第6章 島は負ける
※本作は架空の島・架空の戦争を舞台にしたオリジナル創作です。
特定の実在人物・部隊・出来事を直接描いたものではありません
数日後、澄江は軍医と将校の会話を聞いてしまった。
その頃には、島の空を飛ぶ航空機の音が以前より近く、長くなっていた。壕の外へ出ると、山の向こうから煙が幾筋も上がっている。昼間なのに空の一部が煤けて見えた。地図を持たない灯子にも、戦場がこちらへ狭まってきていることだけは分かった。
薬品庫の前だった。
「援軍は来ない」
「海路も封鎖された」
「北部の部隊も壊滅した」
「この壕も長くは持たん」
澄江は物陰で息を殺した。
壕へ戻っても、そのことをすぐには言えなかった。
律子が「援軍はいつかな」と話していたからだ。
夏子が「援軍来たらアイス持ってこないかな」と笑っていたからだ。
夜、澄江は灯子だけを呼んだ。
「島、負けるって」
灯子は意味を理解するまで時間がかかった。
「負けるって……戦争が終わるってこと?」
「違うと思う」
「じゃあ」
「ここまで敵が来る」
二人の間に長い沈黙が落ちた。
「みんなに言う?」
澄江が聞く。
灯子は答えられない。
真実を知らせることが正しいのか。
希望を残すことが正しいのか。
ここでは、何を選んでも誰かを傷つけた。
翌朝、律子自身が真実を知った。
壕へ運ばれた負傷兵が言ったのだ。
「援軍なんか来ねえよ」
律子は笑って否定した。
「来ます。上官がそう言っていました」
兵士は疲れ切った目で彼女を見た。
「嬢ちゃん。俺たちは置いていかれたんだ」
その日の律子は、一度も規則の話をしなかった。
夜になると、少女たちは壕の奥へ集まった。
「もし負けたら、どうなるの」
「捕まる?」
「殺されるって聞いた」
「でも、降伏したら助かるって紙も空から撒かれてたよ」
「敵の嘘だって軍曹が言ってた」
「どっちが本当なの」
誰にも分からない。
恐怖は、分からないものをいくらでも大きくした。
敵がどんな顔をしているのかも知らない。捕まれば何をされるのかも、本当に降伏すれば助かるのかも知らない。知らないまま、噂だけが壕の湿った壁に染みるように増えていった。灯子は、砲撃そのものより「次に何が起こるか分からない時間」を恐れるようになっていた。
昌子が言った。
「今、私たちに確かなことは一つだけです」
全員が先生を見る。
「生きる方法を探すこと」
「でも先生、もし捕まったら」
「そのとき考えます」
「軍は死ぬまで戦えって」
昌子の声が少し強くなった。
「あなたたちは兵士ではありません」
「でも私たちも軍属だって」
「その前に、生徒です」
そして先生は、一人ずつを見るように言った。
「生きようとすることを恥じないで」
その夜、灯子は壕の外で昌子が吐いているところを見た。先生が体調を崩したのだと思い、水を持って近づいた。
昌子は「大丈夫」と言ったが、立ち上がるまでに時間がかかった。
「先生も、援軍のこと知ってた?」
灯子は聞いてしまった。
昌子はすぐには答えなかった。
「全部は知らなかった」
「じゃあ、ここが危ないことは?」
「後方だと聞いていた」
「信じたの?」
灯子の声は自分で思ったより冷たかった。
昌子は俯いた。
「信じたかった」
それだけだった。
昌子は、生徒十三人の名前を学徒隊の名簿へ書いたのが自分だと話した。命令を出したのは別の人間だった。配置を決めたのも別の人間だった。それでも、自分の手で名前を書いたことだけは消えなかった。
灯子は「先生のせいじゃない」と言おうとして、言えなかった。そう言えば先生を救えるかもしれない。でも、自分の中には怒りもあった。誰か大人に責任を取ってほしかった。
昌子も「私のせい」とは言わなかった。
二人とも、簡単な言葉で片づけることができなかった。
その言葉を聞いたとき、灯子は初めて、自分がずっと「死ぬのを怖がるのは恥ずかしい」と思わされていたことに気づいた。




