第34話:天の監査官(アストラ)の降臨
衛星『アイ・オブ・ノアール』が、成層圏の外側に「未知の巨大質量」を検知した。
それは魔導船でも飛竜でもなく、物理法則をあざ笑うかのように無音で降下し、ノアール中央銀行の屋上ヘリポートへと、静かに着陸した。
現れたのは、光り輝く銀の衣を纏った、感情の機微を一切感じさせない無機質な美女。
彼女は、アイザック所長が開発した最新鋭の防御結界を、まるで存在しないかのように通り抜け、私の執務室へと足を踏み入れた。
「――この惑星の現管理者、エリシア・アストライアと推測します」
彼女の声は、鼓膜を震わせるのではなく、直接脳内に「データ」として流し込まれた。
「私は銀河管理機構、第72監査セクター所属。監査官アストラ。……本日は、この惑星『テラ(仮称)』の長期滞納債務の最終勧告に参りました」
彼女が虚空に手をかざすと、私のデスクの上に、天文学的な数字が並んだ「黄金のホログラム」が表示された。
> **【惑星維持管理費:請求明細】**
> 1. **地磁気維持および軌道安定サービス:** 10,000サイクル分
> 2. **大気組成保護・生物進化ブースト費用:** 過去一万年分
> 3. **宇宙放射線シールド・メンテナンス料:** 実費
>
> **合計請求額:** マナ・クリスタル 500,000,000,000 単位
> **支払期限:** 地球時間にて本日二十四時まで。
「滞納期間は一万年。……支払いが不可能な場合、この惑星は『債務超過資産』として強制売却の対象となり、全エネルギーを回収の上、初期化されます」
セラフィナが、あまりのスケールに意識を失いそうになり、壁に手をつく。アイザック所長ですら「神の請求書かよ……」と呆然としていた。
だが、私は眼鏡の位置を直し、手元の端末で「過去一万年の惑星データ」と、目の前のホログラムを照合し始めた。
「……アストラ監査官。……非常に興味深い数字ですが、一点、致命的な『会計上の不備』を指摘させていただきます」
「……不備? 銀河管理機構の計算にミスは存在しません」
「いいえ。……この請求書には、**『発注者の署名』**がどこにも見当たりません」
私は、アストラの目の前に「無署名の契約書」という法的欠陥を突きつけた。
「一万年前、誰が貴方にこのサービスを依頼したのですか? ……地磁気の維持も、大気の保護も、当時の住民は誰も望んでいないし、契約も交わしていない。……これは貴方がたが勝手に行った『押し売り(押し付けの保守作業)』ではありませんか?」
「……宇宙の安定を維持するのは、上位管理者の義務です。……受益者は、その対価を支払う義務がある」
「『受益者負担の原則』を主張されるなら、そのサービスの『品質保証(SLA)』を証明してください。……記録によれば、一万年間のうちに隕石の衝突が三回、氷河期が二回発生しています。……管理が行き届いているとは言い難いですね。……むしろ、管理放棄による損害賠償をこちらが請求してもいいくらいです」
アストラの銀色の瞳が、初めて戸惑ったように明滅した。
彼女の長い歴史の中で、神の請求に対し「サービス品質」でクレームを付け、逆監査を仕掛けてきた生命体など、一人もいなかったのだ。
「……大気成分の変動に伴う『生態系損失の逸失利益』。……そして、一万年間にわたる『サービス未提供期間』の減額。……これらを差し引けば、むしろ貴方がたが我々に『迷惑料』を支払うべきではありませんか?」
「…………計算を再開します。……原始生命体に、論理的な異議申し立てを受けるとは……」
「私は、不透明な請求書をそのまま通すほど、甘い経営者ではありませんよ。……さて、アストラさん。……お互いの帳簿を、徹底的に突き合わせましょうか?」
宇宙の管理者と、地上のCEO。
星の運命を懸けた、史上最大の「契約交渉」が幕を開けた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
神の如き「天の監査官」を前にしても、
「発注者の署名がない」と事務的に突っぱねるエリシア。
どれほど巨大な存在であっても、「事務手続き」というルールからは逃れられない――。
彼女の不敵なリアリズムを楽しんでいただけたでしょうか。
次回、第35話。
アストラが提示した「一万年の延滞利息」。
エリシアは「時効」と「管理責任の欠如」を盾に、
神を「不当請求の被告」として追い詰める、逆転の論理を展開します。
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