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第一話 城塞都市グランド・ヴァリス攻防戦 (3)

一方、地平の彼方に位置するバロムの本陣は、かつてないパニックに陥っていた。

 つい先刻まで大地を埋め尽くしていた数万の精鋭が、一瞬にして塵と化し、消え去ったのだ。あまりの異常事態に、伝令兵たちは報告すらままならず、指揮官たちは狼狽の声を上げた。

「なっ……何が起こった!? 突然強大な魔力を感じたと思ったら、軍が全滅しているではないか!」

 本陣の天幕で、二十七宿星の一人『星宿』のバロムが激昂し、机を叩きつける。その顔は驚愕と憤怒に歪んでいた。

「無詠唱でこれほどの広域殲滅魔法が使える訳がない……! どこの大賢者の仕業だ! 答えろ!」

 しかし、その問いに応じる者は誰もいなかった。代わりに届いたのは、空を切り裂く鋭い風切り音。

 バロムが反射的に顔を上げると、上空から飛来する黄金の六角形の光が、本陣の結界を紙細工のように粉砕しながら肉薄してくるのが見えた。

 漆黒の旅装をなびかせ、夜空を背に降臨する一人の女。

 その瞳は、もはや無機質な死を宣告するかのように冷たく、濁りなき漆黒を湛えている。研ぎ澄まされた強さと美しさが同居するその佇まいは、戦場において異様なまでの威圧感を放っていた。

混乱の極みに達した本陣の上空、漆黒の旅装をたなびかせた冬花が滞空する。

 眼下で狼狽えるバロムを見下ろしながら、彼女は無造作に、しかし極めて優雅な動作で右手の指先を向けた。

 瞬間、夜闇を鋭く切り裂くサファイアブルーの極細の光線が放たれる。

 それはバロムが誇る本陣の多重結界に触れた刹那、爆音すら立てずにその「理」を分解していった。断鎖『零』――着弾した箇所から魔力構造そのものが幾何学的な崩壊を起こし、強固な防壁が砂の城のようにサラサラと霧散していく。

 絶対の守護を無に帰され、吹き曝しとなった玉座の前で、バロムは戦慄に目を見開いた。

「……結界を、消しただと……!? 馬鹿な、そんな術式……聞いたこともないぞ!」

 冬花は黄金の六角形のシールドを足場に、重力を感じさせぬ足取りで地上へと降り立つ。

 漆黒の瞳にバロムの姿を冷酷に映しながら、彼女は静かに告げた。

「……五月蝿うるさいわね。その程度の魔法構築で、私の足を止められると思ったの?」

「貴様、何者だ!」

 バロムの怒号を合図に、周囲を固めていた精鋭の護衛たちが一斉に躍りかかった。四方八方から殺意の十字火が結ばれ、冬花の退路を断つ。

 しかし、冬花は眉ひとつ動かさない。

 彼女は漆黒の旅装を翻すと、対多人数用の特殊歩法――『流舞りゅうぶ』を繰り出した。

 それは流れる水のように淀みなく、舞い落ちる木の葉のように予測不能な足運び。

 襲い来る魔物たちの間隙を、紙一重の差ですり抜けていく。冬花が踏み込むたびに護衛たちの攻撃は空を切り、互いの刃を打ち合わせる無様な醜態を晒した。

 冬花が通り過ぎた一閃の後に残るのは、冷徹な死の軌跡。

 すれ違いざまに「核」を的確に斬られた魔物たちは、声を上げる間もなくその体躯を崩し、次々と灰色の塵となって夜風に溶けていった。

 もはや、それは戦闘と呼べるものではなかった。ただ静かに、冷徹に、邪魔な「塵」を掃き清めていく一方的な蹂躙。

 冬花は歩みを止めることなく、流れるような所作で『無垢』を背の鞘へと滑らせた。

 パチン、と乾いた残響が、魔物たちが塵へと還る微かな音を打ち消す。

 瞬く間に護衛を失い、独り玉座の前に取り残されたバロムの顔が、絶望に引き攣る。

 その眼前で、冬花は武器を収めたまま、あたかも丸腰であるかのように無防備に、だが底知れぬ威圧感を湛えて歩み寄った。

「……九条冬花。覚えたところで、貴方には意味のない名前よ」

冬花は歩みを止めず、バロムの喉元へとその漆黒の視線を突き刺した。

独り玉座の前に取り残されたバロムが、絶望の中で叫んだ。

「……ぐ、おのれ……! ならば、これに焼き尽くされるがいい! 『虚宿の葬火きょしゅくのそうか』!!」

 その瞬間、周囲の酸素を喰らい尽くすような禍々しい黒炎が膨れ上がり、猛烈な熱波を伴う渦となって冬花へ襲いかかる。

 だが、冬花は無造作にその指先を向けた。

「なにこれ。熱効率が悪すぎて、ただ周囲を汚しているだけじゃない」

 サファイアブルーの極細光線――断鎖『零』。

 放たれた一筋の輝きが黒炎の芯に触れた刹那、爆音と共に空間が鳴動した。術式の根幹である魔力構造を直接「粉砕」された炎は、熱量そのものを喪失してガラス細工のように砕け散り、冬花に届く前に夜の塵へと還っていく。

「……私の服にすすがついたら、どう落としてくれるの? 無駄な洗濯の手間を増やさないで」

「な……煤だと!? 貴様、私の奥義を……!」

 絶句するバロム。冬花はさらに一歩、逃げ場を奪うように歩み寄る。

「貴様……救世の聖女か!? なぜこれほどの者が、こんな辺境の守備隊に加担する!」

 絶叫するバロムに、冬花の眉が心底不快そうに跳ね上がった。

「聖女? 吐き気がするわね。……勘違いしないで。私はここの連中を助けに来たわけじゃないわ。ただ、視界の端に映るゴミが耐えがたく不快だった。それだけよ。バルトのようなお節介な男に、これ以上泣きつかれるのも『時間の無駄』なの。今夜のお料理の下ごしらえに影響が出るわ。私の効率的な献立スケジュールを守るために、ここであなたを排除する。……それが最も『合理的』な判断だわ」

 冬花の漆黒の瞳の奥で、再び魔力が凝縮される。

「さて、煮込み料理は時間がかかるの。……五秒で終わらせるわよ」

 その言葉が、バロムの理性を完全に焼き切った。

「……五秒だと!? 舐めるな、小娘がああああ!! この私が、貴様ごときの夕餉ゆうげの添え物だとでも言うのか! 認めん、断じて認めんぞ! その傲慢ごと、我が魂の業火で灰塵に帰してやるわ!!」

 バロムは全魔力を暴走させ、巨大な黒炎の化身へと変貌しようとした――その瞬間。

「一秒……」

 冬花の指先が、迷いなく背へと伸ばされた。

 漆黒の旅装をなびかせ、その背に負っていた一振りの太刀――銘『無垢』。その柄へと手が掛かった瞬間、彼女を取り巻いていた魔導士としての空気は霧散し、鋭利な「刃」そのものの如き闘気が戦場を圧した。

「二、三……」

 抜刀。白銀の刃が月光を弾き、冬花は『無垢』を諸手で頭上高くへと掲げた。一切の迷いを排した、示現流を彷彿とさせる「蜻蛉」の構え。

 掲げた刀身にサファイアブルーの魔力が落雷の如く絡みつき、空間を震わせるほどの高電圧が火花を散らす。

「四……」

 踏み込み。大地を爆ぜさせ、冬花は弾丸と化して黒炎の懐へと飛び込んだ。

「五! ……チェストッ!!」

裂帛れっぱくの気合と共に振り下ろされた『無垢』が、雷光となってバロムの魔力ごと、その存在そのものを真っ向から叩き伏せた。

 断ち切られたのは肉体だけではない。バロムが最期に凝縮させた膨大な魔力の中心――その『核』を、空間ごと真っ向から両断した。

 暴走していた黒炎の熱量すらも一刀の下に粉砕され、衝撃波が本陣の残骸を地平の彼方まで吹き飛ばした。

雷光が収束し、視界を焼くような蒼白い火花が夜闇に溶けていく。

 そこには、かつて『星宿』と呼ばれたバロムの姿も、彼が執着した本陣の残骸も、何一つとして残されてはいなかった。

 ただ、絶対的な断罪の跡として、枯れ草がうっすらと白く凍りつき、その中心に一握りの灰色の塵が積み重なっているだけだ。

 冬花はふと、その塵の山の中で不自然に光を撥ね退ける物体に目を留めた。

 

 冬花は無造作にそれを拾い上げ、指先で紐を解いた。

 丸められた羊皮紙を広げ、内容を漆黒の瞳に映し出す。そこには魔王軍の進軍経路図と共に、禍々しい紋章を添えた秘匿事項が記されていた。

「……掃き残しがあったようね。この規模、ただの掃き溜めじゃなさそうだわ。――これはバルトに報告ね」

 内容を瞬時に記憶し、羊皮紙を再び丸めて懐へたとねじ込む。

 続けて、バロムが消滅した地点に転がっていた、どす黒く輝く特大の魔石を拾い上げた。二十七宿星の一角たる生命の結晶。換金にせよ触媒にせよ、一級の価値がある「実益」だ。

「……おわり」

 残心。冬花が静かに刀『無垢』を鞘へと納めた時には、背後にあったはずの絶望は、夜風に舞う灰色の塵へと変わっていた。

「……三分の遅れね。強火で挽回カバーするしかないわ」

 冬花は眉をひそめると、再び黄金の六角形を空中に蹴り出し、夕飯の支度が待つ城郭へと、弾丸のような速さで帰還していった。


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