第2話 生きるために必要なもの・前編
「らんらん、らーんらららっ」
鈴の転がるような声。スカートがふわりとひるがえり、少女は軽やかなステップを踏んだ。
床には赤。むせかえるような血の匂い。
「らんららら、らんらん。らんららら、らんらん」
美しくも不気味な旋律……あの女が好んでいたものだ。
「――はあっ、はぁっ」
息が苦しい。頭がだるい。指先は冷えきって、唇が震える。
そして何より、胸が痛い。
憎い。憎い。
キィン、と頭痛を伴い、呪詛が身の内から溢れ出す。
――私は貴様たちを許さない。これ以上の勝手を許さない。私の命令なくして、呼吸ひとつ出来ぬようにしてやる。
貴様ら人間の罪を、私はひとつ残らず忘れない。
絶対、絶対に――
「…………」
アイネアは目を覚ました。目を擦ろうとして、自分が泣いていることに気づいた。
夢の余韻で、頭が回らない。
『許さない。許さない。許さない』
「違う……」
もう全て終わった事……いや、始まってすらいない。
憎しみが生まれる前の時代に、自分は帰ってきたのだ。
「私は魔王じゃない……」
自分に言い聞かせ、深呼吸をする。鼓動が落ち着いてきた。
「アイネア……?」
隣で寝ていたクルトが、目をこすっていた。
「どうしたの?おしっこ?」
「ううん、何でもないぞ。変な夢を見ただけだ」
「そう……ふぁ……。もうちょっと寝てようね」
クルトが毛布をかけてくれた。アイネア達は毛布を一つしか持っていない。建物の陰に、二人で一緒に包まり、夜風を防いで寝ている。
ボロボロの毛布も、クルトの二人で包まれば何より暖かく安心できる。アイネアはクルトに寄り添って寝なおした。
数時間後。
(クルト……今日も可愛いな)
アイネアはクルトをじっと見つめていた。
二人はかくれんぼの真っ最中だ。クルトはアイネアを探し出そうと、茂みや木箱の裏を見て回っている。
当のアイネアはというと、魔法で自分の体を浮かせ、空中に寝転んでいた。茂みに頭を突っ込むクルトに笑いを抑さえる。
(丸い頬は薄汚れて痩せているが、ご飯をたくさん食べさせれば、まるまると太るだろう。カーブの入った栗色の髪も、手入れすればふわふわになりそうだ)
「ふふ、ふふふ……」
今から考えただけで、よだれが出てきそうだ。クルトは今のままでも可愛い。しかし改善の余地がある。
「栄養のあるものを食べさせて、綺麗な服を着せて……ふふふ、楽しみだ!」
「あ! アイネアみーつけた!」
クルトがアイネアを見上げ、指さしていた。
「ずるいよー! 空に飛んで隠れるなんて!」
「ふふっ……見つかってしまったか!」
アイネアは降り立った。
「流石はクルト! こんなに早く見つかるだなんて……かくれんぼの達人だな!」
「えぇ? えへっ、僕ってば、そんなにすごいかなぁ」
クルトは照れて頭をかいた。
「でもアイネアのほうが凄いよ! あれって魔法だよね。いつの間に、魔法が使えるようになったの」
「えっと、最近できるようになったんだ」
アイネアは目を逸らした。
「最近っていつ? 誰に教わったの?」
クルトは首をかしげた。
「さ、最近は最近だ! いつの間にか、できるようになっていたんだ!」
「ふーん……」
クルトは不思議そうな顔をしていたが、それ以上追求してこなかった。
(危なかった……)
アイネアはホッと胸をなでおろした。
(悪いことを沢山して魔法を覚えたなんて、言えるわけない。魔王だったことがバレたら、きっとクルトに嫌われてしまう)
もしバレたら……。
頭の中のクルトが、悲しそうな顔になる。
『アイネア、そんなに悪い子だったんだね。そんな子は嫌いだよ!』
(嫌だ! そんなの嫌だぞ!)
アイネアは首をぶんぶん振り、怖い想像をかき消した。
(そもそも、あれは本当に未来なんだろうか? 今となっては、全て悪い夢だったんじゃないかとすら思える……)
アイネアは手のひらをじっと見つめる。意識を集中させると、魔力が練り上がり、キラキラと光を放った。
(ただの夢で、ここまで魔法が練達するわけがない。未来の経験は、きっと本物だ。でも、どうして過去に戻ったのだろう)
「わ〜、アイネア!それキレイだね」
横を向くと、クルトがきらきらした瞳で笑っていた。
その純粋な笑顔に、アイネアの頬はゆるむ。
(真実を求めるのは、いつでもできる。今は……もっと考えるべき事がある)
「行こうクルト!お昼までに、ひと仕事しよう」
理想の生活のために、必要なものがある。
金だ。
アイネア達は、路上で生活している。たまに親切な人の家に泊まらせてもらったりするが、居着くと嫌がられるので、すぐ出ていってしまう。食べ物は近所の人達に恵んでもらっている。非常に不安定な生活だ。今日のご飯すら、手に入るか分からない。
この町はそこそこの都会だ。近くに領主の城があるので、城を中心に栄えている。人も物も仕事も、沢山ある。
しかし、子どもでは稼ぐ手段が限られてくる。子どもでもできる、簡単な仕事しかさせてもらえないからだ。当然、賃金は安い。意地悪な雇い主に当たってしまったときは、その賃金さえ出し渋られる。
「強盗でもするか? こっそりスるか、それとも、そこら辺の旅人でも襲って身ぐるみ剥がすか」
アイネアは物騒なことをぶつぶつ呟く。
「? アイネア、何か言った?」
「何でもない」
(最も簡単な方法は、金を持っている人間から奪うことだ。憲兵だの何だのがうるさいが、魔法の力があれば何とかなるだろう)
アイネアは「ぐふふ……」と悪い笑みを浮かべた。
彼女が悪だくみをしていると、クルトがアイネアの頭をなでた。
「じゃあ、アイネアはお留守番をしててね」
「な、なぜだー⁉」
「病み上がりで無理しちゃダメ! 今朝もうなされてたんだし」
「へ、平気だ、あのくらい!」
「とにかく、アイネアの仕事は、ゆっくり休んで元気になること! 遊びは帰ってきてからね」
クルトはアイネアを座らせた。
(完全に子ども扱いだ……!)
「むぅ……」
「返事は?」
「……はぁい」
「よしっ!じゃ〜行ってきま〜す」
クルトは走っていった。アイネアは手を振って見送った。
「……行ったか?行ったな」
クルトの姿が見えなくなると、アイネアはこそこそと拠点を抜け出した。
「まったく、クルトは心配しすぎだ。まぁ、そんな優しいところも素敵だがな!」
クルトと鉢合わせないよう、反対の方向に歩き出した。
「クルトが帰ってくる前に戻ればいい」
アイネアは悪い顔でニヤリとした。
治安の悪い路地裏を歩くアイネアは、ぶつぶつと独り言を呟いている。
「大きなパンを買ってやろう。小さな手で食べる様は、愛らしいだろうな。鮮やかな色のキャンディを持たせるのもいい。きっと似合うだろう。マシュマロ……は、まだ発明されていないか。ふんっ、菓子職人でも攫って作らせるか?」
クルトとの楽しい未来を夢想し、ぐふぐふと笑っている。
細い路地の角を曲がった。薄暗い通路には、ガラの悪そうな男が三人で談笑していた。すぐ横には、哀れな犠牲者だろうか、ボロ雑巾のようになった青年が転がっていた。
「おお、カモがいたぞ」アイネアは呑気に近づいた。
「あン?」
「何だこいつ、知り合いか?」
「いや知らねぇ」
アイネアは腕組みし、声を張り上げた。
「おい雑魚ども! 命だけは助けてやる。金目の物を置いて立ち去るがいい」
アイネアが言い放つと、ゴロツキ達はあっけに取られた。やがて全員、腹を抱えて笑いだした。
「なんだこの嬢ちゃん! 威勢がいいな!」
「こんな追い剥ぎは始めて見たぜ!」
「ごっこ遊びはいいが、相手は選べよ? 冗談じゃ済まさねぇ奴だっているんだからよ」
ゴロツキの一人がアイネアを手招いた。
「ほら、こっち来な。干し肉を分けてやるよ」
アイネアは黙ったまま右手を掲げた。小さな指で空気を弾く。
途端、手招いていたゴロツキの身体が吹き飛んだ。
「ゴハァ!」
大の大人が軽々と吹き飛んだのを見て、男達はおののいた。
「なんだ⁉」
「まさか、魔法か⁉」
「おいガキ! 魔法を人に撃ったら危ねぇだろうが!」
ゴロツキに怒鳴られるが、アイネアは全く気にしていない。
「うるさいぞ。指図をするな、虫けらが」
ゴロツキはアイネアの冷たい目にたじろいだ。
「ひ、ひぃっ」
ゴロツキ達は急いでポケットをひっくり返し、小銭を地面に叩きつけた。
「これで勘弁してくれ!」
「ふんっ、まぁいいだろう。さっさと去れ」
ゴロツキは走って逃げていった。
「ゲホッゲホッ!」
アイネアは深く咳き込んだ。ノドにぴりりとした痛みを感じる。
「少し、はしゃぎすぎたか……?」
アイネアは地面に落ちた金をちまちま拾い、ポケットにしまい込んだ。
「あ、あのう……ありがとうございます……」
ボロ雑巾のように転がっていた男が起き上がった。
「ん? 貴様、まだ居たのか。金を持っているか?」
「い、いや……有り金は全部アイツらに奪われてしまって……。その……返してくれ……ます?」
男はアイネアが拾い上げた金を指さした。
「嫌だ。私が勝ったのだから、私のものだ」
「そんなぁ……」
「ではな。早く病院にでも行くがよい」
寝床に帰ると、既にクルトがいた。
「アイネア〜! どこ行ってたの!」
クルトが腕を振りながら、アイネアに走ってきた。
「ちょ、ちょっと散歩に行っていた」
とっさに言い訳した。
「そうだったんだ。体調はどう?」
「ふふん、バッチリだ!」
クルトはアイネアのおでこに手を当てる。
「うん、熱も下がったみたいだね。良かった」
「もうすっかり元気だぞ」
先ほど、大きく咳き込んだことは、クルトに黙っておいた。
「さっき、雑草取りの仕事をもらってきたんだ。元気になったなら、アイネアも手伝って」
クルトはアイネアの手を取った。
「今からか?」
「そうだよ。えっと、乗り気じゃない? もしかして、まだ体の具合が悪いんじゃ……」
「そんなことないぞ」
(さっき奪った金で、数日分の食事代になるが……まあいいか。クルトが頑張って仕事を探してきてくれたのだから)
クルトに手を引かれるまま、アイネアは仕事場に向かった。
向かった先は、一軒の家だった。
「よっ。クルトにアイネア。久しぶり」
ツンツン髪の少年が、アイネア達を快く迎え入れてくれた。
(誰だ……?)
アイネアは気まずかった。目の前の少年が誰なのか、全く分からない。クルトでさえ、ひと目見ただけでは思い出せなかったのだ。覚えているわけがない。
「やっほ! ルッツ」
「や、やっほ……」
クルトに調子を合わせ、アイネアも挨拶した。
「で、草むしりすればいいのは、ここの庭か?」
アイネアは庭を見渡した。家庭菜園のある、広くも狭くもない庭だ。ちらほら生えている雑草の間を、ニワトリが数羽、ゆったりと散歩している。
クルトがもらったのは、庭の草むしりの仕事だ。仕事というより、子どものお手伝いに近い。
「ああ、柵の内側をくまなく頼む。……ところでアイネア、どうしたんだ、その喋り方」
ルッツは不思議そうにしている。
「細かいことは気にするな」
アイネアは気まずくなり、逃げるように雑草に身を投じた。
手作業で雑草を一本一本抜いていく。野菜を間違って抜かないよう気をつけながら。
アイネアは土だらけの手で汗をぬぐった。冬を前にして気温が落ちてきたものの、こうしてせっせと動いていると、体がぽかぽかしてくる。
(まぁ、金を貰えるのなら何だってありがたいが……)
しかし、生活を潤すには足りないだろう。これでは夕飯代を補うので精一杯だ。
やはり金持ちの家に押し入るか……? とアイネアが考えていたとき。
「えへへっ」
クルトが嬉しそうに笑った。
「一緒にこうして働くと、楽しいね」
(かっ、可愛い!)
「……うん」
アイネアは顔が上気していった。
(待てよ……? 一緒に働ける仕事なら、仕事中にもクルトを見ていられる……?)
己の天才的なひらめきに、アイネアは大はしゃぎした。
「うおおおおー! 悪いことは止めだ!」
ハイテンションのまま、土をかき分けた。
「フハハハ! 雑草どもめ、根こそぎ滅ぼしてくれるわ!」
アイネアは高笑いしながら土をほじくり返し、雑草を引き抜いていく。
「ふん、根の先がちぎれたか。だが、この私から逃れられると思うなよ!」
(アイネア、元気だな〜)
クルトはにこにこしながらアイネアを眺めている。
(前に熱を出してから、ずっと落ち込んでたみたいだけど、元気が出てよかった)
「なぁクルト」
ルッツがクルトをつついた。
「アイネアのやつ、どうしたんだ? なんか変だよな」
「今まで我慢ばっかりだったから、イライラが溜まってるんだと思う。僕が見ておくから、大丈夫だよ」
「何かあったら俺も頼ってくれよ?抜け出したとはいえ、同じ〝院〟の仲間なんだしさ」
「……うん」
「そうだ! 夕食を一緒に食えるよう、母さんにお願いしてやるよ」
「いいの? ありがとう、ルッツ!」
ルッツが家の中に戻って行った。クルトは草むしりを再開した。
その後も草むしりを続けていると、
「いい加減になさいよ!」
女のヒステリックな怒鳴り声が聞こえた。声は家の中からだ。アイネアとクルトはアイコンタクトを取ると、二人して扉の前に忍び寄った。
「あの子たちは、あんたを引き取った孤児院の子たちだから、今まで優しくしてあげてたけど、もう限界! ウチだって食わせてやんなきゃいけない子がいるんだからね! こんな毎回ご飯をあげてたら、私らが食いっぱぐれちまうよ!」
「か、母さん……」
「それにあの子たち、町で盗みも働いてるそうじゃないか。そんな子たちを招いて、ご近所で私が何て噂されてるか知ってる? 『あのお店は、盗品まで扱いはじめた』だって!」
「母さん! 二人が好きで盗みをやってるわけじゃないのは知ってるだろ! 生きるために仕方なくやってる事なんだよ」
「ふん、いっそ居なくなってくれたほうが、よっぽどマシかしらね……」
「雑草取りが終わりました!」
クルトが声を張り上げると、二人がビクリと肩を震わせ、こちらを振り返った。
「お給金をください」
「あ、ああ……ご苦労さま」女は硬貨をクルトに手渡した。
金を受け取ると、クルトはアイネアの手を引いた。
「行こ」
「ああ……」
ずんずん歩くクルトの表情は、アイネアからは見えない。
「クルト! アイネア!」
ルッツが走って追いかけてきた。
「母さんがごめん! そのう、最近店の売り上げが下がって、ピリピリしてただけなんだ。あんま気にすんなって」
クルトは振り返らない。
「遠慮せず、また来てくれよ。なっ?」
「……大丈夫だよ、ルッツ」
クルトが振り返った。
「僕たちのことは心配しないで。それより、せっかく今の家に引き取ってもらったんだからさ、僕らに構いすぎるのは良くないよ」
「で、でもよ……」
「お仕事をくれて、ありがとうね。これで何日か食べていける。本当に感謝してるよ」
(小さい頃は、気にしていなかったが……)
クルトに固く握られた手を、アイネアは見つめる。それから、クルトの後ろ姿を。
記憶にあるクルトは、頼りになるお兄さんだった。しかし、今見てみると、彼も一人の子どもに過ぎない。
「……クルト…………」
「ん、どうしたのアイネア? お腹空いたよね。パンを買いに行こうかっ」
優しく微笑みかけてくれるクルト。しかし、今なら分かる。笑顔の奥で、クルトがどれだけ苦しんでいたのかを。
(クルトに、幸せになってほしい)
今までより強く、アイネアは思った。
(……うん、だったら尚更、悪いことをしてお金を稼ぐわけにはいかないな。クルトが悲しむようなことは、もうしない)
その日の夜。寝床で毛布に包まれたアイネアは考えた。
クルトと一緒に居られる仕事を探す。それも、悪い事はナシ。しかし、クルトを連れて行ける仕事となると、かなりの制限がかかる。
アイネアは自分の手のひらを見つめた。魔王のときとは違う、小さくて弱い手だ。一般人と比べれば膨大な魔力量を持っているが、魔王の頃とは比べるべくもない。クルトに残酷なところを見せたくないし、護りきれないかもしれない。
「いや待てよ。あれなら……」
アイネアの口角が吊り上がる。
「あれなら大金いただきだな」
テンションの上がったアイネアは、毛布から抜け出し、腰に手を当てた。
「ふ……ふふ……ふはは!はーはっはっは!」
「夜だから静かにしようね、アイネア」
「……うん」
叱られたアイネアは、大人しく寝た。




