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二つの生活

 Aletheia Roboticsへの加入から、ちょうど一ヶ月が経った。

 その日の朝、俺は珍しく目覚ましより早く起きた。

 布団の中でしばらく天井を見ながら、自分の生活をふと俯瞰してみた。

 平日の昼間は大学の講義。

 夕方からCafé Letheのバイト。

 夜は本郷の白い建物での特訓。

 週末は戦闘ユニットの四人と公園か駅前のカフェ。

 どこにいても、俺は俺のままだった。

 でも、それぞれの場所で俺は違う役割を持っていた。

 大学では普通の経済学部の三年生。

 Café Letheでは店員。

 本郷では被験者で、規格外の能力を持った同期。

 戦闘ユニットでは能力を持つ仲間で、桐谷の隣の存在。

 四つの役割を俺は同時に演じていた。

 その役割の重みは、人によって与え方が違っていた。

 大学の友人たちは俺に何も期待していなかった。彼らは普通の学生として俺と接した。

 Café Letheの店長は俺に深い信頼を寄せていた。彼女の中で俺は、なぜか分からないけど店を救った男だった。

 Aletheia Roboticsの宮園さんと同期は俺を「規格外」として扱った。

 戦闘ユニットの四人は俺を「変わってしまった先輩」として見ていた。

 四つの「俺」が俺の中で、辛うじて繋がって立っていた。

 起き上がって、シャワーを浴びた。

 髪を乾かしながら、ふと自分の顔を鏡で見た。

 鏡の中の俺は加入前と、特に変わっていないように見えた。

 でも、目の奥がわずかに変わっていた。

 以前の俺の目は世界を「観察する目」だった。

 いまの俺の目は世界を「書き換える目」になりつつあった。

 大学に行って二限を聞いた。

 教授の声がいつも通り、遠くで鳴っていた。

 俺は講義を聞きながら、ノートに雑記を書いていた。

 二重生活の運用について。

 月曜から金曜の特訓のスケジュール。

 戦闘ユニットとの集まりの頻度。

 桐谷とのLINEの密度。

 書きながら、俺は両方の生活を続ける覚悟が確かに自分の中にあることを確認していた。

 夕方、Café Letheに入った。

 鏑木さんはいつものように厨房にいた。

 俺がエプロンをつけて、カウンターに立つと、彼は厨房から出てきて短く頷いた。

「おう」

「お疲れさまです」

 それだけだった。

 でも、彼の頷きの中にはいつもより、少しだけ長い視線が混じっていた。

 彼は俺の「もう一つの生活」を知っていた。

 でも、それを訊かない。

 そういう距離感を彼は守っていた。

 俺はその距離感をありがたく感じていた。

 彼が訊かないから、俺はこっちでもいつも通りでいられる。

 シフトの途中で、葉山と南が客として店に入ってきた。

 彼らは奥のテーブルに座って、コーヒーをオーダーした。

 俺は普通に接客した。

 葉山は、俺がオーダーを取りに行くとにやっと笑った。

「先輩、最近忙しそっすね」

「うん、まあな」

「あっちの世界もこっちの世界も、両方やってんでしょ」

「そうだな」

「マジ、すげえっす」

 葉山の声はいつもの軽さだった。

 でも、その軽さの中に彼が俺を心配している気配が、わずかに混じっていた。

 南は黙ってメモを取っていた。

「先輩」

 南がこちらを見上げた。

「Aletheia Roboticsの活動と戦闘ユニットの活動、整合性は取れていますか」

「取れてる。お互いに別の目的で動いてる」

「了解です」

 南はそれ以上は訊かなかった。

 でも、彼の冷静な目は俺の答えを記録していた。

 二人が帰った後、桐谷からLINEが来た。

「先輩、今夜駅まで一緒に帰っていいですか」

「いいよ」

 桐谷は最近、週に何度か特訓帰りの俺と駅で合流した。

 彼女は俺の特訓場所には入れない。でも、特訓が終わった後の俺を駅で待ってくれた。

 彼女と一緒に駅まで歩く時間は、俺の中で二つの世界の隙間にある緩衝地帯のようなものだった。

 その夜、本郷での特訓を終えて駅に戻った。

 桐谷は改札の外で、ベンチに座って待っていた。

 彼女は俺を見つけると、軽く立ち上がって手を振った。

「お疲れさまでした」

「うん」

 俺たちは一緒にホームに上がった。

 電車が来るまでの数分、ベンチで並んで座った。

「先輩、最近目つきが変わりましたね」

 桐谷はぽつんと言った。

「そう?」

「うん。前より深くなった気がします」

「深く、というのは」

「世界の見方が深くなった、と思います」

 俺はしばらく、何も答えなかった。

 彼女は俺の変化を外側から見ていた。

 それも、ただの変化ではなく、宮園さんから受け取った視点が俺の中で形を作りつつあることを、彼女は察していた。

「先輩、両方とも続けられますか」

 桐谷は俺の方を向いた。

「両方、というのは」

「あっちとこっち。両方の世界の生活と関係」

「続ける」

 俺は答えた。

「両方とも俺の生活だ」

 桐谷は頷いた。

「分かりました」

 彼女はそれ以上は何も訊かなかった。

 でも、その「分かりました」の中に彼女の覚悟も混じっていた。

 彼女は俺が両方を続けるなら、彼女も両方の俺を支える、と決めていた。

 その覚悟が彼女の声から伝わってきた。

 電車が来た。

 俺たちは並んで車両に乗った。

 車窓の外で夜の街が流れていた。

 俺はその景色を見ながら、ふと思った。

 俺の生活は、二つの世界に確かに根を張っていた。

 大学とCafé Letheの世界。

 Aletheia Roboticsの世界。

 その両方が俺を作っていた。

 どちらか一つを失えば、俺はいまの俺ではなくなる。

 だから、俺は両方を続ける。

 それがいまの俺の答えだった。

 桐谷の手が、俺の左手の隣で、軽くシートの上に置かれていた。

 彼女は何も言わなかった。

 でも、その手の位置の近さが、俺の決意を、もう一度、確かめるように、寄り添っていた。

二重生活が安定してきた回でした。

朝の独白で、四つの役割を整理する場面、書きながら主人公の中の重みを感じました。鏑木さんの「おう」の一言と、いつもより長い視線。葉山の「マジ、すげえっす」の中に混じった心配。それぞれの場所で、それぞれの人が、主人公の二重生活を、それぞれの形で支えている。

桐谷の「両方とも、続けられますか」と、主人公の「両方とも俺の生活だ」、二人の覚悟が並ぶ瞬間。次回からは、Aletheia Roboticsでの実戦が始まります。

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