第二十七話 書き込みだらけの手順書
大会の三日前、俺たちは王都入りした。
街は早くも大会の話題で持ちきりで、賭け屋の店先には倍率が躍っている。
本命・王立測量院、一・三倍。対抗・計量ギルド、四倍。「公開計量対決の再現なるか」と煽り文句は威勢がいいが、世間の見立ては正直だ。
二百年の学統と、二年の手順。数字は、そう読んでいる。路地では子どもらが棒きれを天秤に見立てて「けいりょうしごっこ」をしており、ミアが交ざって本物の手つきを教えたせいで、翌日その一角の「ごっこ」だけ妙に精度が上がったという。
会場の下見で、俺たちは測量院の面々と初めて顔を合わせた。
基線用の巻尺を検分していた巨漢――次席のベルナルドは、こちらに気づくと、何も言わず、深く一礼だけした。
岩のような無口。だが巻尺を扱う手つきを見れば、どれだけの場数かは分かる。もう一人の次席、セシルは対照的だった。癖のある赤毛の青年で、計算板を小脇に、開口一番。
「これはこれは、市井の皆さん。広場の見世物では喝采を浴びたそうで。ですが測量は舞台芸ではありませんよ。数字は、拍手では動きませんので」
「うん、動かないね」ミアが即答した。「動かないから、あたしらも数字のほうを信用してるの。おそろいだね、よろしく!」
「……っ、よ、よろしく」
握手を求められて反射で応じてしまったセシルが、去り際まで首を捻っていたのが可笑しかった。
優勝賞金は金貨五十枚――庶民の生涯賃金の半分。加えて優勝者には「王家測量御用」の看板が許される。二百年、院が独占してきた看板だ。
宿に落ち着いた晩、来客があった。銀縁眼鏡に濃紺の制服――エリオット・ハウザー。彼は挨拶もそこそこに、包みを突き出した。
「借りていた手順書だ。返す」
「どうも。……写本は差し上げると言ったのに、律儀ですね」
「写本は、した。それとは別に、原本に用があった」
包みを開いて、俺は目を疑った。第一巻から第四巻、全ページの余白という余白が、定規で引いたような楷書の書き込みで、埋まっていたのである。疑問、反証、計算、そして――「妙案」「これは美しい」といった、本人は気づいていないだろう感嘆の走り書き。
「誤りを、三箇所見つけた。付箋の箇所だ。直しておくといい。……特に第四巻の湿度補正。あの近似式は乾季しか合わない。雨季の係数を、隣に書いておいた」
付箋の箇所を検めて、俺は唸った。三箇所のうち一箇所は解釈の相違だが、残る二箇所――特に湿度補正は、完全に、彼が正しい。二年間、誰も気づかなかった穴だ。
「……ハウザー卿。この書き込み、次の版に反映させてもらえますか。校閲者として、あなたの名前を載せて」
「なっ……い、要らん! 敵に塩を送っただけだ! 名前など――」
「敵に塩どころか、敵の教科書を良くしてどうするんです」
「うるさい! 間違った式が世に出回るほうが、測りの学全体の恥だからだ! それだけだ!」
彼は眼鏡を二度拭いて、荒々しく踵を返し、扉の前で止まった。
「……三日後。種目は聞いている通りだ。谷、川、持ち込み。院からは私と、次席のベルナルド、セシルが出る。ベルナルドは寡黙だが基線測量の鬼、セシルは計算の速さなら私より上だ。手加減はしない。貴様の弟子どもの手順が本物かどうか、学統の全力で検分してやる。――それと」
振り向かないまま、早口。もう慣れた。
「賭け屋で、貴様のところに銀貨二枚、張っておいた。四倍だからな。あくまで、投資だ」
扉が閉まった。ミアが腹を抱えて崩れ落ちた。
――前夜。宿の部屋で、テオはやっぱり眠れずにいた。ミアが親父直伝の堅パンを齧らせ、ヴェラが真顔で彼の手首を取る。
「脈拍、平常の一・四倍。発汗、軽度。……結論。緊張の数値は、戦える範囲内です。人間、脈が平常の二倍までは、手順を思い出せるものですよ。私が入門試験のとき、測りましたから」
「ヴェラさん、自分の入門試験で自分の脈測ってたんですか……」
俺は、三人に言うことを、ひとつだけ用意していた。
「明日、俺は客席にいる。信じて見てるだけの椅子ってやつに、初めて座る。……座ってみると分かるが、あの椅子は存外、硬い。落ち着かないし、口を出したくなる。だがな――あの硬い椅子は、お前たちが二年かけて、俺に用意してくれた椅子だ。師匠冥利の特等席だ。堂々と、座らせてくれ」
「「「――はい!」」」




