第一話 城塞都市グランド・ヴァリス攻防戦(1)
魔王封印から三十年。
一筋の不吉な雷鳴が、平和に慣れきった人類への、残酷な終焉の幕開けだった。
空を裂く残照が血のように街並みを染める、逢魔が時。
堅固な外壁に守られた城塞都市、グランド・ヴァリスの平穏は、その瞬間に終わりを告げた。
北東の地平から、泥をこねたような不気味な黒雲が、這い寄る獣のごとき速度で接近してきた。ただの嵐ではない。その雲は意志を持っているかのようにうねり、夕闇を強引に塗りつぶしていく。
監視塔で望遠鏡を覗き込んでいた守備兵の顔から、一気に血の気が引いた。
「早鐘を鳴らせ! 総員、戦闘配置! 門を閉ざせ! 魔王軍だッ!」
直後、街の静寂は粉砕された。
緊急事態を告げる鐘の音が、激流のようにグランド・ヴァリス全域へと響き渡る。それは平穏の終焉を告げる弔鐘であり、生存を懸けた戦いの合図でもあった。
宿場町の喧騒は一瞬で悲鳴へと変わり、石畳の上を逃げ惑う人々の足音が乱打される。一方で、城壁の上では鋼の触れ合う冷たい音が重なり、弓を番える兵士たちの荒い呼吸が満ちていった。
その報せは、石造りの堅牢な城内に居を構える賞金稼ぎギルドにも、雷鳴のごとき速さで届いた。
酒場の喧騒と油の匂いが漂う広間に、一人の男の怒声が響き渡る。
「野郎ども、静まりやがれ!」
ギルドマスター、バルト・フォン・アイゼンが、どっしりと構えていた重厚な椅子から立ち上がった。その鋭い眼光が、動揺する荒くれ者たちを一瞬で射貫く。バルトは使い込まれた大剣の柄を叩き、淀みのない口調で直ちに指示を出した。
「C級以上は戦闘準備! 守備隊と合流し、城壁で奴らを迎え撃て。D級以下は住民の避難誘導を行え。一兵たりとも略奪や混乱を許すな! これより本件をギルド最優先の『緊急強制依頼』に指定する!」
場が凍りついた。C級といえば、一筋縄ではいかない魔物を屠ってきた手練れたちだ。
「報酬は城が持つ! 命が惜しい臆病者は今のうちに地下の肥溜めにでも隠れてな。だが、グランド・ヴァリスの看板を背負う覚悟がある奴は、俺に続け!」
返答は、抜剣の音と野太い咆哮だった。死線に生きる賞金稼ぎたちが、それぞれの得物を手に、夕闇の迫る街へと駆け出していく。
バルトは守備隊隊長と共に城壁に立った。望遠鏡で状況を凝視していたバルトが、苦々しくつぶやく。
「……魔王軍二十七宿星が一人、『星宿』のバロムじゃねえか。こりゃまずいな」
眼下では、熾烈な攻防が始まっていた。
地を埋め尽くす魔軍の先鋒に対し、グランド・ヴァリスの守備隊は微塵も揺らがなかった。魔王封印後の三十年間、彼らは牙を研ぎ続けていたのだ。洗練された戦闘技術は次代へと確実に伝承されており、城壁に肉薄する魔族を、一糸乱れぬ槍衾と精緻な斉射が次々と串刺しにしていく。
兵士たちの士気は極めて高く、攻城槌を繰り出す魔族と、それを阻止する防衛兵たちの間で、血飛沫の舞う一進一退の激闘が繰り広げられた。
戦況が拮抗し、戦場に熱を帯びた殺気が渦巻く中――突如として、その喧騒を冷たく澄み渡る「静寂」が塗りつぶした。
バルトの横に、一人の女性が立った。
漆黒の旅装の下に、鈍い光を放つ翠玉の鎧。その背には父親譲りの日本刀の大刀、銘『無垢』を背負っている。漆黒の長髪を純白の鉢巻で凛々しく結い上げたその姿は、戦場の泥臭さとは無縁の神聖さすら湛えている。
九条 冬花、現在二十六歳。
若くして賞金稼ぎギルドの頂点に君臨する特別S級賞金稼ぎであり、同時に魔道の深淵に触れた特別特級魔法使いの一人でもある。
「悪い。少し遅れた」
その静かな声を聞き、バルトは深く息を吐き出して不敵に笑った。
「……お嬢、本当だよ。お前が来なけりゃ、今頃この壁はバロムの剣で真っ二つだったぜ」




