第11回 満寵、文帝の死を見送り、都督揚州諸軍事となる
父である曹操の死が、巨星が堕ちるという表現であるのならば、曹丕の死は、はかない流れ星の様なものであったと言えよう。苦労に苦労を重ねてようやく太子となり、その跡を継いでわずか六年という短い栄華で死を迎えた。
後継者は「曹叡」、後の「明帝」である。
文帝は、亡くなる際に「曹真」、「陳羣」、「司馬懿」の三名の重臣に特に後事を託した。
当然、その様なところに名前が出てくる満寵ではないが、文帝は生前に、身近に侍る重臣だけではなく、地方で国家のために身を捧げる家臣のことも常に考えて大切するように教えており、その際、特に大事にすべきは満寵、と言うことは伝えていた。
明帝になってからも、満寵は豫州刺史として留任した。
仕える相手が誰であろうと、満寵の仕事は揺るがない。
特に文帝が亡くなったという報は当然、孫呉にもすぐ知られることになることから、孫呉の国境警備をより強化し、更には城や塞の補強を改めて行った。
こういった仕事ぶりは明帝の耳にも入ってきた。
以前は「守りの満寵」と呼ばれていたが、ここ最近では更に「鉄壁の満寵」と呼ばれるほど、満寵の守る城は落ちない、という評判であった。
明帝は、こういった満寵の様な堅実な実務家を好む傾向が強く、満寵と一度話をしたいということで満寵に洛陽へ来るよう、招集をかけた。
満寵が洛陽に着くと、すぐに明帝に会うことになった。明帝が言う。
「伯寧、お前の性分であれば、任地を離れることいささか不安を感じたのではと思うが、どうか。」
「・・・。正直申し上げれば、おっしゃる通りでございます。下の者も育ってきてはいるのですが、まだ完全に安心して任せられる、というわけではありません。」
「なるほど・・・。そんな最中、お前を呼び出したのは他でもない。更なる重大な仕事をお前に任せたいのだ。」
「更なる重大な仕事、でございますか。」
「ああ。伯寧、お前に都督揚州諸軍事を任せたいのだ。」
さすがの満寵も驚きを隠さなかった。
都督揚州諸軍事、これは更なる重大な仕事と言うよりは、「国を満寵に任せる」、と宣言したのと同じような意味である。
魏の国境は東部、南部は孫呉と国境を接しているわけだが、その全てを満寵に任せる、と言うことである。
軍事だけではなく、民政の統括もする立場となる。
そして孫呉が侵攻してきた場合、その防衛や追撃と言ったところに、細かく明帝や中央の裁可を得ることなく、満寵が自分の判断で動くことが可能なのである。
文帝から聞いていた言葉も影響したろうが、豫州刺史として数年間の満寵の仕事ぶりをしっかり見た上での、英断と言える人事であった。
こうして、満寵は都督揚州諸軍事の重責を担い、まずは孫呉との争いが絶えない「合肥」に赴いたのである。




