19 香り漂う台所
野菜を切って具材を入れて、ぐつぐつと煮込んだあとに、ルーを入れて再び弱火で加熱する。これでカレーの出来上がりだ。
時間はかかるが、至って簡単な料理である。
だというのにそれなりに美味しいから、個人的にかなり好きな料理の一つだ。
「わ~、いいにお~い」
穂乃実が手で仰ぐようにしてカレーの匂いを嗅いでいる。
鍋から立ち上る湯気と共に、スパイシーな香りが台所いっぱいに広がっているから、特に仰ぐ必要はないと思うが、本人が満足そうなので何も言わないでおく。
それにしても、腹ペコなのも相まってか、この独特のスパイシーな香りがやけに食欲をそそる。
祖母はまだ戻ってきていないが、先に食していてもいいだろうか。
と思った矢先、ドアが開き、祖母がのそのそと部屋の中に入ってきた。
「おや穂乃実ちゃん、いらっしゃい」
「あ、お邪魔しましてます」
穂乃実もくるりと振り返り、元気よく挨拶を返す。
「カレー、出来たかの?」
「うん、今出来たところ」
「そうかい。外まで匂いがきてたもんだから、そろそろ出来たと思ったけど、ちょうど良かったようだね」
換気扇を回していたからか、外までカレーの匂いが漏れていたらしい。毎度思うが、焼き魚とカレーの匂いは強烈すぎる。まぁ、嫌いではないから別にいいんだけど。
「カレーは血糖値が急に上がるからの。野菜も食べなきゃいかんと思って、ちょいと畑から採ってきたで」
そう言うと祖母は透明なビニール様の袋から、赤く熟した大きめのトマトとサニーレタスの葉を取り出して、食器棚に置いてあった銀色のザルの上にのせた。
「またサニーレタスか……」
「またってな、サニーレタスは栄養豊富だて。お日さまの光をたっぷり浴びてるからの」
「でも、それ苦すぎるんだよな。ドレッシングをつければ食えないことはないけど……」
スーパーで買ってくる野菜は気にならないのに、家の畑で取れた野菜はどうしてこうも苦くなるのか。ピーマンなんて苦すぎて、何かと一緒じゃないと絶対に食べられない。
「好き嫌いは駄目だよ? 野菜もちゃんと食べないと」
俺が少々サニーレタスに対して不平を言うと、穂乃実はそれを見過ごせなかったようで、しっかり注意されてしまった。いや、出されたものは全部食べるし、残したことはないのだが。
「あとこれ、カレーに合うといいんだけどね」
祖母はもう一つ手にしていた小さな白色の袋から、緑色のものを取り出した。
見た目は細長く、表面にはまばらに白い粉状のものが付着している。
「キュウリのお漬け物!?」
穂乃実は食い入るように覗き込み、祖母にその正体を確かめる。
「キュウリのぬか漬けだね。昨日浸けたばかりだから味が染み込んでいるかは分からんが、せっかくだしの。取り出してきた」
「嬉しい~。お婆ちゃんのキュウリのお漬け物大好きなんです~」
祖母の答えが思っていたものと同じだったようで、両の手のひらを胸の前で合わせながら、穂乃実は隠しきれない笑みを零す。
「穂乃実はお祖母ちゃんのキュウリのぬか漬け、食べたことがあるのか?」
「うん、お婆ちゃんのぬか漬けはここら辺では有名なんだよね。毎年八月に夏祭りとか灯籠流しがあるんだけど、その時に皆で集まって食べるんだ」
「そんな大したもんじゃないけどね。この歳になると、それくらいしかすることがなくなるからの。自由気ままに、なんとなく作っているだけさね」
「そうだったんですか? でも、皆本当に美味しいって喜んでましたよ?」
「そうかい? それは嬉しいね」
穂乃実に絶賛され、祖母も嬉しそうに目を細めた。
俺は食べたことはないが、そこまで褒めているのを見ると、いくらか興味が湧いてくる。ぬか漬けというと、米ぬかを使って作るのだろうか。
「それじゃ、これから水で洗うから少し待っててな」
祖母は取り出したキュウリを流水でごしごしと洗い始めた。
キュウリに纏わりついていた白い粉が、溶けるようにして落ちていく。
ついでに、先ほどザルに入れたトマトとサニーレタスの葉も洗っていた。
「じゃあ、俺たちもカレーを盛るか」
「うん、そうだね」
その間に、俺たちは自分達のカレーを皿に盛ることにする。
食器棚からカレー用に大きめの、少し深みのある平たい皿を選んで釜を開ける。
「……え?」
吃驚仰天。俺はしばらく言葉を失った。
「……どうしたの? 盛らないの?」
釜を開けて硬直している俺を見て、穂乃実は不思議そうな顔で俺を見つめる。
「この米、何合炊いたんだ……?」
「ん? 五合だけど、少なかった?」
「…………」
少なかった? いや、冗談じゃない。これは最大で五合しか炊けない釜だ。だがしかし、実際に五合炊いているところなんて、見たことがない。
そもそも、妹は朝から弁当持ちで部活に行っているから、三人分で十分なはずだ。明らかにおかしい。
目前の釜には、今までに見たことがない量の米が詰まっている。
「ホッホ、穂乃実ちゃんはよく食べるからの」
祖母は俺の考えを察したのか、穏やかな声でさらっと理由を口にした。
俺と祖母が一合ずつ食べたとして、残り三合。穂乃実が食べるのだろうか。
え、何か運動してきたの? 本当に女の子? などと疑問が頭に浮かぶが、考えただけで恐ろしくなった。……思わず身震いをしてしまうほどに。
「うう~恥ずかしい~。カレーだから皆いっぱい食べるのかなって思って……」
穂乃実はまるで顔から火が出るのを隠すように、手で顔を覆った。耳元まで赤くなっているから、余程恥ずかしかったらしい。
「なんだそういうことか。米なんて夜も食えるだろうし、大丈夫だよ」
俺は庇うように、軽く言葉を添える。確かに祖母が一合だとしても、俺が二合、穂乃実が二合食べると想定していたのなら、割と現実的かもしれない。
米一合自体、一人前より多かったような気もするが、気にしない。いや、気にしてはいけない。気にしたら負けだ。
そう思って、俺はそそくさとご飯をよそってカレーをかけた。
穂乃実と俺が隣り合わせに座り、祖母がその向かいの椅子に腰を下ろす。
食卓にはそれぞれのカレーに加え、トマトとサニーレタスの簡単なサラダ、切られたキュウリのぬか漬けが並んだ。




