第44話 再会
霧が低く垂れこめる朝。東の空に淡い光が差し込み、魔王城の尖塔を銀色に染めていた。
ルシアは、重い心を抱えて城の門前に立つ。
手には小さな荷物ひとつ。懐かしい冒険者ギルドの日々を思い出し、従兄のグレンと生きるための決意を胸に、彼女は一歩を踏み出した。
「……もう、逃げない。自分で道を選ぶ」
幼い頃の無邪気さではなく、大人の覚悟がそこにあった。
城の門は閉ざされ、巨大な黒い衛兵が影のように立ちはだかる。
ルシアは怯まず、低くはっきりと言った。
「私はルシアです。イーリャ様に会いに来ました」
衛兵は無言で彼女を見下ろす。小さな人間の少女が、この冷たい城に足を踏み入れることなど通常あり得ない。
しかし、ルシアの瞳には恐怖よりも、強い意志が宿っていた。
衛兵はしばらく考えるように立ち尽くしたあと、奥の廊下を指さす。言葉はなくとも「ここから先は覚悟がいる」と告げていた。ルシアは静かに頷いた。
城内に入ると、空気は冷たく、石の匂いが鼻を刺した。長い廊下を歩くたび、過去のことが無性に思い出された。しかし振り返ることはしない。
目の前には、今の自分が選ぶ未来しかないのだ。
大広間の扉の前で立ち止まった。
厚い木製の扉は微かに軋み、ルシアの心臓も一緒に震えた。声を潜めて呼ぶ。
「イーリャ……」
廊下の奥、黒髪と金色の瞳を持つ少年ーー魔王の末子イーリャが振り返った。人間界で「イリア」と名乗っていたあの小さな少年だ。冒険者ギルドで出会ったあの日の面影が、確かにそこにある。しかし今は、魔王城に立つ魔族の末子としての威厳を小さな背に秘めていた。
「……ルシア?」
イーリャの声には驚きと安堵が入り混じっていた。ルシアは小さく息を整え、震える手で荷物を抱えながら一歩前に出る。
「イーリャ、私……もう神殿には戻らない。グレンと生きていくの。だから、お願いがあるの」
イーリャは、しばらく沈黙したままルシアを見つめる。
その瞳には、驚きだけでなく、守らなければならない者への責任の色が浮かんでいた。
「……グレンの目を、治してほしいの」
ルシアの声は震えながらも真剣だった。暴動の光により視力を失った従兄が、再び世界を見られるようにしたい。幼い少女の願いではなく、大人の決意から発せられた祈りだった。イーリャは眉を寄せ、深く息をつく。冷たい空気の中、二人だけの温度が確かに存在する。
「……わかった」
その短い言葉に、ルシアの肩の力がわずかに抜けた。
イーリャは静かに歩み寄り、ルシアが差し出した小さなクリスタルに手をかざす。柔らかな光が揺れ、城内に温かい光が広がる。闇に沈んでいた視界が少しずつ明るさを取り戻すような感覚ーー完全な治癒ではなくても、これでグレンは再び光を感じられるはずだった。
「でも……危険だよ。人間が魔族の城に来るなんて、普通は許されない。今はこちらも混乱していたから、入れただけだ」
ルシアは小さく笑い、目を輝かせる。
「それでも、私は自分で選んだんです。グレンと生きる未来を」
イーリャはその瞳を見据え、深く頷いた。長く冷たい廊下の空気の中で、二人の決意が確かに刻まれる瞬間だった。




