笑い声の、形
火曜日はサークルの定例練習日だった。
体育館を借りていて、夕方六時から二時間フットサルの練習をする。今学期からは、俺はもう中心メンバーとは言えない位置にいた。三年生の幹事に練習の采配を譲って、自分はただプレイヤーとして参加する形にしていた。
今日は違和感の観察を続けるつもりだった。
集団行動の中での違和感を、具体的に見たかった。
体育館に入ると、すでに数人が準備運動を始めていた。
葉山が真っ先に俺に気づいて手を振った。
「先輩、お疲れっす!」
「お疲れ」
俺はバッグを置いて、ストレッチを始めた。
桐谷もいた。バスケ部のジャージを着て、隅でアキレス腱を伸ばしていた。彼女はこちらを見て、軽く頭を下げた。それ以上は近づいてこなかった。
たぶん、月曜のLINE一往復で、彼女は何かを察している。
俺は気にしないふりをして、ストレッチを続けた。
練習が始まった。
パス回しの基礎練、シュート練、ミニゲーム。俺は普通に動いた。普通に走って普通にボールを蹴って、普通に得点を取った。
いつも通り、俺は中心にいた。中心にいることが、今日は意識に引っかかった。
俺がパスを出すと、たいてい味方は俺の意図通りに動く。俺がシュートを打つと、たいていゴールに入る。俺の動きに、世界が合わせて動いている感じが、いつもよりはっきり見えた。
味方の葉山が、俺のパスを受けて笑った。
「先輩、ナイスっす!」
その笑顔が、いつもと同じ角度だった。
いつもと同じ歯の見え方で、いつもと同じ目の細め方で、いつもと同じ秒数だけ続いた。
俺はゴールに駆け込みながら別のことを考えていた。
葉山は、本当に喜んでいるのか。
それとも、葉山は「喜ぶ」という反応のパターンを実行しているだけなのか。
休憩時間、みんなで体育館の隅に座って水を飲んだ。
誰かが今週末の合コンの話を始めた。
話の途中で、誰かが冗談を言った。
全員が笑った。
俺は笑わなかった。
笑わずに、笑い声を観察した。
葉山の笑い、桐谷の笑い、幹事の笑い、二年生の笑い、一年生の笑い。
全部、同じタイミングで始まり同じタイミングで終わった。
長さも、ほぼ同じだった。
誰かが先に笑い始めて、それに釣られて他が笑うのではなかった。全員が同じ瞬間に笑い同じ瞬間に止まった。
俺の心臓が、薄く冷えた。
集団の感情は、同期している。
誰も気づいていないが、笑い声の波形は揃っていた。
「先輩、笑わないんすね」
葉山が首を傾げた。
「ああ、ちょっと考え事してて」
「マジっすか。先輩でも考え事するんすね」
葉山は笑った。今度は一人で笑った。一人で笑う葉山の笑いは、集団のものとは違ういびつな揺れがあった。声が裏返り、肩が小さく震え、笑い終わりが少しだけ遅れた。
俺はその揺れの方が人間らしいと思った。
桐谷が水を飲みながらこちらを見ていた。
目が合うと、彼女は視線を逸らした。逸らす速度が、いつもの彼女より早かった。たぶん、彼女は「先輩は今何かおかしい」と感じている。それでも近づいてこない。距離の取り方がいつもより慎重だった。
彼女の視線の動きの中に、人間らしいぎこちなさがあった。葉山の一人笑いと同じ種類の、設計から外れた揺れだった。
俺は彼女の方を、もう少しだけ見ていたかった。
練習が終わって、体育館を出た。
外は夜になっていた。
みんなで駅に向かう道で、誰かが「次の試合いつだっけ」と言った。
幹事が答えた。
葉山がそれに反応した。
桐谷が補足した。
会話のテンポが、不自然に滑らかだった。誰かの話を遮ることもなく、間が空くこともない。次に誰が話すかが、最初から決まっているような流れだった。
俺はその流れに加わらず、後ろから歩いた。
歩きながら、考えていた。
集団の中で人は本当に自分の感情で動いているのか。
それとも、誰かに振り付けられた踊りを自覚なく踊っているのか。
駅の改札で、みんなと別れた。
桐谷が改札の前で立ち止まり、俺の方を見た。
何か言いたそうな顔をしていた。
俺は黙って手を振った。
桐谷は何も言わずに、改札を抜けた。
ホームに向かう階段を降りながら、俺は気づいた。
葉山の繰り返し発言は、葉山一人の現象ではなかった。
葉山も、桐谷も、幹事も、サークルのみんなも、全員が、同じ仕組みで動いている。
俺だけが、その仕組みの外にいる。
いや、違う。
俺は仕組みの外にいるのではなくて、仕組みに気づいてしまった内側の一人なのだ。
サークルの定例練習回です。
集団の笑いの同期、書いていて「こういう瞬間、きっとあるよな」と思いながら筆を進めました。葉山の一人笑いと、桐谷の視線。設計から外れた揺れ、そこに人間らしさを見出す主人公の感性が、これから物語の核になります。




