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第1話 目覚め

 鋭い風の音は、人々の叫びに似ていた。


 ぶ厚い暗雲は空を禍々しい色に染め上げる。世界は闇に包まれていた。

 そんな中、一筋の光が雲を裂く。

「はぁぁぁああああ‼」

 光の中心に居るのは、顔にあどけなさを残す少年。

 彼こそは予言されし勇者。古来より引き継がれし聖剣を携え、仲間と共に、人類を救済しようとしていた。


 聖剣の力が、魔王の巨大な体を包み込む。魔王は咆哮した。

 まばゆい光が自身の体を蝕み、消え去っていく。人々の憎悪を吸って成長させた体が。何百年という執念の結晶が。


「おのれ! おのれ‼」

 激しい断末魔と共に、魔王は最後の呪詛を吐く。

「何故だ! この私が、たかが人間ごときにィ‼」

「たかが人間だろうと、そう侮ったのが間違いだ」

 勇者は聖剣を魔王に深く突き刺したまま、吠える。


「誰かのために、いくらでも強くなれる――それが人間の強さだ‼」

「グオォォォォォオオオ‼」


(おのれ! おのれおのれおのれ! 我が悲願が、こんな奴らに阻まれるなど! 許せん!)

 何か言い返してやりたいが、弱りきった魔王には、既にその力も残っていない。

「このまま……終わってなるものか……! 我が憎しみを……苦しみを…………人間たちに……」

 復讐する。ただそれだけのために生きた。体を失って、魂だけになっても現世にとどまった。人々の怨念を吸い上げ、糧とした。

 そうでなければ、やりきれない。この憎しみのやり場がなかった。

「ああ……でも…………」

 何も考えられなくなっていく。魔王の体はボロボロに崩れ去った。最後に残ったのは、魔王の核となった少女の怨念。小さな小さな、魂の欠片だ。

 無念だ。……けれども。


「もう くるしまなくて すむ…………」


 心の底から、安堵した。



――――――――――――

――――――――

――――


 身を刺す寒さと、息苦しさで目を覚ました。

(……体が重い)

 苦しい。痛い。寒い。

(どうして? どうしてまだ苦しいんだ⁉)

「うっ……はぁ……はぁ……」

 魔王は身をよじった。

 やっと解放されたのに。ようやく終われたのに。なぜ? こんなにも苦しい?

「アイネア……!」

(誰だ……?)

 誰かの声がする。少年の声だ。どこか懐かしさを感じる。


 魔王は細く目を開けた。

「アイネア! よかった……全然返事しなくて、息も止まったから、もしかしてって心配し――ああ! なんでもないよ!」


 栗毛の少年が、心配そうに魔王を覗き込んでいる。

(アイネア……そうだ、どうして忘れていたのだろう。私の名前だ)

 この少年にも、見覚えがある。ずっと昔に死んでしまった子。行く当てのないアイネアと、家族のように暮らしていた少年。名前は、確か――


「クルト……?」

(死んでしまったはずの彼が、どうしてここに? やはり、ここは死後の世界?)

「ど、どうしたの? 病気、やっぱりつらい?」

クルトの丸い瞳が潤んでいた。

「…………」

「待っててね、アイネア。僕が食べ物を持ってきてあげるから!」

 急いで立ち上がろうとするクルト。アイネアはとっさに、彼の服を掴んだ。

「いか……ないで……」

 思い出した。

 魔王が少女アイネアだった頃――発熱したアイネアに、栄養のあるものを食べさせようと、クルトは街に行った。そして貴族の馬車に轢かれ、帰らぬ人となったのだ。

 手当すれば、助かったかもしれない。しかし、この街でみなしごを気にかける余裕のある人間などいない。生きるために盗みを繰り返す彼らを、人々は疎んじていた。

 埋葬すらされず、路地裏で隠れるように凍って死んでいたクルトを見つけたときの絶望は、思い出したくもない。


――否、忘れてはならない。それが彼女にとっての始まりだったのだから。


「クルト……クルト……」

 熱に浮かされるまま、アイネアはうわごとを繰り返す。

「苦しい……憎い……」

「え…………?」

 クルトは驚いた顔でアイネアを覗き込んだ。アイネアはゼーゼーと淡い呼吸の合間に、言葉を繋いだ。

「みんな……憎い……私の受けた苦しみを、何重にして返さなければ……気が済まない……」

「アイネア……?」

「お前の分も返すんだ……。そうだ……クルトを見殺しにした奴らも、全員……のうのうと生きたことを後悔させてやる…………」

幸せになることは、もう諦めた。

遠い記憶の中、クルトは道の端で、身を縮こませ死んでいた。

幼かったアイネアは、涙ながら大人たちに訴えた。

『助けて! 誰かクルトを助けて!』

視界には入っていただろうに、チラと目に入れては、すぐ忘れたように歩き去った。

そんなに大切な用でもあったのか?人の命以上に?クルトを轢いた貴族は? 事故のことを、アイネアは後に人づてに聞いて知った。だが当時、現場には馬車の影も形も無かった。人を殺しておいて、より優先させるものがあったのか?

どんな理由があったら、人は人を、こんなに蔑ろにできるのか。

その後、アイネアは愚かな人間を何度も見た。そこで分かった。人間が人間を傷つける理由は――全部だ。信条で、怒りで、無関心で、金で、気分で、愛で、何となくで。人はいくらでも、他者を不幸にできる。


だから少女は全てを恨んだ。人間の全てを。


「許さない……許さない……!」

「…………」

クルトは、アイネアをじっと見つめた。

「人間たちを……え?」

アイネアは右手を包まれる感覚。そして温かさを感じた。


「つらかったね、アイネア」


 クルトは彼女の手を握り、温めてくれていた。

「今まで、つらいのに気づかなくて、ごめんね。でも、もう大丈夫だよ」

「クルト……?」

アイネアは、クルトを見上げた。クルトは真っ直ぐな瞳でアイネアを見つめていた。

「僕がキミを守るから。だから、そんなに悲しそうな顔は、もうおしまいにしよう? キミがつらそうだと、僕もつらいんだ」

「かな……しい……?」

 自分が“悲しい”など、思ってもみなかった。


 アイネアの300年は、怒りに満ちたものだった。自分は憎悪で出来ているのだと、そう思っていた。

 だが今、クルトに「悲しそう」と言われ、何かが胸にストンと落ちた。まるで、泣いている赤子が両親に「お腹が空いたね」と言われ、自分が空腹だったことに気づくように。


 クルトはアイネアのそばに横たわり、アイネアを優しく抱きしめた。

「ほら、こうしてると温かいでしょ!」

 正直、炎魔法でも使ったほうが、暖は取れるだろう。なのに……。


(あたた…………かい……)


 人とは、こんなに柔らかな温かさを持っていたか。

 人にこんなに優しく触れてもらったのは、何百年ぶりか。

 人にこんな笑いかけてもらったのは、何百年ぶりか。

「温かい……」

 アイネアの瞳に涙がにじんだ。

 クルトはアイネアを抱きしめながら、一生懸命彼女の手をこすっていた。ときおり、はーっと息を吐きかけ、少しでも彼女に温かさを分けてあげようとしていた。

 その懸命な姿を見ていると、アイネアの心に激しい感情が沸き起こった。


「しゅきぃ…………」


 アイネアの瞳が、乙女のようにとろけた。彼女の中に、復讐よりも強い感情が芽生えた。


(クルト、大好き‼‼)


 300年絶えることのなかった魔王の憎悪が、たった一人の少年の優しさで、嘘みたいに消えていった。


「クルト、願いを言え。叶えてやる」

「え、何いきなり」

「私からの感謝の気持ちだ。我が力で、貴様の願いを叶えよう」

「じゃあ、早く元気になってね」

「ばっかもの! そんなの当たり前だ! ゴホッゴホッ! 他に言え、他に」

 アイネアは苦しげに咳をした。

「えぇ〜。そう言われてもなぁ」

 早く願わないと大人しく寝なさそうだな〜、とクルトは考えた。


「じゃあ……ずっと二人仲良く、一緒に暮らせますように」


「ずっと、だと」

「うん。ずーっと!」

「そ、それは……」

 アイネアは生つばを飲みこんだ。

「つまり、結婚ということか」

「……そういう事、なのかな?」

 クルトは頭をひねった。

「分かった」


「クルト、私と結婚しよう」

 アイネアは求婚した。


「えー、無理だよう」

「なっ何故だ⁉」

 アイネアは飛び起きた。

「知らないの? 結婚は大人にならないとできないんだよ」

 クルトは子どもをあやす口調で言った。

「なら、大人になったら――いいのか⁉」

「いいよー」

 返事はあっさりしたものだった。

「よしっ、よしッ‼ ゴホッ! よし! ゴホゴホッ」


 かくして、数百年にも及ぶ魔王の復讐劇は、あっけない終わりを迎えた。




「――ここまで計算にズレが生じるとは」

 緑髪の少年は薄暗い部屋で、独り呟いた。

 か細いロウソクの火が、彼の頬に怪しげな影を落としている。

「これも神から私への試練……いえ、報いですか」


「すぐお迎えに向かいます。それまでどうか、暫しのご辛抱を……アイネア様」

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