんですよね?」
『ええ。とっても幸せな“奇跡”ですよ』
おわり
こんにちは、木村よしです。
最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございます!
今回の作品は、面白いとか、ドキドキするといった内容ではなかったと思いますが、なにか感じて頂ければ、幸いです。
一言でも感想を頂けると嬉しいです(^O^)
本当にありがとうございました!
木村よし




