第25話:命の相場と、リスク・マネジメント
南大陸の特使ハクアが来航して一週間。ノアールの裏路地では、不穏な「闇市場」が急速に膨れ上がっていた。
借金に苦しむ者や、一攫千金を狙う若者たちが、自らの「寿命」をハクアの提供する『ライフ・クレジット』へ換金し始めていたのだ。
「お嬢様、これ以上は看過できないわ。……港湾地区の労働者が、三年の余命と引き換えに大金を得て、そのまま失踪するケースが多発している。……労働力の流出が、ノアールの生産計画を直接的に阻害し始めているわ」
セラフィナが、怒りに震えながら「寿命売買」の相場表を突きつける。
「『自由意志による取引』を謳い、ノアールの法を潜り抜けているつもりでしょうが……。……ハクア特使、詰めが甘いですね」
私は、カイルムを伴い、闇取引の拠点となっている廃倉庫へと向かった。
そこには、生体帝国の刻印が入った換金機を前に、恍惚とした表情で「寿命」を差し出す群衆と、それを冷徹に眺めるハクアがいた。
「エリシア総裁。……止めるのは無駄ですよ。……人間は、未来の不確実な百日より、今日の一枚の金貨を欲する生き物だ。……これは、需要と供給が一致した『完璧な市場』だ」
「市場としては三流ですね。……ハクア特使。……貴方は『取引の成立』しか見ていない。……その後の『リスクの所在』を計算していないのですか?」
私は、背後に控えるベルベットに合図を送った。
倉庫の壁面に、巨大なホログラム――**『ノアール公共生命保険・年金基金』**の設立公示が映し出される。
「……何だ、これは?」
「本日より、ノアール領内の全住民に対し、強制加入の『生命保険』を導入しました。……内容は極めてシンプルです。……住民が寿命を外部に売却した場合、それは『自己過失による資産価値の毀損』と見なし、本人が保有する全財産を『将来の介護コストの担保』として即座に差し押さえます」
「……はあ!? 自分の命を売って、なぜ財産を没収される!」
換金機に並んでいた男が叫ぶ。
「理由は簡単です。……貴方が寿命を短縮させることは、ノアール政府が将来得るはずだった『所得税』と『労働力』を盗む行為に他ならない。……いわば、貴方はノアールの共有財産を勝手に損壊した『賠償責任』を負っているのです」
私は、ハクアが発行したライフ・クレジットの「再評価」を宣言した。
「さらに、ハクア特使。……貴方のライフ・クレジットに対し、ノアール銀行は1,000%の**『生体リスク関税』**を課します。……このクレジットをノアール国内で使用する場合、その価値の9割を『社会保障維持費』として没収する。……結果、貴方の通貨の購買力は、この瞬間から路上の石ころ以下になりました」
「……っ、経済学を……命の尊厳よりも優先するというのか!」
「逆ですよ。……命を安売りさせないための、最も強力な『防壁』を築いたのです。……ハクア特使、貴方のビジネスモデルは、ノアールの『保険数理』の前ではただの不良債権です」
換金機に並んでいた人々が、一斉に逃げ出し始める。
寿命を売っても、手に入るのは「使えない紙屑」と「全財産の没収」だけ。……そんな不採算な取引に手を出すほど、ノアールの民は愚かではない。
「……流石ですね。……命さえも『損害賠償』の枠組みで縛り付けるとは。……ですが、エリシア総裁。……魔力枯渇は止まらない。……貴女の『数字』が、いつまで物理的な限界(飢え)を抑え込めるか見物だ」
ハクアは冷笑を残し、闇の中に消えた。
私は眼鏡を直し、手帳の「リスク管理」の項目にチェックを入れた。
次は、この「命のエネルギー」に代わる、真のクリーン・エネルギーの創出。
私の戦いは、ついに熱力学の領域へと踏み出そうとしていた。
第25話をお読みいただき、ありがとうございます。
命の売買を「道徳」で禁じるのではなく、「保険」と「徴税」で不採算化させる。
これこそが、エリシア流の「命の守り方」です。
「貴方の命は、国家にとっても重要な資産である(だから勝手に壊すな)」
という冷徹かつ巨大な愛(?)を感じていただけたでしょうか。
次回、第26話。
新大陸の技術を無断で模倣し、再起を図る旧アストライア貴族たちが登場。
エリシアが、国家規模の『知的財産(IP)裁判』を開廷します。
「パクった方が得」という甘い考えを、天文学的な「ロイヤリティ」で粉砕。
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