実戦、はじめて
加入から一ヶ月半が過ぎた朝、宮園さんからLINEが来た。
「今日、本郷に来て。話がある」
俺は短く返した。
「分かりました」
時刻は午前十時。普段の特訓は午後からだった。午前中の呼び出しは初めてだった。
いつもの特訓のリズムが、わずかに、ずれていた。
俺はそのずれの意味を、本郷に向かう電車の中で、考え続けていた。
一ヶ月半の特訓で、何かが、節目を迎えたのだ。
その節目が、何を意味するか、俺はまだ、知らなかった。
俺は十分早めに本郷の白い建物に着いた。
ロビーに桐谷はいなかった。今日の呼び出しは桐谷を経由していなかった。
名前不明の彼女がいつもの穏やかな顔で迎えてくれた。
「お疲れさまです。宮園さんは特訓室にいます」
特訓室に入ると、宮園さんが一人で待っていた。
今日の彼女はいつものトレーニングウェアではなかった。普通の私服。グレーのニットに黒いパンツ。少しだけフォーマルな印象。
「おはよう、遠野くん」
「おはようございます」
「今日からね、君に、実戦に出てもらう」
俺は息を呑んだ。
「実戦」
「うん。最初は簡単なミッション。半日で終わる。でも、君にとっては初めての本番」
宮園さんは床に座った。
俺も向かいに座った。
「Aletheia Roboticsの活動の中身を、もう少し説明する」
彼女は淡々と話し始めた。
「私たちの目的は世界の構造を作っている側との対峙。具体的には、Synthesis Labsという組織がいる」
Synthesis Labs。
初めて聞く名前だった。
「Synthesis Labsはこの世界を作って運用してる組織。正確には外で活動してる。こっちには現場の管理者を置いてる程度」
「Aletheia Roboticsはこっちで動いてる」
「うん。私たちはこっちでSynthesis Labsの活動を観察して、必要な時に妨害する」
「妨害、というのは」
「彼らが管理してる情報や資料を、こちらの陣営に引き取る」
彼女は俺の目を見た。
「今日のミッションはその回収作業の一つ。郊外の研究機関の倉庫に、Synthesis Labsが保管してる資料がある。それを取りに行く」
「侵入する、ということですか」
「うん。でも、戦闘はしない。バレないように入って必要な分だけ持って、バレないように出る。そういう仕事」
「了解です」
宮園さんは少し笑った。
「君、緊張してるね」
「はい」
「いいよ、それで。実戦は緊張するもの。むしろ緊張しないで動く方が危ない」
彼女は立ち上がって、ホワイトボードの方を向いた。
「同行は四人。君と同期の三人」
「早瀬さん、河合さん、黒瀬さん」
「うん。そして、指揮役を一人つける。彼は君たちより少し先輩。海堂隆という人」
海堂隆。
俺はその名前を初めて聞いた。
「彼、どういう人ですか」
「優秀・実力主義・プライド高め」
宮園さんは笑った。
「君のことを最初は受け入れないと思う」
「なぜ」
「君の能力が彼の能力より強いから」
俺はうなずいた。
宮園さんはホワイトボードに何かを書こうとして、やめた。
「私から言えるのはこれくらい。後は現場で、君が判断して」
「分かりました」
その時、特訓室のドアが開いた。
男性が一人入ってきた。
二十代後半。背が高く肩幅は広め。短めの髪。整った顔立ち。
でも、目に温かさがなかった。
彼は俺を見て、しばらく観察した。
二、三秒の観察だった。
長い観察ではない。でも、その観察は明らかに相手を値踏みする目だった。
「海堂です」
彼は短く名乗った。
俺は立ち上がった。
「遠野です、よろしくお願いします」
海堂は俺の差し出した手を握らなかった。
彼はわずかに首を傾けただけだった。
「よろしくね」
声には温かさはなかった。
ただ、業務的な距離感だけがあった。
「お前が噂のあの人ね」
海堂はそのまま続けた。
「規格外って言われてるけど、俺はまだ認めない」
その言葉は敵意ではなかった。
むしろ警戒だった。
彼は俺の能力を聞いて知っている。
でも、その能力を自分の目で確かめるまで認める気はない。
そういう種類の警戒だった。
俺は彼の言葉に頷いた。
「分かりました」
そう答えるしかなかった。
「明日の朝七時、現地集合。場所はこれからLINEで送る」
海堂はそれだけ言って踵を返し、特訓室を出ていった。
彼の背中の動きは無駄がなかった。
軍人のような訓練された動きだった。
俺は彼の背中をしばらく見ていた。
宮園さんがふっと笑った。
「ね、言ったでしょ」
「はい」
「彼、悪い人じゃないよ。ただ、まだ若い。実力主義の枠組みの中で自分を保ってる」
「分かりました」
「君も、あまり彼に合わせる必要はない。君は君のやり方で動いて」
「はい」
帰り道、駅のホームで俺はノートを開いた。
書いた。
「明日、初めての実戦」
線を引いて、その下に書いた。
「指揮役は海堂隆、28歳・実力主義・プライド高め」
もう一度、線を引いた。
「彼の冷たさは桐生さんと違う形の冷たさだった」
最後の一行を俺はもう一度なぞった。
桐生雅彦の冷たさは温かさの仮面の下にあった。
海堂の冷たさは最初から表に出ていた。
その違いはたぶん、彼ら自身の生き方の違いを示していた。
桐生は何かを隠している。
海堂は何も隠していない。ただ自分のプライドを剥き出しにしているだけだ。
明日、その剥き出しのプライドの中に俺は飛び込む。
実戦初日の前夜、海堂隆の登場回でした。
彼の登場の仕方、握手をしない握手、観察の二、三秒。そういう細部で、彼の人物像を立てました。桐生雅彦の冷たさと、海堂の冷たさの違い。前者は仮面、後者は剥き出し。次回、現場で、その剥き出しの中に主人公が飛び込みます。




