金曜日 ④プリンビールさん改め
昨日、自宅で白石さんが言っていたバケツプリンを検索してみた。たしかに同じメーカーで大きなプリンが存在していたけど、自分で作る“手作りキット”形式での販売だった。それが残念で仕方がなかったのだけど。
ボクが手作りしてプレゼントする。……って、かなり気持ち悪いよな。
その発想はとりあえず棚に上げておく。にしても今夜、どうやってプリンビールさんの名前を聞き出そうか。いきなり「なんてお名前ですか?」はおかしいよな。ナンパじゃないんだし。あくまで自然な形がいい。……けれど、いくら考えても自然な流れが思い浮かばない。
「なんや、考え込んでもうて……ハゲるで」
日に日に松田のうっとうしさが増してきている。どうにかならないだろうか。
「しゃーないな。どこがわからへんねん。」
そう言って、ボクのプリントを覗き込んできた。
「あれ? 全部できてるやん!」
当たり前だ。たぶんキミより敬語は得意だ。
セミナー3日目、午前中の講習項目は“敬語の基本”だった。今、課題のプリントが配られて各自で問題に取り組んでいるのだが、出題内容はさして難しいものではなく一般教養で充分解ける範囲だった。ボクはすべての解答を済ませて時間に余裕が出来たので、今夜の大きな課題に取り組んでいたのだ。
って、写さないでよ! それぐらい自分で解けるでしょ!
「浩輔さ……今夜ヒマ? ちょっと付き合って欲しい事があんねんけど」
どうやら松田は敬語がニガテらしい。質問しながら、すごい勢いでボクの解答を写している。ま、いいけど。とにかく今夜はダメだ。特殊任務がボクを待っているのだから。しかもこれまでとはレベルが違う。気合いをいれて準備しなければいけない。
「今夜はバイトがあるからムリ」
「バイト? まだやってんの? え、もしかして浩輔、苦学生なん?」
「違うよ。……別にいいじゃん。入社まで自由でしょ」
「そりゃそうやけど。……なぁ。今夜だけさ。バイト、サボれへん?」
はぁ? 死んでも嫌だ。絶対に行く。
「ダメ。そんな無責任な事できない」
「マジメやな~。そやけど理由聞いたら、サボりたなんで」
なりません。……どうせ合コンでしょ。 顔に書いてあるよ。
「美人と合コン! どや? 驚いた? サボりたなったやろ?」
ある意味、驚きました。ホントに呆れるほど単純だ。
「他をあたってください」
「えええ! なんで? アカンて。もう浩輔来るって言うてもうたもん」
はぁあ? 知らないよ、そんな事!
「ボクは行くって一言も言ってません。だいたい、メンツ合わせならボクじゃなくてもいいじゃん」
「アカンねんって。もう写メまで送ってんもん。見る?」
えええ? 写メ? テーブルの下からこっそりスマホで画像を見せてくる。……たしかにボクの顔があった。 って、盗撮じゃないか! いつの間に何撮ってんだよ!
「ほんで、女子がコレ。どう? イケてるメンバーやろ?」
続けて女性の顔が並んだ写メを見せてきた。興味がないので頭に入ってこない。ピースサインのわざとらしさだけがやけに目についた。
「な! お願い! 浩輔が来ないと困るねん」
ええ――。 そんな拝まれても……。
「女の子はオマエ狙いで来んねんで。頼むわ。お願いや」
そんなのなおさら嫌だよ!
講習中だという事を忘れた松田が、ボクの肩を揺さぶりながら説得にかかってくる。マズイ。先生がコッチにくる!
「どうしました?」
松田の手を払い落とし、姿勢を前に戻す。が、その拍子に肘があたってプリントがテーブルから落ちてしまった。慌てて拾おうと腰を浮かすが、落ちたプリントがすべって、側まできた先生の足元で止まる。これは非常に拾いにくい位置にいってしまったと戸惑った。ためらっていると、朝日奈先生が腰を屈めて落し物を拾ってくれる。その動作は、さすがにこういったセミナーの講師らしく、流れるように美しかった。
「す、すみません」
頭を下げて、仰天する。いつかの絶景が目の前に蘇っていたのだ。……先生の谷間だ。胸元が広く開いたブラウスが、彼女の胸を隠しきれずにいる。今までのボクなら、即行で目を逸らしただろう。……だが、今回はそれができなかった。先生の谷間の中に信じられないものを見つけてしまったからだ。
……ハート型のほくろ。
それは紛れも無く、プリンビールさんの谷間に存在した“しるし”だ。 しかも心のシャッターが刻んだ映像と、寸分違わぬ位置にある。……どうして朝日奈講師の谷間に? 頭が混乱する。
「だいじょうぶですか?」
先生が、拾ってくれたプリントをテーブルの上に載せてくれる。
「あ、ありがとうございます」
礼を言って顔を上げると、目線がピッタリとあった。慌てるように先生が目線を外して教壇へと戻っていく。
……あぁ、ほくろが同じ位置にあるなんて偶然、どれぐらいの確立であるのだろうか。それとも 朝日奈講師が…………プリンビールさん?
いやいや、そんな答えはとても信じられない。あんな内気でモジモジした人がセミナーの講師なんて考えられないよ。
休憩時間に、セミナーのパンフレットをもらってきて検証してみた。講師のプロフィール一覧から、先生は“朝日奈 恵実”という名前で、ボクより6つも年上だという事がわかる。プリンビールさんといえば、ボクと同い年か、いっても2つぐらい上までにしか見えなかった。どちらかといえば彼女は幼顔なのだ。それなのに、朝日奈講師は立派な大人の色気をまとっている。考えれば考えるほど二人は一致しない。
さらに、掲載写真を穴が開くほど眺めたが、小さすぎて、言われてみればプリンビールさんかな? ……程度にしかわからない。 つまり何の確証も得られなかった。
午後の講習時間が始まっても、ボクの頭はずっとその事で一杯になっていた。相変わらず「合コンに行こう!」と松田がうるさく誘ってくる。そのせいもあってか、考えがまとまらず、答えが出せずにいた。
「それでは今から、コミュニケーションの鍵になる<質問に対しての応答>を練習してみましょう。お隣りどおし向き合ってください。」
これまでと同じようにわかりやすい講義が朝日奈講師の手によって進められていた。指示にしたがって松田の方へ向きをかえる。しかし、松田は前を向いたままだ。
え……どうしたの?
「では、こちらの左側に座っている方が右の方に質問をしてください。何でもいいですが、できれば答えにくい質問をしましょう」
先生の説明が終わると同時に松田が「ハイ!」と挙手をする。……え? 嫌な予感。
「は、はい。松田さん」
「まず、先生のお手本を見せてください。」
大きな声でそう言うと、小声で「この前の、お返しや」と囁いてきた。思わず目を剥いてしまう。教壇では明らかに朝日奈講師が狼狽していた。
「では質問です。朝日奈先生はどんな男性に惹かれますか? 好きな男性のタイプを教えてください」
『おおお!!!!』 教室の男ドモが一斉にどよめく。松田は、前にも同じタイプの質問をしている。慣れてしまった生徒が悪乗りした雰囲気を作り出してしまった。
「た、タイプ? ですか?」
先生はどう見てもこの空気に飲まれてしまっていた。……ど、どうするんだろう。
もぉ――!! 松田ぁぁ――!! 後でとっちめてやるからな!! オロオロして心配するボクを余所に、松田はニコニコと笑っている。
すると朝日奈先生がマイクを下ろし、ゆっくりと咳払いを一つした。途端に教室内に静寂が降りてくる。そして 真っ直ぐ……そう、本当に真っ直ぐボクを見つめてきた。
「私が惹かれる男性は、例えば、コンビニでひどく酔った人に絡まれている所を助けてくれる……そういった勇気のある店員さんです」
先生から放たれた矢が、ボクの心臓を一突きで射抜いたのは言うまでもない。本気でボクは血を吐くかと思った。……だ、ダメだ。ひ、惹かれる男性だなんて、これはおべんちゃらに違いない。ま、真に受けてどうするんだ。
「て、店員??? え? あ、先生がそんな具体的な事を話してもかまわないんですか?」
マジメに受けとったのは松田も同じだった。まさか本気で答えてくれると思っていなかったのか、逆に狼狽して取り繕ったのだ。ところがその瞬間、朝日奈先生の顔が真っ赤になった。
「ご! ごめんなさい!! わ、私、何を言ってるんでしょう。すみません! と、とにかく、皆さん! それぞれ練習を始めてください!」
明らさまに慌てふためく朝日奈先生の指示に、笑いながらも各自が練習に入りだす。
「なんや? センセイ、真っ赤になったでぇ。 めっちゃおもろいやん。 なぁ、浩輔。……って、どうしてん!! なんでお前まで真っ赤やねん?!! 耳まで赤いぞ! ど、どないしてんな? 大丈夫か?」
本気で心配してくる松田。 大丈夫。いや、大丈夫じゃないかも知れない。熱で脳ミソが溶けてしまいそうだ。もうスプラッタな自分を止められない。
「だ、大丈夫。ちょ、ちょっと立ちくらみがしただけ……」
「す、座ってるのに?」 ……もっともな疑問だ。
「い、いいから! 質問してきて!」 左に座っているのが松田だ。質問者側である。
「大丈夫なん? ほ、ホンならするで……。えぇっと。何にしよ」
腕を組んで考える松田。その間にボクも、これまでの事をまとめてみる。
どう考えても朝日奈先生が言っていた男性像は、先週のコンビニでのボクの事であろう。からかう為に言ったとはいえ、そうとしか思えないタイミングだ。つまり、必然的に朝日奈先生がプリンビールさんだという事になる。ほくろの事もあるし、それはもう間違えのない答えだ。
つまり、プリンビールさんの肩まで届く長い髪をアップにし、濃いめの化粧を施し、タイトなスーツを着せて、クロッ○スのサンダルをヒールの高いパンプスに履き替えさせ、仕上げにメガネをかけてもらったら……朝日奈先生になってしまうという事だ。イマイチ想像しにくいが、この変身こそが女性の武器なのだろう。
……女の人ってすごいな。ボクの理解の範疇を軽々と超えてしまう。
「よし、決めたで!」
松田が手を打って指差してくる。……あ、まだ考えてたんだ。
「浩輔ええか。 ココロして答えてや」
「……わかった。どうぞ」
「もし今夜、連れて行くと約束した三浦浩輔くんに裏切られ、ボクが合コンに一人で行った場合、ボクは女子からどんな仕打ちをうけると思いますか?」
……まさに答えにくい質問だ。
「……どんな仕打ちを受けるのさ」
「アカンやん! 質問を質問で返すのはナシやで!」
そんな事言ったって……。またもや松田が八の字眉で拝んでくる。もう、いいかげんに諦めてもよさそうなのに。……その忍耐力に、ほとほと呆れてしまった。
そう言う反面、ボクは松田にすごく感謝をしていた。ホントなら今夜ボクがしなければならなかった特殊任務を、偶然とはいえ彼が替わりに成し遂げてくれたのだ。
プリンビールさんのお名前は…………朝日奈 恵実さん。
彼女の名前がついに判明したんだ。しかもフルネームで職業や年齢までわかってしまった。報酬として少しぐらい彼の為に何かしてあげないと罰が当たってしまうような気がする。……あぁ、仕方がない。
「何時からなの?」
「え? ひ、7時半!!」
今夜のバイトはセミナーがあるから23時スタートにしてもらっている。間に合うかな。それに、今のボクは明日遊園地に連れて行ってあげると言われた5歳児と一緒だ。たぶん興奮のあまり、家に帰っても仮眠なんて出来ないだろう。
「お酒なしで1時間だけなら……いいよ」
「浩輔ちゃ――ん!!!! 我が親友ぅぅぅぅ!!」
松田が嬉しさの余りか、ボクに抱きついてくる。周りが向けてくる、奇怪な物をみるような目がとてもイタイ。
「や、やめて! は、離してよ!」
「もう! 一生離さへん!! オレはお前に着いて行く!!」
……大迷惑です。
「今夜はめっちゃ楽しなんでぇ!!」
異常に松田がハシャギ出す。って講習時間中だから! 押さえて! でも、気持ちはすごくわかるよ。ボクも今日の深夜が楽しみで仕方がないから。それってキミのおかげかな。
ありがとう……我が親友。
お読みくださってありがとうございます。




