第二十六話 三人の特訓
大会まで、二月。特訓の場に選んだのは、メルガの北にある「灰の峡谷」だった。
深さおよそ二百メートル、幅は場所により様々、底には季節の川。谷と川、大会の二種目をまとめて稽古できる、おあつらえ向きの地形である。
初日、俺は三人に、それぞれの「足りないもの」を告げた。指導者の仕事は、褒めることと、正確に測って告げることだ。
「テオ。お前の計測の腕は、もう一級に届いてる。足りないのは、決める度胸だ。二人測りで数値が割れたとき、お前はいつも、俺の顔を見る。大会に、俺の顔はないぞ。主計測はお前だ。割れた数値のどちらを採るか、その場で決めて、決めた理由を記録しろ。間違えてもいい。理由の残ってる間違いは、財産だ」
「は、はい……!」
「ミア。お前の目と手は市場じゃ無敵だが、市場の物は、でかくてもせいぜい樽だ。野外の相手は、谷と川――手に持てないものになる。お前の仕事は検算と観察。持てないものを、持てる大きさに割る発想を鍛えろ。お前なら、できる。市場ってのは元々、海の魚も山の材木も、量り売りの升に割ってきた場所だからな」
「割る、かあ……。よし、谷も樽だと思う!」
「ヴェラ。あんたの課題は、逆だ。答えを先に出すな」
藍色の髪の魔導士が、束ねた髪の下で、ぐ、と詰まった。自覚はあるらしい。
「あんたの魔導計測は速くて正確だ。だからつい、術式の答えが出た瞬間に、手動の計測が『答え合わせ』になる。それじゃ二人測りにならない。手順の計測と魔導の計測は、互いに知らないまま測って、最後に突き合わせる。答えを知ってる検算は、検算じゃない。ただの写経だ」
「……耳が痛いですね。承知しました。以後、私の術式結果は、封をして最後に開けます」
役割は決まった。テオが主計測、ミアが検算と観察、ヴェラが第三の目と記録。
――初日の稽古は、見事に転んだ。
谷の深さの反響測りで、テオの聞き取りとミアの目視の推定が割れたのだ。テオは二つの数値を前に、握った記録板を睨み、汗をかき、ちらりと俺を見て――俺が黙って空を見ていると、また記録板を睨み、そのまま制限時間が来た。提出値、なし。計測として、最悪の結果である。
夜の反省会で、テオはしょげ返っていた。
「……すみません。どっちも捨てられなくて。間違ったほうを採ったらって思うと、手が」
「テオ。あんたさ」ミアが堅パンを齧りながら、あっさり言った。
「間違えるのが怖いんじゃなくて、間違えたあとの自分に言い訳できないのが怖いんでしょ。だったら簡単だよ。採る前に、言い訳を先に書いときな。『こういう理由でこっちを採る』って。それで外れたら、間違ってたのは理由のほうで、あんたじゃない。理由は直せるけど、あんたを取り替えるわけにいかないんだから」
「……ミア、お前、それ」俺は思わず口を挟んだ。「俺が三日かけて言おうとしてたことの、完全版だぞ」
「え、そうなの? 市場じゃ常識だよ。仕入れの読みなんて、半分外れるもん」
ヴェラの「封筒方式」も、初日は事件を起こした。
封を開けた術式の答えと手動の計測が大きく割れ、青くなって原因を洗ったら、術式は正しく、手動側の索の結び目が一つ緩んでいた
――つまり封筒方式は初日から、正しく機能したのである。「答えを知らない検算だけが、間違いを見つけられる。……身に沁みました」と、ヴェラは索の結び方の稽古を、自分から志願した。
稽古は苛烈をきわめ、峡谷には毎日、三人の悲鳴と、たまの歓声が谺した。谷の深さの反響測り、川の浮子流し、夜は宿で誤差の反省会。
ザラたち山猫の爪が護衛がてら「観客役」で野次を飛ばし、本番の喧噪への耐性まで鍛えてくれた(「もっと腰入れて測れー!」という野次に計測の腰は関係ないと思うが、心臓は鍛えられる)。
一月が過ぎた頃、テッサから荷が届いた。ドガからだ。文は例によって弟の代筆と拇印、そして荷の中身は――銅の棒が一本。長さ二尺、片端が椀状に開いた、鈍く光る棒。
『師匠殿、テオへ。それは山の聞き棒だ。坑夫が岩盤に当てて、山の中の音を聞く道具よ。崩落の予測網が完成した祝いに、テッサの職人が儂の分を打ってくれたが、儂には弟の代からのやつがある。だからそれは、テオ、お前が持て。谷の深さを測るなら、谷の声を聞け。……それとな、支部長として一言。判子でも計測索でも同じだ。重さってのは、持たされるもんじゃねえ。引き受けるもんだ。大会、行ってこい』
テオは聞き棒を両手で受け取り、しばらく黙って、それから峡谷に向かって、深く一礼した。北の方角に向かって、もう一礼。
「……ドガさん。引き受けます」
その日から、テオは俺の顔を見なくなった。良い目つきで、谷だけを見るようになった。




