表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/24

カフェに、影が差す

 翌日、俺は四人でCafé Letheの近くの公園に集まった。

 昨日のバグDの発見を、共有する必要があった。

 南は録画データの追加分析を持ってきた。葉山は何度も「マジっすか」と確認していた。桐谷は静かに俺の話を聞いていた。

「世界は、書かれた通りになる、ですね」

 南は決め台詞をそのままノートに書き留めていた。

「これ、応用範囲がすごく広いですよ。先輩、何でも書き換えられるんじゃないですか」

「分かってる。だから、慎重に使わないといけない」

 俺は答えた。

 桐谷は黙って頷いた。

 彼女は、書き換えに応じない人間として、いちばん俺の暴走を警戒していた。

 それでいい。それが彼女の役割だ。

 集まりが解散した後、俺はバイトに向かった。

 午後四時、Café Letheに入って、エプロンをつけた。

 いつもの平和な午後だった。

 常連のおじいさんが新聞を広げていた。スーツのサラリーマンがコーヒーを買って帰っていった。学生らしい二人組が窓際で笑っていた。

 俺はカウンターでオーダーを取りながら、頭の中でバグDの応用例を考えていた。

 使わない練習。それを、しないといけない。

 あれだけ強力なバグだ。日常の小さな不便のたびに使い始めたら、俺はすぐに人間ではなくなる。

 午後五時頃、店のドアの鈴がいつもと違う音で鳴った。

 いつもは客が入ってくる時、鈴の音は軽い。

 今日のそれは、なぜか重い音に聞こえた。

 顔を上げた。

 見慣れない男が立っていた。

 四十代くらい。背の高いスーツの男。髪はきれいに撫でつけてある。靴が、明らかに高そうだった。

 男は店内を一度ゆっくり見渡してから、カウンターに近づいてきた。

「すみません、店長さんはいらっしゃいますか」

 声は丁寧だった。だが、丁寧の中に、何かが混じっていた。

 俺は店長を呼びに行った。

 店長は厨房から出てきて、男の前に立った。

 男は内ポケットから名刺入れを取り出して、名刺を一枚、店長に差し出した。

「グランデ・コーヒーの山岸と申します」

 店長の手が、名刺を受け取った瞬間、ほんの少しだけ震えた。

 俺はカウンターの内側で、その様子を見ていた。

 山岸は笑顔だった。

 でも、その笑顔は口元だけで作られていた。目は、店内の備品の一つひとつを値踏みするように動いていた。

「お時間、少しよろしいでしょうか。少しお話ししたいことがあります」

 店長は店内の客の方を見て、頷いた。

「あ、はい。奥のテーブルへどうぞ」

 二人は奥の四人席に移動した。

 俺はカウンターから、彼らの姿を遠目に見ていた。

 会話は聞こえなかった。

 でも、店長の表情は、見ていれば分かった。

 最初は普通の応対の顔。

 徐々に困った顔。

 最後の方は、青ざめた顔。

 山岸はずっと笑顔のままだった。

 二十分ほどで、山岸は席を立った。

 店長と一緒にドアまで歩いてきた。

「では、また二週間後に。考えておいてください」

 山岸は穏やかな声で言った。

「お返事、期待しています」

 ドアの鈴が、また重い音で鳴った。

 山岸が出ていった後、店内は急に静かになった。

 店長は俺の前を通り過ぎて、厨房に入った。

 俺はオーダーを取り終えてから、厨房に入った。

 鏑木さんも来ていた。

 店長は、シンクの前で立ち尽くしていた。

 名刺をまだ手に持ったままだった。

「店長」

 俺は声をかけた。

 店長は俺を見た。

「ごめんね、なんでもないの」

 店長は微笑もうとして、失敗した。

 名刺の文字が俺の位置からも見えた。

 「企画部長 山岸 義仁」と書いてあった。

 鏑木さんが、ゆっくり口を開いた。

「グランデ・コーヒーが、買収の話を持ってきたんですか」

 店長は頷いた。

 俺は息を呑んだ。

 鏑木さんは知っていた。

 いや、正確には、こういうことが起きる可能性を予測していた。

「店長、買い取り価格は?」

 鏑木さんは静かに訊いた。

 店長はしばらく黙ってから、口を開いた。

「四千万」

「Café Letheの土地と建物、含めて?」

「ええ」

 鏑木さんは息を吐いた。

「相場の半分以下ですね」

「うん」

 店長は目を伏せた。

「でも、断れない。私、この店のために結構、借金してるの。今のままだと二年以内に自然に潰れる。山岸さんは、それを知ってて来てる」

 俺は何も言えなかった。

 店長の顔は、すでに何かを諦めかけていた。

 でも、その諦めの中に、まだ、わずかに、希望が残っていた。

 鏑木さんは俺の方を見た。

「遠野」

 名前を呼ばれた。

「お前、何か考えてないか」

 鏑木さんの目は真剣だった。

 俺は、しばらく考えてから答えた。

「考えてます。たぶん、店を、守れます」

 店長が、顔を上げた。

 俺の目を、まっすぐ見た。

「遠野くん、何を、考えてるの」

「まだ、言えません。でも、二週間あれば、何とかします」

 店長は、何も言わなかった。

 ただ、目に涙が薄く滲んでいた。

 俺は、頭を下げて、カウンターに戻った。

 心臓が、ふつふつと、燃え始めていた。

 俺は、初めて、能力を、誰かを守るために使うつもりになっていた。

 今までは、自分のために使ってきた。コンビニ店員、教授、サークル仲間。書き換えの目的は、自分の都合の改善だった。

 今度は違う。

 店長を救う。

 Café Letheを守る。

 その動機はたぶん正しい。

 でも、その「正しい動機」こそが、いちばん危険なのかもしれなかった。

 誰かを救うためなら何をしてもいい、という考えに踏み込みかけている自分が見えた。

敵キャラ・山岸義仁の初登場回。書きながら、俺もカフェの空気が冷たくなる感覚を味わいました。

丁寧な笑顔で、目だけが値踏みしている男。重い鈴の音、店長の震える手、青ざめていく顔。派手化方針の「明示的な敵」の最初の本格的な姿です。

そして、主人公が初めて「能力を守るために使う」動機を持った瞬間。次回、佐伯先輩の手がかりに少しだけ近づきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ