世界は、書かれた通りになる
月曜日の朝、目覚まし時計が鳴る前に俺は起きていた。
今日は四人で月曜日のループを観察する日だった。
南が機材を持ってくると言っていた。葉山と桐谷もそれぞれの観察ポイントを決めていた。
俺は朝の準備をしながら、頭の中でその日の動きを整理した。
駅前の交差点。八時十二分。ホームの位置。電車の中の乗客。学食の鯖の塩焼き。コンビニのスーツの女性。十一時十五分。先週と同じ時刻に、同じ場所で、同じ出来事が起きるはずだった。
南には事前に観察ポイントをLINEで送ってあった。
葉山には「お前は普通に生活してくれればいい。俺たちが観察する」と伝えた。
桐谷には、いちばん難しいポイントを頼んでいた。コンビニのスーツの女性。書き換えに応じない桐谷の目で、彼女の動きを正確に記録してほしい。
駅前の交差点で、八時十二分にスマホを見るサラリーマンを、南が録画した。
ホームに八時十二分に立つ俺の周りには、先週と同じ人々がいた。葉山がその様子を、ちょっと離れたベンチからスマホで撮っていた。
学食の鯖の塩焼き。先週と同じ焦げ目。先週と同じ米の炊き加減。
南が「再現性、かなり高いです」とLINEで送ってきた。
俺は黙ってトレーを返却口に運んだ。
十一時十五分。
大学のコンビニ。
俺はレジに並んだ。
桐谷は店の外で、ガラス越しに中を見ていた。
その時、自動ドアが開いて、スーツの女性が入ってきた。
先週と同じ髪型、先週と同じスーツ、先週と同じレジ袋を断る頷き方。
桐谷は、その全てを目で追っていた。
俺は、桐谷の目を、見ていた。
彼女は、無表情だった。
書き換えに応じない人間の目で、世界のループを、正確に観察していた。
昼過ぎ、四人で公園のベンチに集まった。
南がノートパソコンを開いて、録画データを比較していた。
葉山は「マジっすよ、これマジっすよ」と興奮していた。
桐谷はスーツの女性の動きを、メモに書き起こしていた。
「再現性、九十パーセント以上です」
南は淡々と言った。
「先週との差分は、若干の誤差程度。NPCの行動パターンが、ほぼ完全にループしている可能性が高い」
葉山が「マジっすか!じゃあ俺たちも、毎週同じことしてるんすかね」と訊いた。
南は首を振った。
「俺たちは違う。先輩の影響を受ける範囲だけ、書き換わる。それ以外は、ほぼ同じパターンを反復している」
桐谷は何も言わなかった。
ただ、メモを見ながら、薄く頷いていた。
午後三時、俺はバイトに入った。
Café Letheの厨房で、シフト表を見ていた。
今週のシフト。先週のシフト。先々週のシフト。壁の隅に貼ってある、A4の薄い紙だった。
ふと、思いついた。
もし、シフト表に「先週水曜は俺ではなく葉山がシフトに入っていた」と書き込んだら、どうなるか。
葉山はバイトメンバーではない。実際に水曜にシフトに入っていたのは俺だった。
でも、書き換えてみる価値はあった。
ペンを取った。
先週水曜の俺の名前を消して、葉山の名前を書いた。
──ペン先が紙に触れた瞬間。
書いた文字が、書かれていたかのように、馴染んだ。
インクの乾き方が、まるで先週から書かれていたみたいだった。
世界が、俺の手書きを過去として受け入れた。
俺は息を呑んだ。
その瞬間、何かがたしかに動いた。
しばらくして、店長が厨房に入ってきた。
「遠野くん、今週のシフト確認したいんだけど」
俺は振り返った。
「はい」
「あ、そうそう、先週水曜って、葉山くんに代わってもらったんだったよね」
店長は何の疑問もなく言った。
俺は黙って頷いた。
店長の中では、先週水曜は「葉山がシフトに入っていた日」になっていた。
俺は、何も書き換えていない。
ただ、シフト表の文字を、書き換えただけだった。
でも、店長の記憶も、付随して書き換わった。
厨房の入口で、鏑木さんが俺を見ていた。
目が合った。
鏑木さんは何も言わなかった。
でも、彼の視線は「お前、また何かやったな」と言っていた。
俺はうなずいて、シフト表をもう一度見た。
書いた文字は、もう完全に、先週のインクのように見えた。
夜、シフトが終わって、家に帰った。
ノートを開いて、書いた。
「バグD:記録優先」
線を引いて、その下に書いた。
「特定の記録を書き換えると、世界の側がそれを過去として受け入れる」
もう一度、線を引いた。
「世界は、書かれた通りになる」
ペンを置いて、俺は天井を見上げた。
怖かった。
バグCは、相手の頭の中を書き換えるバグだった。
バグDは、世界そのものの記録を書き換えるバグだった。
それは、もっと根本的な力だった。
俺は、世界の事実を、ペン一本で書き換えられる。
桐谷から、短いLINEが来ていた。
「先輩、今日、何かしましたよね」
俺は少し迷ってから、返した。
「うん。明日、四人で集まろう」
桐谷の返信は、すぐに来た。
「分かりました」
窓の外で、夜の風が、いつもと変わらず吹いていた。
バグD「記録優先」発見回。シフト表に書き込んだ瞬間に世界が馴染む、書きながらゾクッとしました。決め台詞「世界は、書かれた通りになる」もここで初出です。
四人での月曜日ループ観察、それぞれの役割が立ち上がる場面でもありました。桐谷の「書き換えに応じない目」がコンビニのスーツの女性を観察する瞬間、彼女の存在の意味が一段深くなりました。
次回、平和な日常に、知らない男が訪れます。




