表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/50

第30話 聖女と勇者

 ーー次の日の朝、聖女と、神の信託により選ばれた勇者が出会った。


 夜明けの光が窓から差し込み、白い大理石の床に淡くく広がっていた。

 静まり返った神殿には、香の煙がゆるやかに漂っっていた。             、      


 壁面には、古の光と闇の伝承を伝えた彫刻が刻まれ、朝日に照らされて浮かび上がっていた。

 勇者レオンは、その中央に立っていた。

 これまで幾度も剣を振るい、幾度も死線を越え、数え切れぬ人々と出会ってきた。裏切りもあれば、友情もあった。歓喜もあれば、絶望もあった。だが、その経験のすべてをもってしても、今、目の前に立つ少女に対する感覚をうまく言葉にできなかった。

 聖女ルシア。

 神殿が神託によって選び出した、十八歳ほどの乙女だという。

 純白の法衣に身を包み、背に流れる金色の髪は朝の光を受けて柔らかく輝いている。茶色の瞳は澄んでおり、濁りのない泉のようだった。肌は白く、整った顔立ちは誰が見ても美しいと言うだろう。

 だがーー


 その口元が、わずかに半開きなのだ。

 まるで何かを言いかけているようで、あるいはぼんやりと夢の続きを見ているようで、きゅっと結ばれることがない。幼さの残るあどけない唇と、完成された美貌との間に、微妙なずれがある。

 その小さな違和感が、レオンの胸にひっかかっていた。


(なぜだ……?)


 敵意は感じない。邪気もない。だが、何かが噛み合っていない。


 ルシアは、レオンの視線に気づくと、ゆっくりと瞬きをした。そして、半開きの唇のまま、少しだけ首をかしげる。


「……ゆうしゃ、さま?」


 声は鈴のように澄んでいた。しかし、どこか現実味が薄い。まるで、遠いところから響いてくるような声音だった。


 その瞬間、レオンは理解した。


 この少女はーー地に足がついていないのだ。

 神に選ばれ、神の言葉を聞く存在。常に人の祈りの中に身を置き、俗世から切り離されて育てられてきたのだろう。人としての温度よりも、神の器としての役割を優先されてきたに違いない。

 だからこそ、美しさの中に生活の匂いがない。

 完成されすぎているのに、どこか欠けている。

 レオンは一歩前に出た。甲冑が静かに鳴る。

 そして、はっきりとした声で告げた。

「聖女、我らは、これから神託のために魔族を見極めにいきます」

 神殿の奥に控えていた神官たちが息をのむ。魔族ーーそれは今、大陸を揺るがす存在。滅ぼす敵か、それとも神が『見極めよ』とレオンに命じた存在か。神託は曖昧であり、その真意を確かめる必要があった。

 ルシアはしばらく黙っていた。

 茶色の瞳が、ゆっくりとレオンを見上げる。半開きの唇が、わずかに震えた。


「……みきわめる?」


 その言葉には、恐れも憎しみもなかった。ただ、純粋な疑問があるだけだった。

 レオンは頷いた。


「そうです。敵と定める前に、真実を知る。それが神託に選ばれた勇者の務めです」


 しばしの沈黙。

 やがて、ルシアの口元が、ほんのわずかに動いた。今度は半開きではない。小さく、だが確かに閉じられ、そして意志をもって開かれる。


「……わたしも、いきます」


 その瞬間、レオンの胸の違和感が、わずかに形を変えた。

 この少女は空虚なのではない。

 まだ、何も知らないだけだ。

 祈りの外にある世界を。

 血の匂いも、泥の重さも、人の弱さも。

 それを知ったとき、彼女の半開きの唇は、どんな言葉を紡ぐのだろうか。

 朝の光が強くなる。

 神殿の扉が、ゆっくりと開かれた。

 勇者と聖女は、並び立つ。

 神に選ばれた二人の歩みが、今、静かに始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ