第6話 大人でかっこいーアイネアさま
「ノイマン、水くみ終わったよ」
クルトが部屋に入ると、アイネアがぐったりしていた。
「アイネア⁉ どうしたの⁉」
クルトはアイネアに駆け寄り、肩をゆすった。
「べんきょう、したくない……もうやだ……」
枯れた植物のように、アイネアはへたっていた。
「何だ、そんな事か〜」
クルトはほっとした。
「文句言っちゃいけないよ。勉強ができるだなんて、恵まれてるんだから」
「ヤダー! ヤダー!」
アイネアは小さい子(見た目相応)のように腕をばたつかせた。
「何で研究者とかいう連中は、他の論文の内容も相手が知っている前提で話を進めるんだ」
「ちゃんと参考文献は末尾に記載してるだろ」
ノイマンは茶をすすった。
「そう、それだよ‼」
アイネアは弾かれたように起き上がった。
「その参考文献も、既存の理論を理解している前提で話が進むんだ!」
アイネアが溺れる人のように手を仰いだ。
「文献を読むための文献、それを理解するための文献、更にそれの大元になった文献。それら文字の山を越えてたどり着いたコイツの論文は…………」
アイネアの大きな瞳に涙がにじむ。
「わからない……むずかしい……」
声を絞り出すと、「あんぎゃー‼」と大声をあげ始めた。
「うーっ! うーっ! ぐ、や、じぃ〜‼」
アイネアは突っ伏し、こぶしを机にゴンゴン打ちつけた。クルトは後ろであわあわしている。
ひとしきりわめいた後は、ガバッと起き上がり、ノイマンをびしっと指す。
「認めよう、ノイマン・グレンダール! 貴様は紛うことなき天才だ。だがな! 調子に乗るんじゃないぞ! 私の力をもってすれば、もっとすごい成果を挙げられるんだからな!」
「分かったから、これを蒸留してくれ」
ノイマンが目もくれぬまま、小さい壺をアイネアに差し出した。
「……ふんっ!」
彼女は小壺をふんだくると、大人しくふいごを吹かした。
「何だか、難しいことをやってるんだねぇ」
クルトは何と言ったらいいのか分からないので、とりあえず思ったことを口にした。
「実際、子どもには難しいと思うぞ」
「でもアイネアに教えてるじゃん」
「俺が言い出したんじゃない。分からなくても手伝いはできると言ったんだが……」
「コイツに理解できるなら、私にも分かる‼」
アイネアの大声が飛んできた。
「……だ、そうだ」
「なるほどー」
クルトはアイネアの頭をなでた。
「諦めなよ。ノイマンは大人なんだから、僕らよりずーっと頭がいいんだよ」
「私のほうがずーっと大人だ!」
隠し事が口をついて出て、アイネアは慌てて口をふさいだ。
「うんうん、アイネアのほうがすごいね」
幸い、クルトは信じていないようだった。アイネアはほっと胸をなで下ろした。
ノイマンの家に住むようになって、暮らしが安定した。もう悪いことをする必要もない。魔王として悪行をはたらいていたことも、このまま隠し通せるだろう。
「よ〜しよし。アイネアは良い子〜」
クルトはわしゃわしゃとアイネアの頭をなで続ける。
(それにしても……この子ども扱いはむず痒いぞ。悪い気はしないが)
「なぁ、私って今、何歳なのだ?」
「今? 10歳でしょ」
「そうだったな! クルトは?」
「僕は11歳……まさか本当に忘れちゃったの?」
クルトは不安気にアイネアを見つめた。
「か、確認しただけだ!」
(10歳と11歳なんて、大した違いは無いな! 300歳オーバーの私からすれば、小さい子どもだ。まぁ、怨霊として過ごした年月を“歳”と数えて良いか分からんが……。ふふん! 私のほうがお姉さんなんだぞ)
この日の夕食にて。
「アイネアのパンのほうが大きい! ずるいよ!」
「頭をいっぱい使って疲れた。私のパンが大きくて当然だろう!」
「でも、今日の水くみだって僕が運んだんだよ! 僕のほうが疲れてる!」
「二人とも、喧嘩はやめろ」
ノイマンのお叱りも、二人には届かない。
「クルトのケチ! パンくらい良いじゃないか!」
「アイネアのバカ! 大・大ケチ!」
二人は揉み合いになり、そのまま椅子から転げ落ちた。そして二人そろって、頭を床にぶつけた。
「ば、馬鹿すぎる……!」
ノイマンは絶句した。
「ノイマン。痛い。何とかしてくれ」
アイネアがひょっこり起き上がった。クルトもバツが悪そうな顔でノイマンを見つめる。
「座れガキ共」
ノイマンが指を振るうと、ハンカチが2枚飛んできた。次にノイマンは魔法で氷を作り出し、氷を包んだハンカチを二人のたんこぶに乗せる。
「椅子の上でケンカしたら、危ないと思わなかったのか?」
「今思うと、危なかったかもな」
アイネアはケロッとしている。
「…………」
クルトはだんまりだ。そっぽを向いている。
(子どもってこんなに馬鹿なのか? こんなに向こう見ずなもんか?)
ノイマンは思案する。アイネアの精神年齢が300歳を超えていることを、彼は知らない。
(俺がガキん頃は、こんな事無かったぜ。いや、俺が天才すぎただけか)
心の中の自画自賛をツッコんでくれる人はいない。
引き取る前は、こんなに苦労をすると知らなかった。
(言わなきゃ手も洗わねぇし、風呂にも入らねぇ。歯も磨かねぇ)
ノイマンは腕組みをした。
(子どもって、どうやって常識を身につけさせるんだ……?)
ノイマンはひらめいた。
「お前たち、明日は村へ行くぞ」
「村?」
「いいけど、なんで?」
「ここんとこ、家にこもりっきりだったから飽きたろ。明日は早起きだ。いい感じに起こしてくれよ」
「自分で起きろ!」
その日の夜、アイネアとクルトは寝室でひそひそ話しあった。
「明日行く村って、どのくらい人がいるだろうね」
「私たちの悪い噂が、その村まで広まってないといいな」
「ここ数日で村の話が一度も出なかったけど、ノイマンは村にあんまり行かないのかな」
「あの性格じゃ、村の人たちと仲良くできないんじゃないか」
ノイマンは人と話すのが好きではなさそうだ。こちらから質問をすれば答えてくれるが、アイネア達が答えを理解できていないと見るが否や、途端に返答がおざなりになる。
「あー、だから森の中に一人で住んでるんだね」
「何でいきなり、村に行こうなんて言い出したのだろう」
「さぁ? ノイマンって、よく訳が分からないことを言うもの。やれ手を洗えだの、体を洗えだの、体を洗うなら股まで洗えだの」
「けっぺきしょーだぞ」
お前らの衛生観念が酷いんだ! とツッコんでくれるノイマンは、ここにいない。




