接触、要請
翌日、桐谷からLINEが来た。
いつもの夕方の時間、サークル練習の前だった。
「先輩、今日、サークルの後、少し時間取れますか?」
俺はすぐに察した。
昨日の銀杏並木の話だ。
「取れる」
「家まで送る間でいいので、話したいことが」
「分かった」
短いやり取りだった。
夕方、サークル練習は普段通りに終わった。
葉山が先に体育館を出ていった。一年生たちが「お疲れさまでした」と挨拶して帰っていった。
俺はゆっくり荷物をまとめて最後まで残っていた。
桐谷も最後まで残っていた。
二人で並んで体育館を出た。
日はもう落ちていた。住宅街の街灯が、ぽつぽつと点っていた。
「先輩」
「うん」
「昨日のこと、説明します」
桐谷は歩きながら、前を向いて言った。
「あの人、私の知り合いです。私がちょっと前から繋がりのある人」
「うん」
「先輩のことを、その人に話しました」
俺は足を止めた。
桐谷も足を止めた。
住宅街の角の、小さな公園の前だった。
街灯の光が、桐谷の顔を半分だけ照らしていた。
「先輩のこと、って、何を」
「能力のこと」
俺は息を呑んだ。
桐谷の声はいつもの落ち着いた声のままだった。
責められている感覚はなかった。
でも、俺の中の何かが警報を鳴らしていた。
「桐谷、お前」
「全部は話してません。先輩の名前も、住んでる場所も、サークルのことも、何も言ってません。ただ最近、書き換えに気づき始めた人間がいる、と。それだけです」
「なんで、その人に、その話を」
「その人から訊かれたんです。最近、周りにそういう人いないか、って」
桐谷は俺の目を見た。
「私、嘘がつけませんでした」
「桐谷」
「ごめんなさい。でも、あの人はたぶん先輩と同じ種類の人なんです」
俺はその言葉に頭の中ですべての糸が一瞬で繋がった気がした。
書き換えに応じない人間。
書き換えを「気づく」側にいる人間。
桐谷と、見知らぬ女性。
そして、佐伯先輩。
俺の周りに、もう何人もいる。
「その人、何者なんだ」
「詳しくは、私も知りません。ただ、私が大学に入った頃から、ずっと私のそばにいました」
「ずっと?」
「私が小学生の頃に最初に出会いました。そのときも、私が『書き換えに応じない』ことに気づいた人でした」
俺は桐谷を見た。
彼女の目は真っ直ぐだった。
彼女がこの話を初めて誰かに打ち明けていることが伝わってきた。
「桐谷、その人が、俺に会いたいと言ってるのか」
「はい」
「目的は」
「分かりません。ただ『話してみたい』とだけ」
「危険は」
「ないと思います。あの人は、私を傷つけたことは一度もありません。でも──」
「でも?」
「先輩を、私だけのままに、しておけない予感が、します」
桐谷はその言葉を言った後、少し息を吐いた。
彼女がこの言葉を口にすることに、覚悟が必要だったのが伝わってきた。
俺はしばらく黙って、街灯の光を見ていた。
断る選択肢はあった。
桐谷一人を信じて、その「彼女」とは会わない。
でも、俺はもう後戻りできない場所にいる。
桐谷の知人。佐伯先輩。俺と同じ目をした、複数の人間。
彼らに、いずれ必ず会う。
なら、早い方がいい。
「分かった」
俺は答えた。
「いつ、どこで」
「明日、午後三時。新宿の私が指定するカフェで」
「分かった」
「先輩」
「ん」
「あの人と会った後、先輩はたぶん、変わります」
桐谷は、街灯の光の中で、俺の目を見ていた。
「これは私の予感です。でも、私の予感はたぶん正しいです」
俺は頷いた。
「分かってる」
「私は、先輩の止め役です。これからも、それは変わりません」
「うん」
桐谷はゆっくり頷いて、また歩き始めた。
俺も彼女の隣を歩いた。
駅に着いて、改札で、桐谷は俺の方を一度振り返った。
「先輩、明日、私も同席します」
「お前も来るのか」
「はい。あの人と先輩の間に、私が必要だと思います」
桐谷はそれだけ言って改札を抜けていった。
帰り道の電車で、俺はノートを開いた。
書いた。
「明日、桐谷の知人と会う。三十代女性。書き換えに応じない側の人間」
線を引いて、その下に書いた。
「桐谷は小学生の頃から、その人と繋がっていた」
もう一度、線を引いた。
「俺の周りには、もう何人もいる」
車窓の外の街の灯りが流れていった。
明日、もう一段、世界の深さに踏み込む。
俺はノートを閉じた。
桐谷からの接触要請回。彼女が「私、嘘がつけませんでした」と切り出す瞬間、書きながら自分も少し動揺しました。
「先輩を、私だけのままに、しておけない予感が、します」、桐谷の止め役としての覚悟と、それ以上の感情の混じった一言。彼女が小学生の頃から、すでに「書き換えに応じない」自覚があったという情報も、ここで初めて出ました。
次回、主人公はその「彼女」と会います。




