第5回 満寵、 汝南太守になる
この頃、北方の雄と言えば間違えなく「袁紹」である。袁紹は、河北一帯を支配し、その勢力圏の広さ、国力は他国に比べて頭一つ、二つ抜けた存在であったと言えよう。
そしてこの袁紹に敢然と立ち向かったのが曹操である。
曹操の支配圏に、袁紹の本籍地と言うべき「汝南郡」があり、その一部が曹操の支配を受け入れない強硬姿勢を取り、曹操の頭を悩ましていた。
こういった問題の対処に誰がうってつけか、曹操の脳裏によぎった漢は満寵その人であった。
曹操は早速満寵を 汝南太守に任命した。
曹操が言う。
「汝南で、一部の袁紹関係者が混乱を起こすような行動をしている。毅然と対処せよ。」
「わかりました。すぐに鎮圧致します。」
汝南に入った満寵は、早速詳しい調査に入った。
すると、広範囲にわたって、曹操の支配を受け入れない行動をしている者が多数いるものの、その反抗勢力の一つ一つを見てみると、さほど大きな勢力のものはなかった。
そこで満寵は精鋭五〇〇を率いて、その者たちの籠る塞や集落を各個撃破していき、その数は二〇を越したが、あっさりと鎮圧に成功したのである。
降伏を受け入れない指導者一〇数名は容赦なく処断した。降伏を受け入れた者に関しては、戸数二万を取り込み農耕に従事させ、そこから兵二千も増員し、曹操に送った。
曹操はあまりの手際の良さと報告の速さ、更には兵を二千送り付けて来る満寵に脱帽した。
この頃、「官渡」をめぐって袁紹と曹操の争いは激化をしており、圧倒的に兵数の少ない曹操軍にしてみれば、二千の兵の増員は非常にありがたいものとなった。
更に、農耕の振興に力を入れることにより、国力の増強にも寄与したのである。
これで、懸念された後方の擾乱は満寵の手によって押さえられ、曹操は対袁紹に集中することにより、劣勢を跳ね返し、官渡の戦いを制することに成功したのである。
官渡の戦いに勝利した後、袁紹の残党勢力の掃討戦を数年かけて行い、曹操はとうとう河北を統一、中華一の大勢力となり、その目を南方に向けることになるのである。




