第十五話 岩の手の、支部長
ドガが「話がある」と切り出したのは、偽錘騒ぎがようやく落ち着いた晩のことだった。
ギルドの囲炉裏端。禿頭に立派な髭、樽のような胴回りの大男が、岩みたいな両手を膝に置いて、珍しくもじもじしている。五十二歳、元鉱夫、鉱山・建築部門の柱。第三支道の崩落予測で命を拾って以来、二年間、誰より愚直に手順を積んできた男だ。
「……師匠よ。儂を、テッサへやってくれんか」
テッサ。ここから北へ馬車で六日、王国有数の鉱山都市であり――ドガの故郷だ。
「先月、故郷の弟から文が来た。読んでくれ。儂ぁ、読めんでな……ミアに三度、読んでもらった」
差し出された手紙は、握り締められた跡で、くしゃくしゃになっていた。テオが受け取り、静かに読み上げる。
『兄貴へ。テッサの山が、ここんとこ荒れてる。春から崩落が三度、死んだのは十一人。うち二人は、兄貴も知ってるロブの倅と、井戸端のマルタの旦那だ。山主は「掘り方が悪い」と言い、坑夫は「山の機嫌だ」と言う。誰も、本当のところを知らねえ。兄貴、メルガの山じゃ、崩落を前もって当てる術があるって聞いた。ほんとうか。ほんとうなら、その術、どうやったらこの町に来る』
「……この半年で、十一人だ。儂ぁ、その報せを読んでから、飯の味がせん。第三支道で儂が拾った命は、師匠の計測が三日前に崩落を当ててくれたからだ。当てる術さえあれば、死なずに済む男らが、故郷で土に埋まっとる。メルガの山は、もう若い衆が予測を回せる。だが、テッサには誰もおらん。基準の網とやらを張るなら――最初の一本は、儂の故郷に張らせてくれ」
囲炉裏の火が、爆ぜた。ミアも、テオも、ヴェラも、藍色の髪を束ねた頭を上げて、黙って俺を見ている。
支部の設立は、いずれ、と計画していた。だが正直に言えば、時期は最悪だ。
グラム商会と事を構えた直後、本部の手は足りず、資金は偽錘の交換対応で羽根のように軽い。支部一つ立てる初期費用は、ざっと金貨十枚――庶民の年収三年分が、飛ぶ。
俺は、算盤を弾いた。金の勘定ではない。ドガの言った数字の勘定だ。半年で、十一人。
「……行ってくれ、ドガ。計量ギルド・テッサ支部、設立を承認する。初代支部長は、お前だ」
「し、支部長ぉ!? ま、待て師匠、儂は字が書けんのだぞ! 支部長なんぞ、書類が」
「知ってる。だから、これだ」
俺は、用意していた木箱を囲炉裏端に置いた。中身は三つ。一つ、校正済みの標準錘、支部基準の一式。二つ、崩落予測の手順書、最新版――絵図を増やして、字が読めなくても工程を追える版だ。テオが半月、夜なべで描いた。三つ目は、掌に収まる小さな包み。
開いたドガの、岩の手が、震えた。
判子だった。『計量ギルド テッサ支部長 ドガ』。
「……お前さん、いつの間に」
「お前が弟の文を読んで飯の味がしなくなった日から、彫らせてた。字が書けなくても、判は押せる。判を押すってのは、責任を量って、引き受けるってことだ。二年間、お前の計測記録に間違いはひとつもなかった。……お前の判は、俺の錘と同じ重さだ、支部長」
大男は、しばらく判子を睨みつけ、それから太い腕で顔をごしごしと拭った。
「……っ、儂の目方が、狂っとる。今夜だけだぞ」
「記録しておく。『本日のドガ、涙により誤差あり。ただし、良い誤差』」
その晩は、ギルド総出の送別の宴になった。囲炉裏に鍋がかかり、山猫の爪の連中まで駆けつけて、酒場のツケが銀貨四枚――半月分の茶代が一晩で飛んだが、これは必要経費だ。
宴の途中、ヴェラがドガの前に小さな魔石灯を置いた。
「餞別です。魔力を通すと、坑道の危険な魔力溜まりの近くで光が揺れる。私の探査術式の、試作一号。……計測索と併用してください。魔法と手順、両方で測るのが、うちの流儀ですから」
「大魔導士様の一号を、儂がもらっていいのかい」
「一号は、一号に持っていてほしいので。支部長第一号さん」
ミアは夜なべで、堅パンの袋に何やら書き付けていた。覗くと、袋の一つ一つに拙い絵が描いてある。パンと、天秤と、笑った顔。
「テッサの子どもたちに配ってって。『正直な秤の町から来ました』って。……営業活動だよ、支部の!」
出立の朝は、よく晴れた。荷馬車には錘と手順書と、ミアが親父の店で焼かせた保存用の堅パンが山と積まれた。門の前で、ドガは一度だけ振り返り、岩の手を挙げた。
「師匠! 弟子ども! ――テッサの山から、死人の数を引き算してくる! 次に会うときゃ、ゼロの報告だ!」
馬車が北の街道へ小さくなっていく。テオがはなをすすり、ヴェラが静かに言った。
「……支部、第一号。師匠、これで『網』の結び目が、二つになりましたね」
「ああ。目標は、王国全土で五十だ」
――ただし、このとき俺は知らなかった。北へ向かうドガの馬車と入れ違いに、テッサの町へ、グラム商会の荷が三台、先回りして入っていたことを。




