第35話:累積債務一万年の延滞利息
執務室に漂う沈黙は、もはや物理的な質量を持っているかのようだった。
監査官アストラが提示した「一万年分の延滞利息」――それは、この惑星を構成する全原子を金に変えて支払っても到底足りない、文字通りの絶望を意味する数字だ。
「……エリシア・アストライア。貴女の異議申し立てを再計算しましたが、結果は変わりません」
アストラの銀色の瞳に、淡々とログが流れる。
「管理契約の署名は不要です。……銀河法典第1条によれば、『知的生命体が発生した星系は、自動的に管理サービスの受益者となる』と定められています。
……一万年間の複利を合算し、直ちに支払いを開始してください」
「複利、ですか」
私は、手元の計算機のキーを叩き、アストラが提示した数式をモニターに展開した。
$$A = P \left(1 + \frac{r}{n}\right)^{nt}$$
「アストラさん。……貴女の計算式は美しいですが、**『通知の遅延』**という変数が抜け落ちていますね」
「……通知の遅延?」
「ええ。……地上の商法、およびノアール暫定法によれば、債権者が支払いを請求するには、まず『請求書の送付』という法的手続きが必要です。
……一万年間、一度も請求書を送らず、一度も催促を出さなかった。
……これは債権者側による、明白な**『通知義務の不履行』**です」
私は、窓の外に浮かぶ衛星『アイ・オブ・ノアール』からのログを提示した。
「貴方がたが言う『管理サービス』の契約内容が、惑星の深層意識に隠されていたとしても、それは住民が認識できる形式ではありません。
……よって、支払期限が未設定の債務に対して『延滞利息』を発生させることは、法的に不可能です」
「…………」
「さらに、申し上げましょう。
……この債権、すでに**『消滅時効』**を迎えています」
アストラの動きが、一瞬だけ止まった。
「地上の法律では、一般的な債権の時効は五年から十年。
……百譲って宇宙の基準に合わせたとしても、一万年間も請求を放置した以上、貴方がたは『権利の上に眠る者』と見なされます。
……法は、権利を行使しない者を保護しません」
「……この星の法律を、銀河管理機構に適応させるつもりですか?
……私たちが物理的な『初期化』を執行すれば、貴女の法律など塵に消えるのですよ」
アストラの言葉は脅しではなく、淡々とした事実だった。
だが、私は微笑みを崩さなかった。
「『初期化』ですか。
……どうぞ、やってみてください。
……ただし、その瞬間に貴女の組織は、『一万年分の管理コスト』という巨大な不良債権を、永遠に回収不能(貸し倒れ)として処理することになります」
私は、銀河管理機構の「運営効率」を突いた。
「この星を滅ぼせば、貴女の評価に傷がつくのではありませんか?
……管理を怠り、住民と適切な契約も結べず、最終的に全額未回収で資産を廃棄した。
……これは、銀河の監査官として『職務怠慢』の極みです」
「…………っ!」
「私なら、もっと『合理的』な解決策を提示できますよ。
……アストラさん。
……一万年前の古い請求書はゴミ箱に捨てて、今日から始まる**『新規の運営コンサルティング契約』**を結びませんか?
……管理(支配)されるのではなく、私たちが貴方がたの『宇宙のインフラ』を最適化してあげるのです」
神の使いである監査官が、初めて「一人の事務官」に圧倒され、演算エラーのような沈黙に陥った。
宇宙の法が、エリシアの「実務」という重力に引きずり込まれた瞬間だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「神の請求」を「通知不足」と「時効」で門前払いするエリシア。
どれほど高次元の存在であっても、
「一万年も放置してた方が悪い」という正論には抗えません。
事務処理のプロが神を論破するカタルシス、楽しんでいただけたでしょうか。
次回、第36話。
アストラはエリシアの提案を持ち帰り、
ついに銀河規模の『宇宙法廷』が開廷されます。
被告:銀河管理機構、原告:エリシア。
「神を訴える令嬢」の、前代未聞の訴訟が始まります。
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