第一話 城塞都市グランド・ヴァリス攻防戦(2)
「お嬢……本当だよ。お前が来なけりゃ、今頃この壁はバロムの剣で真っ二つだったぜ」
バルトの言葉を背に受けながら、冬花は一歩、城郭の淵へと歩を進めた。眼下で蠢く魔王軍の黒鉄の軍勢を一瞥し、冷ややかな声を落とす。
「だいぶ塵がたまっているわね。さあお掃除の時間よ。」
冬花は虚空に手を伸ばすと、アイテムボックスから父から譲り受けた一振りの大弓を取り出した。
それは竹と木を緻密に重ね合わせた弓胎弓(Wikipedia)。全体に黒漆を塗り込み、藤を幾重にも巻きつけた、父譲りの重藤弓――銘『双月』。
続けて取り出したのは、双生竹の矢が二本。その矢尻には、破邪の刻印が彫り込まれた魔鉱石製の矢尻が鈍く光っている。
漆黒の旅装を夜風になびかせ、翠玉の鎧を纏った冬花が、その古風な大弓を静かに構える。特別特級魔法使いの一人が、あえて魔法杖ではなく「大弓」を手にするその姿は、戦場に異様なまでの威圧感を振りまいた。
冬花は矢の照準を、地を埋め尽くす魔王軍の上空へと定めた。
迷いのない動作で一本目の双生竹の矢をつがえ、「ギリッ」と剛弓『双月』が軋むほどに弦を引き絞ると、彼女は静かに息を整えた。
直後、彼女の全身からオーラのような魔力が噴き上がり、それは濁流となって、矢尻に刻印された魔鉱石へと収束していく。
魔力が充実した証左として、冬花の漆黒の瞳の中に、母譲りのサファイアブルーの星が鮮烈に灯った。
始祖の光を宿したその視線が射抜く先――。
大弓から魔王軍の上空へと至る直線的な射線上に、金色に輝く三つの幾何学的魔法陣が、空間を断ち切るように次々と現れた。
冬花の指先が弦を離した瞬間、剛弓『双月』が弾け、一本目の双生竹の矢が咆哮を上げて射出された。
矢が射線上の魔法陣へと接触した刹那、空間に展開された金色の幾何学模様が波打ち、その膨大な魔力が濁流となって矢へと吸い込まれていく。
一つ、二つと魔法陣を通過するごとに、矢は物理的な質量を超えたエネルギーを吸収し、その輝きを増していった。三つ目の陣を潜り抜ける頃には、もはやそれは竹の矢の形を留めておらず、夜闇を白日の如く照らし出す、純金色の鋭利な光の刺となって魔王軍の上空へと突き進んだ。
冬花は淀みない動作で二本目の双生竹の矢を番えた。
一本目のわずか隣、並行する極めて近い角度へと狙いを定める。再び『双月』が限界まで引き絞られ、放たれた二条の光は、互いに共鳴するかのように夜空を駆け上がった。
重く立ち込めていた暗雲は、その凄まじい熱量に触れた瞬間に焼き払われ、一帯に月光が差し込む。
やがて、夜闇を白日の如く照らし出す二つの「純金色の鋭利な光の刺」が、ある程度の高度に達した瞬間だった。
臨界を迎えた光の刺が、天の頂で激しく爆ぜる。
それを合図に、凝縮されていた魔力は幾万幾千もの光の矢へと分かたれ、逃げ場を失った魔王軍の頭上へと、容赦なき豪雨となって降り注いだ。
「純金色の鋭利な光の刺」から分かたれた幾万の光芒は、意志を持つかのように魔王軍の個体ひとつひとつを精緻に追尾した。
降り注ぐ光の雨が、黒鉄の鎧や強靭な表皮を紙細工のように容易に貫いていく。その狙いはただ一点、魔物たちの生命の源である「核」だった。
「核」を正確に射貫かれた魔王軍の兵卒たちは、断末魔を上げる暇さえ与えられない。ある者は崩れ落ちる端から粒子へと変わり、ある者は叫びと共に内側から弾け——冬花が零した言葉通り、広大な戦場を埋め尽くしていた軍勢が、文字通りただの「塵」となって夜風に霧散していった。
あまりに一方的で、無慈悲な光景。
城壁の上で固まっていた守備隊長は、震える手で自身の剣を握り直すと、隣に立つバルトへ掠れた声で尋ねた。
「……バルト、あれは……一体、何なんだ」
その問いに、バルトは肩をすくめ、深い溜息を吐きながら答える。
「あれか。九条冬花の魔武融合術、広域殲滅術式『蒼穹の禊ぎ』さね。……相変わらず、洒落にならんな」
バルトの言葉が、畏怖に凍りついた兵たちの耳に届く。
冬花は追撃の構えすら見せず、ただ静かに、魔力が抜けゆく夜空を漆黒の瞳で見上げていた。魔力が収束したことで、母譲りの青い輝きは消え、元の底知れない闇を湛えた瞳へと戻っている。
「バルト。望遠鏡を貸して」
冬花が短く告げ、迷いなく手を伸ばす。バルトは「へいへい」と苦笑しながら、手入れの行き届いた望遠鏡をその掌に乗せた。
受け取ると、冬花はそれを接眼し、塵の舞う戦場のさらに先――地平の彼方に広がる、魔王軍二十七宿星の一人『星宿』のバロムが敷く本陣を凝視した。
漆黒の瞳の奥、レンズの向こう側で、いまだ不気味に揺らめく強大な魔力の残滓を捉える。
「……いたわね」
冬花の口角が、わずかに、氷のように冷たく釣り上がった。
冬花は確認を終えると、望遠鏡を無造作にバルトへと投げ返した。
「ちょっと行ってくる」
「おい、ちょっ――!」
バルトの制止を背に、冬花は躊躇なく、高い城壁の縁から虚空へと身を躍らせた。
自由落下に移るかと思われた次の瞬間、彼女の足元に防御魔法『アイギス・シールド』が展開される。それは黄金の輝きを放つ、端正な六角形の結晶体として結実した。
本来は敵の猛攻を阻むための絶対防壁。それを冬花は、空中に固定された「踏み台」へと瞬時に組み替えてみせたのだ。
城壁の高さそのままに、虚空を蹴る。一歩踏み出すごとに新たな六角形のシールドが精密に構築され、爆発的な推進力を生み出しては火花のように消えていく。
まるで空中に浮かぶ蜂の巣のタイルを駆け抜けるような、重力を無視した高速機動。
漆黒の旅装を夜風に激しくなびかせ、冬花は塵の舞う戦場の上空を、一直線にバロムの本陣へと突き進んでいった。




