表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/19

試して、みる

 翌朝、目が覚めた瞬間、俺は決めていた。

 今日から、世界を試す。

 昨日の仮説——この世界はRPGだ——が正しいかどうか能動的に確認する。

 まずはバイトのシフトに入る前に一つだけ実験することにした。

 大学に向かう途中、駅前のコンビニに立ち寄った。

 いつも買うペットボトルの茶を選んで、レジに持っていった。

 会計をしてくれる店員は二十代前半の若い男だった。胸の名札に「研修中」のシールがまだ残っていた。手元の動きに、ベテランにはない少しの硬さがあった。

 俺は普段なら言わない一言を口の中で準備した。

 仮説:俺の言葉に対して相手は過剰に反応する。

 検証:意図的に効かせやすい一言を選んで、相手の反応を観察する。

「これ、いつも美味しいですよね」

 俺は適当な世間話を口にした。

 店員は一瞬、目を上げた。

 俺と目が合った瞬間、店員の表情がほんの少しだけ柔らかくなった。

「あ、はい。これ、人気ですよ」

 店員は答えた。バーコードを読み取る手の動きが、少しだけ遅くなった。

 いつもなら、店員は俺の顔を見ない。「ありがとうございました」だけ言って、次の客に進む。

 今日は、目を合わせて答えた。

「最近、新しい味も出たんですよ。後ろの棚にあります」

 店員は頼んでもいないのに、商品の情報を教えてくれた。

 俺は会計を済ませて、コンビニを出た。

 歩きながらノートを開いた。

 書いた。

 「実験1:成功。意図的に話しかけた相手が明らかに過剰に反応した」

 大学を抜けて、バイトに向かった。

 Café Letheに着いて、エプロンをつけた。

 今日のシフトは、夕方四時から夜十時まで。客の入りが多い時間帯だった。

 観察と実験を、できる限り続けるつもりだった。

 午後五時頃、いつものサラリーマンがコーヒーを買いに来た。先週、俺がバグAを自覚するきっかけになった、あの常連だ。

 俺は普通に応対しながら、もう一つ実験をした。

「お仕事、お疲れさまです」

 いつもなら言わない一言。

 サラリーマンは、ふっと笑った。

「いやあ、今日も長くてさ」

 会話が始まった。

 いつもより長く続いた。先週のように、彼は息子に話すような口調で俺に話しかけた。

 俺は適切に相槌を打ちながら、心の中で記録していた。

 彼の表情の変化、声のトーン、コーヒーを受け取る手の動き。全部、俺の言葉に過剰に反応している。

 検証:成功。

 夜八時頃、休憩時間に厨房に入った。

 鏑木さんが、シンクの脇でグラスを拭いていた。

「鏑木さん」

 俺は呼びかけた。

 鏑木さんは顔を上げずに答えた。

「ん」

「最近、自分の声が、人にどう届いてるか、気になってて」

 俺は遠回しに言った。

 鏑木さんは手を止めて、俺を見た。

「で、結論は?」

 いつもの口癖だった。

「過剰に届いてる気がします。普通の人より明らかに」

 鏑木さんは、ゆっくり頷いた。

「お前、そういうの、いつから気にしてた」

「最近です」

「ふうん」

 鏑木さんは、また手を動かし始めた。

「気にし始めると、止まらないぞ」

 俺はその言葉の意味を、しばらく考えた。

 鏑木さんは、何かを知っているのだろうか。

 あるいは、ただ俺の様子に気づいて、声をかけてくれただけなのか。

 どちらでも、俺は鏑木さんを違和感リストに入れたくないという気持ちが強かった。

 もし鏑木さんも世界の設計の一部なのだとしても、それを確かめてしまえば、俺の側の何かが決定的に折れる気がした。

 シフトが終わって、エプロンを外した。

 帰る前に、桐谷からLINEが来ていた。

「先輩、今日、バイト終わってから少しだけ話せます?」

 俺はOKと返した。

 Café Letheの近くの公園で、待ち合わせた。

 桐谷は、ベンチに座って俺を待っていた。

 俺は隣に座った。

 公園は静かだった。街灯が一本だけベンチの少し離れたところで点いていて、その光がベンチの片側だけを照らしていた。桐谷の顔の半分は影になっていた。

「先輩、最近、何か、始めようとしてますよね」

 桐谷の声は静かだった。

 責めているのではなく、確認しているだけの声だった。

「うん」

 俺は短く答えた。

「何を始めるかは、まだ言えない」

「分かりました」

 桐谷はそれ以上は訊かなかった。

 しばらく、二人で公園のベンチに座っていた。

 夜の風が冷たかった。遠くで車の音がした。

「ただ」

 桐谷はゆっくり口を開いた。

「先輩、無理しないでください。何か、辛くなったら、私に言ってください」

 俺は頷いた。

「ありがとう」

 その言葉は、たぶん、俺がこの四日間で初めて心から出した言葉だった。

 桐谷は小さく笑って、立ち上がった。

「じゃあ、また」

 桐谷は駅の方に歩いていった。

 俺はベンチに残って、夜空を見上げた。

 星が、いくつか見えた。

 明日も、世界を試す。

 明日からは、もっと深い実験に進む。

 俺の言葉が世界に過剰に効くなら——

 他のバグも、必ずある。

 俺は、立ち上がった。

 今日が、本当の意味の始まりだった。

第一部完結回。

能動的に世界を試し始める主人公、鏑木さんの「気にし始めると、止まらないぞ」、桐谷の「先輩、無理しないでください」。それぞれに重みがあります。

次回から第二部です。主人公が、世界を「書き換える側に回ります。長い物語のはじまりに立ち会ってくださって、ありがとうございます。


明日からは毎日投稿です!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ