愛と想いと呪い(アステルとトゥリ)
トゥリフェローティタは魔王城に来てまもない頃、悪夢を見て、アステルの寝室を訪れた。
廊下にはアステルの番犬がいて、トゥリを見てひどく唸った。
「ルアン、おやめよ」
扉が開き、暗い廊下に部屋の明かりが差す。
アステルは寝巻き姿のトゥリを、ぼんやりと見つめた。
「どうしたの? トゥリ」
アステルも寝巻き姿で、あたたかなガウンを羽織っていた。
「怖い夢を見たのです」
「いいよ、おはいり」
トゥリはソファーに座る。アステルは魔術でティーポットを呼び寄せて、カップにお茶を入れてトゥリに差し出した。
「きみは、ぼくのお茶の味を覚えている?」
「? はじめて飲みました」
トゥリは、お茶を飲む。
あたたかいものが、喉を通って体に落ちた。
(つまり、私が人間のとき、アステル様のお茶を飲んだことがあるということだろうか?)
トゥリは人間のトゥリにさほど興味なかったが、アステルとの関係性には少し興味があった。
アステルからは「友人だった」としか聞いていない。
「どんな夢を見たの?」
トゥリは、王様になる夢を見た。アステルがいない、なんだか怖い世界で。ひとりぼっちの王様になる夢だった。それがとても怖かったはずなのに、「あすてる」を目の前にしたら、安心して。
何が怖かったのかをもう忘れてしまっていた。
それよりも興味が優った。
トゥリは、嘘をつくことにした。
「アステル様が私のことを、生き物だらけの部屋に閉じこめる夢を見ました。
トゥリはもういらない、あっちに行って、と仰られました」
トゥリは、アステルがトゥリを地獄に閉じ込めた理由は、周りの言うとおり。トゥリが魔物をたくさん殺し、いじめたからなのだろうと思っていた。
だから理由には興味がなかったが、アステルがそれをどう思っているのかには興味があった。
顔を伏して嘘をついたトゥリは、アステルから返答がないので顔を上げる。トゥリは見る。
アステルが、涙をこぼしている。
声を出さずに、泣いている。
五百年も生きている生き物が泣くのを、トゥリははじめて見た。トゥリの心に、暗い喜びがわきあがった。
(アステル様が、私の前で、泣いてくれた!)
(私だけに、涙を見せてくれた!)
トゥリは背筋が、ぞくぞく、とした。
(だれより強いアステル様が、私に弱いところを見せてくださっている)
(もっと、泣かせたい!)
トゥリのらんらんと輝く瞳を、アステルは呆然と見つめた。
アステルは本当に悲しくなって泣いたのだが、それを見てトゥリフェローティタは喜んでいるようだ。
「よからぬことを考えているの? トゥリフェローティタ」
トゥリはドキッとしたが、
(やっぱりアステル様だけが、私のことをわかってくださる!)
自分の気持ちを見抜いたアステルのことを、神様のように思った。
アステルはトゥリが嬉しそうだったことで、落ち着きを取り戻し、もう泣きはしなかった。
お茶を飲むと、静かな声で伝えた。
「ぼくはトゥリのことを『いらない』なんて、言ったことはないよ。
ぼくにとって、トゥリは必要な存在なんだ」
アステルはトゥリに聞いた。
「トゥリは、魔物の構成要素を覚えている?」
「愛と想いと呪い……ですか?」
それはトゥリがナメクジのころに、アステルがまずはじめに教えてくれたことのひとつだった。
「あのときも伝えたことだけれど、みんながみんな、最初からすべてを持っているわけじゃない」
「ぼくは魔物になったとき、想いしか持っていなかった。シンシアやルアンが、ぼくのことを大切にしてくれて、愛を知った。
けれど呪いは、しばらく持っていなかった」
「きみをあんな部屋に……拷問のなかに閉じ込めることになって、それがぼくの呪いになった」
アステルは立ち上がるとトゥリのそばに来て、座った。そして少し迷いながら、トゥリの手に指でそっと触れた。
(なぜ触れる)
と、トゥリは思った。
「だからトゥリ、きみはぼくの呪いなんだ。
ぼくの構成要素に関わっている。
いらないなんて言うはずがない」
トゥリは黙り込む。
話よりもアステルの指先の感触のほうが気になった。
「きみはたぶん、ぼくの逆だ。
呪いだけを、最初から持っている」
アステルは、トゥリの見つめる先を見て、指を離した。
「呪いだけでは、魔物は成り立たない。
だから、ぼくはきみを大切にする。
シンシアやルアンが、ぼくを愛してくれたように。きみに精一杯、愛情を伝えるから」
アステルの青い瞳が、やさしく輝いていた。
「想いは、きみがこれから探すんだよ、トゥリ」
◆
トゥリフェローティタは私室で眠っていて、ハッと目覚める。アステルはねずみのシンシアの死から立ち直り、新たなシンシアを探しに魔物たちを連れて出かけていった。城にはいない。
(懐かしい夢を見た)
トゥリはベッドの上でごろごろする。
毛布を抱える。
あれから2年たち、トゥリフェローティタは、呪いも愛も想いも、密やかに、ちゃんと持っている……はずだ。
アステルやミーロや他の魔物たち、いまだにトゥリを赤ちゃん扱いしてくる者たちに、もう、赤ちゃんだなんて言わせない。
一人前の魔物だ。
人間のときから数えたらアステルよりも年上であるのだから、当然のこと。
(だが……待てよ……)
トゥリは気づく。
呪いは、アステルから得た。
想いは、アステルを殺すという決意から成る。
愛が、アステルが言うように、アステルから与えられたものだというのなら、トゥリの構成要素には、すべてアステルが関係している。
ミーロの推測が本当であれば、魔力すら、もとはアステルから与えられたということになる。
アステルがそれを計画して成したのかはわからない、ぽやぽや魔王のことだ。
実はなーんにも考えていない可能性だってあるが、それにしたって、トゥリの存在そのものが、アステルの手のひらの上にいるようで、トゥリは……。
(……不愉快だ!)
トゥリは毛布を床にたたきつける。
部屋のなかの、アステルにもらった美しいものたちを割ってまわりたい気持ちになったときに、はたと思い出す。
(ミーロは、私に『欠けている』と言ったではないか。私は『愛なき魔物だ』というように)
トゥリは振り上げた手をおろして、考え込む。
(いや、でも、ミーロは……あの子は、私とアステルの関係をつぶさに理解しているわけではない。
あれはアステルの息子だから……私たちのことを、よくわかっていない……)
トゥリはやはり、アステル本人に文句を言いたい気持ちになったが、このときは不在でかなわなかった。
◆
しばらく過ぎて。
ペンギンのシンシアと帰ってきてから、もう雛のシンシアにメロメロで、世話にかかりきりだったアステルが、「たまには菜園のことをしたいから」とシンシアをルアンに預け、トゥリを初夏の野菜の収穫に誘った。
アステルは野菜の実りが良いことで、嬉しそうにしている。
「野菜も、愛情をかけて育てたら、応えてくれるからね」
赤い実を撫でるアステルを見て。
トゥリは自らの構成要素のことと、あふれるようなアステルへの殺意を思い出した。
そして、急に怒った。
「アステル様、私!
アステル様のこと、愛していませんから」
アステルは、きょとん、としたあと。
困ったように笑った。
「前にも話した気がするけれど、ぼく、素敵なトゥリの一番になろうだなんて、思ったことがないよ。ぼくはね、きみが世界とつながる足がかりになれたら、それでいいんだ」
「足がかり?」
トゥリは眉をひそめる。
「いちばんはね……前にも言ったでしょう?
ぼくはそれに応えられないのだもの」
(恋をするだのしないだのの話のときか?)
アステルはそっとトゥリに顔を寄せると、ぎゅう、とハグをした。
「でもね、トゥリ。
愛されていないとも思っていないよ」
急なハグにトゥリの体はこわばるが、アステルはもう遠慮しない。ぎゅううっとハグしたあとで、トゥリから離れて、顔を見つめながらささやいた。
「ぼくがきみを愛しているように、きみもぼくに愛があると思っているよ。そうでしょう?」
トゥリは、反射的にアステルの首に手を伸ばした。絞めたい、と思ったからだ、しかし――
「愛がなかったら、殺すことなんてできないよ」
アステルがニコニコ笑ったので、トゥリは手を下ろす。
(アステルの手のひらの上に乗るのは、いやだ)
トゥリは、アステルの手から赤い実を奪うと、腹いせのように地面に投げつける。
赤い実はぐしゃっと地面で潰れた。
「ああ! なにするの!」
アステルは潰れた赤い実の時間を戻し、回復させる。アステルの手には、奪われる前の赤い実がある。
「帰ります!」
「ええー!? そんなこと言わないで、ぼくと野菜の収穫をしようよ!」
トゥリはアステルを無視して去ろうとする。
「トゥリ!」
ぱしっ
不機嫌に振り向いたトゥリは、驚きつつ、赤い実をキャッチする。アステルが投げてきたからだ。いつのまにか強化魔術がかけられており、質感が変わっている。
アステルは、ふいをつかれたトゥリの手をとると、足早に、機嫌よく進む。
「こっちに美味しい葉物野菜があるから! ね?」
「なんて強引な……」
アステルはトゥリの手をひきながら、無邪気に笑いかけた。
「ぼく、ずっとこんな感じの性格だよ。
きみは昔は、知っていたはずだよ」
「私には人間のときの記憶はないんですって」
「じゃあ、これから知っていって、トゥリフェローティタ?
ぼくたち、時間だけはたくさんあるんだから」
機嫌よく、ぽやぽや笑う魔王を見ながら、トゥリはふっと、ミーロがアステルにげんなりしている顔を思い出した。
(この強引さが原因だろうな……立場が友人と親子では、感じ方も違うだろう)
「それで、この実はどうするんですか?」
「食べてみて」
トゥリは、質感が変になった実をジトーっと睨む。
「アステルが食べなさい」
トゥリは、乱暴にアステルの口に赤い実をつっこむ。
「むぐ……いま、ぼくのこと呼び捨てしてくれた?」
「……気のせいです」
トゥリフェローティタが外に出てきてから、2年目の初夏のできごと。




