トゥリ、お酒を飲み、アステルは願いを叶える。
「アステル様」
コンコン。
アステルの寝室の扉を、トゥリはノックする。外はざあざあ降りの雨だ。
トゥリは不安で、しつこくノックを重ねる。
コンコンコンコン。
「わーーかった、はいって、トゥリ」
しばしのちに扉を開けたアステルは、いつもどおりで。迷惑そうな顔すらしていて、トゥリはホッとした。
部屋に入り、トゥリは違和感に気づく。
アステルの寝室の床に、紙が散らかっている。
執務室は、アステル本人が片付けているのかどうかはわからないが、いつも『それなりに』整頓されているので、らしくなかった。
首を絞めに入ったときも、シンシアになって入ったときも、こんなに散らかってはいなかった。
「何をされていたのですか?」
「魔術だよ」
「魔術?」
散らばった紙には、人間が魔術に用いる文字が書いてある。人間の真似事だ。
(人間は魔術計算が必要だが、魔物はそれを必要としない。そう教えてくれたのはアステルだ。それを、魔物の王のアステルが……何故?)
アステルは願いを一瞬で叶える魔力を持っているのに、おかしな話だった。
「トゥリはなぜ来たの?」
「落ち込んでいるかと思いまして」
「落ち込む?」
アステルは指をかざし、魔法で床に散らばる紙を拾い集める。
しばしのち、トゥリとお茶を飲みながら、アステルは笑う。『子どもたちに悪口を言われて、落ち込んでいるのかと思った』というトゥリの話が、500歳には新鮮だったようだ。
トゥリは、言い訳のように呟く。
「……だって、雨が止まないから」
「たしかにぼくが、シンシアとか、大切なひとのことで落ち込んでいるときは雨になりやすい。膨大な魔力がコントロールを外れて、天気にまで作用するんだ。
でも、ぼくがごきげんなときにだって雨の日はあるんだ。偶然だよ」
ふと、トゥリはアステルの部屋の片隅に、捧げ物がたくさん置いてあるのに気がつく。
「ああ、これ? お祭りだったから……捧げ物の一部だよ」
「見てもいいですか?」
「トゥリが欲しいものがあるなら、持っていって良いよ」
「……それでいいんですか?」
トゥリとともにアステルも立ち上がり、捧げ物を物珍しそうに見るトゥリを見守る。
「ぼく、いつも、だいたいは魔王城のみんなにあげるんだ。シンシアとかルアンが喜びそうなものはとっておいて……ミーロにも、あげているよ。
だからトゥリが欲しいものがあれば、教えて」
トゥリは、高そうなお酒がたくさんあるのに気がつく。
「アステル様、飲まれないのに、妙です」
「タフィ教には、『神様といえばお酒』みたいな考え方があるんだ。まだタフィが村だった時代にぼく、『飲まない』って言ってまわったのに忘れられちゃったみたい。魔王カタマヴロスは、嗜む人だったのかもね」
トゥリはあまり迷わずに、まっすぐに一本の果実酒を指さした。
「これをください」
アステルはちょっと面倒そうな顔をした。
「きみはまだ、飲めないでしょう?」
「魔物にルールがありますか?」
「ないけど……」
「アステル様、次第でしょう?」
「うーん……わかった。
いいよ、飲んでみても」
アステルとトゥリは、ソファーに向かい合わせに座り直す。アステルは魔法でグラスをとりだし、空中で黄金色の果実酒を注ぐ。トゥリがお酒を飲んだら暴行される気もしたが、どうなるかの興味のほうが勝ったからだ。
トゥリはひとくち飲んで、衝撃を受ける。
(お、美味しい……!!!!)
神様に捧げるだけはある。
こんなに丹精込めて作られたものを「いらない、飲まない」とのたまう目の前の神に、トゥリは複雑な思いを抱く。
「アステル様も飲んでください」
「え? ぼくはいいよ」
「こんなに美味しいお酒を飲まないなんて」
「ねえ、トゥリ。ぼく、500年、捧げ物をもらっているんだよ?」
アステルは果実酒の瓶に触れながら、ぶつぶつ、と言葉を重ねる。
「ぼくは生き神になって最初の頃は、なんだって食べたし、飲んでいたよ。喜んで。そのころはタフィ教の民のなかで暮らしていたし……」
「500年」
トゥリは凛とした声で、アステルの言葉を繰り返す。
「……でも、私と飲むのははじめてでしょう?」
アステルは、ドキッとした。
トゥリフェローティタが、情緒的な要求をしたように感じたからだ。
「えっ えっ……トゥリ、『一緒に飲んで欲しい』って言っているの?」
トゥリは、かすかに微笑む。
「……ほら、アステル様、飲んでください。
あなたにはその責任がありますよ」
(確かにそうだ。500年、ぼくはいつでも美味しいお酒が飲めた。トゥリが、少しも飲めない状況にあるなかで……)
アステルはもうひとつグラスを呼び寄せ、同じ果実酒を注ぐ。
「わかったよ。きみと一緒にお酒を飲むよ、トゥリフェローティタ」
そして、アステルは後悔する。
一杯のグラスが空になる前に酔い潰れたトゥリが目の前にいるからだ。ソファーにもたれかかり、すやすや。眠っている。
アステルはまだ、数口しかグラスに口をつけていない。
(……こんなに弱いと思わないじゃん!?!?!?)
トゥリは上機嫌だった。
拷問の話をして、種族ごとに、どこをどうするとダメージが入りやすいかとか、そういうことを嬉しそうにアステルに話した。アステルは興味は無かったが、友人のトゥリフェローティタがいつもよりも明るく、楽しそうに饒舌に話すので、心配しつつも喜んで聞いていた。
そしてトゥリは、永遠に喋り続けそうに思われたところでパタリと寝た。
(どうしよう……部屋に返す?)
気持ち良さそうに酔い潰れているが、このあと体調を崩すかもしれなかった。
(そういえばルアン、どこに行ったんだろう?)
アステルは今日はルアンが寝室にくる日の気がしていた。トゥリを寝室に入れたらルアンとトゥリで喧嘩になりそうで……はじめ、トゥリを部屋に入れたくなかった。
だが、ルアンの気配が近くにない。
どこかへ出掛けているようだ。
(……ぼくのベッドに寝せても良いかな。
ルアンに怒られるかもしれないけれど……)
アステルはトゥリを抱っこすると、ベッドに運び、寝かせる。
(……ルアンは、なんで怒るんだ?)
アステルは考える。
ルアンがもし言葉が話せたら――それがもう、叶わぬ願いとわかっていても、アステルは考える――『王として、危険なことをする者を部屋に入れてはダメです。ましてや添い寝なんて、いけません』とアステルに言うだろうと。
だがアステルは、トゥリより魔力も強ければ力も強い。トゥリを制圧しようと思えば、一瞬でそれができる。逆に、友人でいるために。強さをトゥリに見せないように気をつけているくらいだ。
だから例えば、トゥリがアステルに殴りかかってきて、それを受けたとすれば、遊びなのだ。赤ん坊の魔物と、成熟した魔物の遊びだ。やろうと思えば、アステルがダメージすらコントロールできるのを、トゥリはどこまで知っているだろうか。
(でも、それを――ルアンは知っているでしょう?)
そうであるからアステルは、ルアンがトゥリに牙を剥くのは……もうただ、単純に嫉妬なのではないか? と感じているのだった。
(ぼくに、他に、仲の良い友達がいるのが気に食わないんじゃないのかな……)
(そんなこといったって、ルアンは家族だよ。
親友だけど家族。トゥリは、またちょっと違うんだ)
アステルは、ベッドの上ですやすや眠るトゥリを見つめる。銀色の髪が、白いシーツの上に散らばっている。
(トゥリフェローティタは……)
(そりゃ、となりで寝たいけど。ルアンとの約束だから……こうするしかないよね)
アステルは踵を返す。
ソファーで眠ることにする。
ふと、自らのグラスに黄金色の液体が残っていることに気づく。アステルは少しずつ飲む。
やはり、口には合わない。
(一回くらいぼくも、酔っ払ってみたいよ。トゥリみたいに上機嫌になってみたい。
お酒も毒とみなして自動で回復しちゃうなんて、不便な体だよ……)
アステルはソファーによりかかり、目を閉じる。
目が覚めると、指先に銀色の髪があった。
アステルは寝ぼけてシーツにちらばる銀の髪に触れて、(さらさらだ、)と思う。そのあと起き上がり狼狽した。
(なんで……!?!?)
アステルはうめく。我が身を恥じる。
魔力が願いを叶えたと、手にとるようにわかったからだ。
魔王になりたての頃、幼き日々にはあった。
魔力が、アステルの理性を無視して、願いを勝手に叶えることが。だがもう500歳だ。
500歳で魔力をコントロールしきれずに、心の奥底の願いを……トゥリフェローティタとの添い寝を叶えるなんてこと、魔物の王としてあってはならない。
(う……うあ……)
アステルは真っ赤になり、両手で顔を覆う。
500歳の心は、じたばたとする。
ルアンに今すぐ噛まれるべきだ、と思い、ルアンの不在に気づき、一気に冷静になった。
(ルアン、本当にどこへ行ったんだ……?)
トゥリフェローティタは目を覚ます。
ここはどこだろう、と考え、アステルの寝室であると気づく。
(酒を飲み、寝てしまったのか……)
ソファーに座るアステルの後ろ姿に、トゥリは声をかける。昨晩、床に散らばっていた魔術計算の式を眺めているようだ。
「おはようございます」
「うん、おはよう。トゥリ」
アステルは(平静を装い、)振り向く。
「アステル様、寝なかったんですか?」
「ううん、ぼく、さっきまで寝ていたよ」
(きみのそばでね)
トゥリは、となりにアステルが寝ていたことを気がついていないようだ。
「体調はどう? トゥリ」
「悪く、ありません」
「それなら手伝ってほしいことがあるよ、トゥリ。ルアンを探すんだ」
「ルアン?」
アステルは、魔術計算の紙を机の上に置くと、立ち上がり、部屋を出ていく。
アステルの忙しない様子を疑問に思いながら、トゥリは、鏡を見て髪を整え、アステルのあとに続く。
次回「ルアン、家出する」




