第十七話 給料の払えない月
翌朝、食堂に呼ばれた俺は、扉を開けて、立ち尽くした。
長机の上に、山が、できていた。
小さな麻袋の山だ。テオの袋には銀貨十二枚。「初任給から、ずっと貯めてたやつです。使い道、決めてなかったんで」。
山猫の爪の護衛依頼で貯めた見習いたちの銅貨の包み。ヴェラは魔導書を三冊、机に積んだ。「王都の古書商なら金貨二枚にはなります。売却の手配を」。
職人の親方は工賃の請求書を目の前で破り、「今月の分は要らん。その代わり、景気が戻ったら倍払え」と笑った。
ミアの袋がいちばん大きくて、いちばん軽かった。中身は銀貨六枚と、店の焼き印入りの木札が一枚。
「親父から。『パンは向こう三月、ギルドの分はツケでいい。ツケの利子は、うちの秤を一生正直にしとくことだ』って」
「……お前ら」
声が、上手く出なかった。数値化するなら――やめておく。世の中には、測るより、ただ受け取るべきものがある。俺は机の縁を掴んで、どうにか、言うべきことを言った。
「気持ちは受け取る。だが、受け取れない。これは俺の経営の失敗だ。弟子の蓄えで穴を埋めるくらいなら、俺は自分の――」
「師匠。前に言ったよね」
ミアが、遮った。腰に手を当てて、そばかすの顔で、真正面から。
「『基準は独占した瞬間に腐る』って。あたし、あれからずっと考えてたんだ。じゃあ、信用ってなんなのかって。……信用はね、師匠。こういうときに、貯まるんだよ」
「……」
「商会は金貨を積んで職人を買った。師匠は二年かけて、あたしたちに手順と居場所をくれた。今、どっちの帳簿が本当に金持ちか、量りっこしてるんだよ、あたしたちは。ここで師匠が一人で被ったら、あたしたちの貯めた信用の、預け先がなくなるじゃん。……だから受け取って。これは施しじゃない。出資。ギルドが勝ったら、配当付きで返してもらうから」
「そうです師匠。ぼ、僕、配当の計算、もうしてあります。年利一割で」
「テオ、お前どさくさに紛れて結構な利率を取るな」
笑いが起きたところへ、受付の鈴が鳴った。届いたのは、王都からの小さな荷と手紙。差出人の名を見て、俺は少しの間、封を切れなかった。
――ガルド。暁の剣のリーダー、俺を追放し、四十層で共に戦った、あの男だ。
『ロイドへ。謹慎中の身で顔は出せん。だが風の噂で、お前のギルドが商人にやられてると聞いた。同封の銀貨三十枚は、俺たち三人が再訓練の合間の日雇い護衛で稼いだ分だ。Sランクの看板なしで稼ぐ銭が、こんなに重いとは知らなかった。いい修行だ。――利子はいらん。十年分の借りの、端数にもならんからな。リノンが「聖印を質に入れる」と言い出したのは止めておいた。あれは冗談が通じん。 ガルド』
「……あの人たち」ミアが、袋の銀貨を覗き込んで笑った。「日雇いって。剣聖が」
「ああ。……全額、借用書を書く。あいつらの分もだ。ギルドの公式の帳簿に、一件ずつ載せる。貸主の名前入りだ。そして必ず、配当をつけて返す。――それでいいか」
「「「異議なし!」」」
その夜、俺は一人、帳簿と借用書の束に向かった。貸主の名を、一件ずつ書いていく。テオ。ミア。ヴェラ。親方衆。ザラと山猫の爪。ガルド、ヴェラ……ではなく、暁の剣一同。
書きながら、妙なことに気づいた。ペンが、軽い。金貨四枚の赤字を背負った夜のペンより、借金を書いているはずの今夜のペンのほうが、ずっと軽いのだ。
負債のページの最後に、俺は摘要を書き足した。
『借入金。ただし実態は、信用の預かり。返済期日――このギルドが続く限り、随時』。
赤い帳簿は、まだ赤い。だが、この赤は、負けの色じゃない。




