第4回 満寵、名臣楊彪を取り調べる
大事件が起きた。
「袁術の皇帝僭称」である。
皇帝の僭称は、明確な後漢王朝に対する反逆の意思表示となる。そのため、袁術の一族や縁者たちは、危険な存在として取り扱われた。
袁術の縁者で一番の大物が四世三公の名門出身である「楊彪」である。楊彪自身、大尉をつとめた経験があり、多くの者から尊敬を集めていた。
しかし、楊彪が袁術の義理の叔父であり、血縁関係があるということから、連座して身柄を拘束されたのである。
当時、満寵の職務に対する厳格な対応は曹操陣営でも有名であり、「荀彧」や「孔融」といった大物たちが、楊彪の取り調べに関しては手心を加えて欲しい旨、請願したが、満寵は聞き流した。
何故、荀彧や孔融ほどの大物が楊彪のために動いたかと言えば、楊彪自身の人間性が卓越しているのはもちろんだが、楊彪の祖父である「楊震」の「四知」の逸話の影響も大いにあると言っていいであろう。
楊震が荊州刺史として赴任する際に、面識のある「王密」という者が、深夜に賄賂として黄金をもって楊震を訪ねた。
楊震は受け取らず、断ったところ、王密は言った。
「この様な深夜にこの黄金を受け取ったとしても、誰も知り得るものではございません、さあ、お納めください。」
すると楊震は首を横に振り、答えた。
「天が知り、地が知り、私が知り、あなたが知っている。どうして、誰も知らないと言えるでしょうか。」
この言葉を聞いて王密は自分の浅はかさを恥じ入り、黄金を持って帰った。
この様な家風の環境に育ち、それに恥じぬ生き方をしてきたと誰もが認めることから、楊彪自身も多くの尊敬を集める存在となっていたのである。
満寵は楊彪に言った。
「楊彪殿。あなたに特別な配慮をして欲しい、という請願が私のもとに何件も届いておりますが、私にできるのは法に基づく執行のみ。その点、ご理解いただきたい。」
この言葉に対しても、さすがは名臣と名高い漢である。恐れる気配も見せずに、凛とした姿勢を保ち、答えた。
「私も官途に就いてそれなりの道を歩いてきた。満寵殿と申したか。その職務に対する姿勢で、恨みを持つようなことは決してありませぬ。ご随意に。」
満寵はこの言葉には答えず、規則通りにむち打ちしながらの取り調べを行った。楊彪の顔が苦痛にゆがむが、そこから出てくる言葉に嘘偽りはなく、袁術の皇帝僭称に対して連座させる明確な証拠は無いと、満寵は判断した。
満寵は曹操に報告した。
「楊彪殿を罪に問うべきである、という明確な証拠は私の取り調べでは出て参りませんでした。これで罪に問うことは、逆に法の執行に悪影響を及ぼすと考えます。」
「そうか・・・。規定通りの取り調べを実施したのだな。」
「もちろんです。名のある者だからと言って、法の執行に影響を及ぼすことはありません。」
「わかった。楊彪を釈放せよ。」
荀彧や孔融は、満寵がむち打ちを行ったことに嫌悪感を抱いたが、後に曹操へ直言したことを聞いて、その態度を改め、感謝した。
こうして満寵は、己が職務を粛々と実行し、その姿に曹操は頼もしさを感じ、より、重用していくことになるのである。




