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4/18

全部、知っていた気がした

 翌日は試験対策会の日だった。

 俺の専攻は経済学部で、来週には統計学の中間試験がある。同じ授業を取っている連中で図書館に集まって過去問を解く会を、毎学期やっている。今学期も俺が幹事だ。

 今日は、別の目的があった。

 昨日のバグA——ということで、勝手に名前をつけた——の自覚を踏まえて、もう一つの仮説を試したかった。

 俺が「予測する」と思っていたものは、本当に予測なのか。

 午後二時、図書館の自習室に集まったのは五人。

 俺と、同じゼミの友人たち。岡田、川村、それから女子の二人。岡田は要領のいいタイプで、いつも俺と意見が合う。川村は逆に、最初の問題から完璧に解こうとして、難問にぶつかると諦めるクセがある。女子の二人は普段は仲がいいが、試験前は無口になる。みんな、それぞれ過去問の冊子を広げた。

「じゃあ、最初の問題から行こうか」

 岡田が言った。

 俺はノートを開きながら、頭の中である実験をしていた。

 次に岡田が何を言うか、予測してみる。

 たぶん、岡田は「みんなどうやって解いた?」と訊いてくる。

 岡田が口を開いた。

「みんな、これどうやって解いた?」

 一字一句、同じだった。

 たまたまだ。

 よくあるパターンを言っただけ。

 俺はそう思って、次の予測をした。

 川村は、岡田に「俺、最初の問題は捨てた」と言うはずだ。

 川村が口を開いた。

「俺、最初は捨てた」

 ほぼ同じ。

 俺はペンを握る手に少し力を込めた。

 偶然と片付けるには当たりすぎている。

 試験範囲の話に移った。

 範囲表にない問題が、過去問の最後に出ていた。

「これ、範囲外じゃん」

 女子の一人がぼやいた。

「範囲外だけど、もし出たら、だよな」

 岡田が言った。

 俺は、その問題を見た。

 数式が並んでいる。回帰分析の応用問題で、ゼミでも扱っていない範囲だった。

 でも、答えが頭に浮かんだ。

 なぜ浮かんだのか、自分でも分からない。

 ただ、答えが見えた。手順を踏んで考えたわけではない。最初から知っていたみたいに答えがそこにあった。

「あー、これは、Y軸を対数変換すれば普通の線形回帰に落ちるな」

 俺は口に出した。

 岡田が驚いた顔をした。

「お前、もう解いたことあるの?」

「いや、初見」

「マジかよ」

 川村が冊子を見て、計算を始めた。

 数分後、計算が合った。

「ほんとだ、対数変換すれば解ける」

 みんなが俺を見た。

 岡田が「お前、天才だな」と笑った。川村は黙ってノートに俺の解法を写していた。女子の二人は感心したような顔をしていた。

 いつもの風景だった。

 でも今日は、その「いつもの風景」が、急に張りぼての書き割りに見えた。

 俺は曖昧に笑って、ノートを伏せた。

 夕方、対策会が終わった。

 俺は一人、図書館の外のベンチに座っていた。

 ベンチの板は冷たかった。背中越しに、その冷たさだけがはっきりしていた。それ以外の感覚は、頭の中の問いにすべて吸い取られていた。

 昨日のバグAは、対人関係の話だった。今日のは、もっと根本的な話だった。

 俺は、人の行動・状況の流れを「予測」しているのではない。

 予測ではなく知っている。

 最初から知っているのだ。

 岡田が次に何を言うか。川村がどう答えるか。試験問題の答えがどう導かれるか。

 全部、俺の頭に「最初から」答えが置かれている。それを俺は「予測した」「閃いた」と感じていただけだ。

 観察力、要領のよさ、勘の鋭さ——俺が自分の能力だと思っていたもの。

 全部、世界が俺に答えを渡していたのだ。

 俺は、努力していなかったのではない。

 努力する必要がなかったのだ。

 「努力する必要のない問題」しか、俺の前に来なかったから。

 ベンチの隣を、自転車が通り過ぎた。

 風が吹いた。

 俺は空を見上げた。

 もし、これが本当なら——

 俺の今までの人生は、誰のものだったのか。

 俺が選んだと思っていた選択は、本当に俺が選んだのか。

 俺が積み上げたと思っていた何かは、本当に俺のものだったのか。

 考えれば考えるほど、足元が崩れていく感覚があった。

 俺は立ち上がった。

 歩き出した先に、何があるかは分からなかった。

 ただ、立ち止まると、もっと深いところまで落ちていきそうだった。

 その日の夜、ノートに、こう書いた。

「俺は予測していたのではない。世界が俺に答えを渡していた」

 線を引いた。

「俺は努力していなかったのではない。努力する必要がなかったのだ」

 もう一度、線を引いた。

 最後に、こう書いた。

「では、俺の今までの人生は、俺のものだったのか」

 ペンを置いて、俺は天井を見上げた。

 答えは、出なかった。

 ただ、明日も生きる、ということだけは、分かっていた。

バグB自覚回。

試験対策会で、解いたことのない問題の答えが頭に浮かぶ。書きながら、こういう経験は誰でも一度はあるんじゃないかと思いました。「閃いた」「勘で解けた」と思っていたものの正体が、実は別の何かだったとしたら。

主人公の自己崩壊が、本格的に始まります。

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