30) 春の散歩
もうじき花の咲くであろう木のつぼみが、あかるい午前中の日差しに晒されている。
「結局、私をあの部屋に閉じこめたのは誰なのでしょうか」
「たぶん……シンシアなのだろうね」
トゥリ閉じ込め事件から数日後、まだ魔物たちの戻らない城の、庭から森にかけて。
アステルとトゥリはふたりで散歩をしている。
季節は春のはじめで、あたたかな日だ。
トゥリが「よくルアンを置いてこられましたね」と言ったら、アステルは「ぼくに危ないことがあったら彼にもわかるんだ。きみがぼくを攻撃したらすっ飛んでくるよ」と話した。
アステルはふたたび、少しずつ食べ始めた。体重は戻っていなさそうだが、血色は良い。泣き腫らした目も普通に戻っている。
「アステル様は、幽霊を信じているということですか?」
「いいや、そうじゃない。でもあのねずみたち……あの子たちは、シンシアの命令しか聞かないから。
シンシアがあらかじめ、たとえば、あの魔石をきみが使ったら、きみをあの部屋に閉じこめて攻撃するように伝えていたのではないかな」
アステルは、変なことを思い出した、というように眉をひそめてトゥリを見た。
「そもそも、どうしてシンシアになろうとしたの?」
トゥリはドキリとした。アステルはあの状態だったから覚えていないと思っていたのだが、ちゃんと覚えているようだ。
(ということは、キスも覚えているのか?)
トゥリは眉をひそめ返す。
「アステル様が部屋に入れてくださらないからです」
「ぼくはきみには、できるだけ格好良いぼくを見ていてほしいんだよ」
「アステル様のこと、私、格好良いとは思いません」
「ひどい……ぼく、美しいのに」
「中身について話しています」
アステルはぱちくり、とトゥリを見つめる。トゥリも見つめ返し。
どちらからともなく、笑いあう。
トゥリは聞く。
「アステル様こそ、どうしてキスしたんですか?」
アステルは、バツの悪そうな顔をした。
「だってきみが、ぼくを悲しませるから。
ぼくもきみを悲しませようと思ったんだ」
「悲しませたくてキスしたんですか? 変ですよ、それ」
ふたりはしばらく歩く。
春の花が、もう咲いている場所を見つける。
「アステル様は、人間の私のことが好きだったのですか?」
アステルは立ち止まり、花を眺める。
「うーん……好きにもいろいろあるよね。シンシアに対する好きとはもちろんすこし違うよ。
でも、そうだね……」
トゥリからはアステルの横顔の一部しか見えないが、トゥリは気づく。
アステルの耳は、赤くなっている。
「……憧れていたよ」
「憧れ?」
アステルは振り向く。
「500年前ね、きみってすっごく、格好良かった。格好良い大人に見えた。
少年のぼくにとって、魅力的だったんだ」
トゥリは(何を言っているんだ)とアステルを見つめる。
「私は今も格好良いですよ」
「ぼくはそうは思わない。トゥリは、可愛いし……変だよ、変わっている」
「アステル様ほど変ではないですよ」
「きみに変だなんて言われたくないよ、ミーロにも言われたくないけれどね」
「ミーロには私も言われたくありません」
アステルはふふ、と笑ったあと、春の花の揺れるのを見つめる。
「でも……だから最近は、トゥリを見ているとね。イリオスも、ぼくの知らないイリオスがたくさんあったんだろうなって思うんだ。
格好良いだけじゃなくってね」
ふたりは散歩を続ける。
ときおり、アステルが長いこと雨を降らせたせいでぬかるんだ地面がある。ぬかるみを渡れるように、アステルはトゥリに手を差し伸べる。
汚れるのが嫌なトゥリは、その手をとる。
ぬかるみに思うところのありそうなトゥリに、アステルは話す。
「心配をかけてごめんね。もうね、大丈夫。
シンシアが戻ってくる予感がするんだ」
トゥリはぬかるみを超えて、アステルより少し先に歩き、振り向く。
「シンシア様は転生して戻ってくるのに、どうしていつも、食べなくなってしまうのですか?
信じていないのですか?」
アステルは黙り込む。
さらに先に歩みを進めようとしたトゥリの背に、小さな声が聞こえた。
「あの」
「あのね」
振り向いたトゥリのことを、アステルはじっと見つめる。
「ぼく、この話をしたことは一度もないのだけれど……トゥリが聞いてくれるなら、話すよ」
「興味あります。途中で興味を失ったらちゃんとそう言うので、話してください」
「き、傷つきそう……」
しばしのち、ふたりは腰掛けるのにちょうど良さそうな倒木を見つけて、座って話をする。
「ぼくにとってシンシアはね、同じ魂を持つ……違う個体なんだ。
それにあるとき、気がついてしまった」
「え?」
アステルは俯きがちで、金色の髪が風にそよそよと揺れている。
「人間のシンシアの好きだった食べ物と、猫のシンシアの好きな食べ物は違うんだ。猫のシンシアの好きな場所と、アシカのシンシアの好きな場所は違う……違う生き物だから当然なのだけれどもね」
「もちろん、彼女は彼女だ。でも、ぼくは気づいた。
ぼくの選択は、彼女に繰り返される生だけではなくて、繰り返される死も強いている」
「だから、ぼくだけは……ひとりひとりのシンシアの死を、悼みたい。ちゃんと、弔いたいし、覚えていたいって、そう思っているんだ」
アステルは顔をあげるが、トゥリのことは見ない。目の前の春の景色を、ぼんやりと眺めている。
「本当にアサナシア教徒になりたいよ。魂を流転させずに、シンシアとふたりで楽園に行きたい」
「楽園なんて本当にあると思いますか?」
「あると思わないと、希望がないよ」
トゥリには、正直言って、アステルの気持ちはまるでわからない。トゥリは、考える。
(死んだって楽園なんてない。死は死、それだけだ。だから美しい)
(でも……アステルにとって、楽園は希望か)
「アステル様」
目を向けたアステルを、トゥリはまっすぐに見る。
「私に綺麗な死体をくれてありがとう」
「……? うん」
「死体をくれたから、私はアステル様が好きです」
アステルは、トゥリに好きと言ってもらえて嬉しかったが、理由に驚く。優しくしてもらったからとか、慈しんでもらったからとか、愛してもらったからとか、アステルにわかりやすい理由ではないからだ。
トゥリは立ち上がるとアステルの前まで行き、指先に神聖力を練る。
「なのでちょっと、燃えてもらって良いですか?
私、アステル様の死体が欲しいんです」
「断るよ」
「ざんねんです。
でも、覚えていてくださいね、アステル」
トゥリは神聖力を練るのをやめ、微笑む。
紫色の瞳は、らんらんと輝いている。
「いつか絶対、殺してあげますから」
アステルは、友人を見つめる。
トゥリは、はっきり通る声で宣言したあと、なにやらごにょごにょと付け加える。
「だからもう、貴方は貴方を傷つける必要はない」
アステルは、気づく。
「ああ」
「うん」
アステルは、愛おしそうに微笑む。
感謝を込めて、伝える。
「ありがとう、トゥリフェローティタ」
それは、トゥリの見たことのないアステルの表情だった。幸福そうで、『殺すぞ』という顔ではまるでなかったけれど、なぜか――今まで見てきたアステルの顔、それ以上の満足感があった。
(アステルを殺すのが、私の役目だ)
それはアステルの希望でもあり、トゥリの希望でもあった。
(そしてそれは――特別なことだ)
トゥリは、魔王城に来てはじめて、(自分の存在も悪くない)と、そう思えたのだった。
魔王城は、いつもどおりに戻り。
今度のシンシア妃は、ペンギンだ。
「魚を調達するのがねえ。やっぱり城の中にある、あの池を、生け簀にするべきなんじゃないかなあ」
ミーロはなにやらぶつぶつと呟いている。
そのそばで、ペンギンのヒナのシンシアがよちよち歩くのを、ルアンが見守っている。
トゥリフェローティタは相変わらず、悪さばーっかりしている。神聖力当てゲームやいたずらの標的となった魔王城の魔物たち、曰く。
「あいつが『慈しみ』なんて綺麗な名前をしてるのが本当に信じられねえよ! 魔王様があいつに『慈しみ』なんて名前を授けたことが、本当に納得いかねえよ!」
「まあまあ……トゥリフェローティタは仕方ねえよもう……厄災と思って避けて通るしかない。今夜は飲もうぜ」
トゥリフェローティタは、アステルの執務室に呼ばれて最近の悪行をたしなめられている。
たしなめられたあと、アステルはそれだけで返すのは何だからと、トゥリをお茶に誘う。
他愛もない話をしたあとに、ふと。
アステルは聞く。
「トゥリ……きみは、生まれてきてよかった?」
「なぜそんなことを聞くのですか?」
アステルから返答はない。
トゥリは首を傾げる。
「どうでしょう? あー……でも、アステル様が毎年、首を斬られるシーンを見せてくださるなら、そのたびに、生きていてよかった! と思うかもしれません」
「きみは、相変わらずだねえ」
アステルはあたたかいお茶をすこし冷ましながら、微笑む。
「でもきみが、生き生きしていて、よかったよ」
「アステル様も、相変わらずですね」
(私が生き生きしているのを喜ぶのなんて、アステルくらいなものだ。
神聖力に満ち満ちているということだからな)
トゥリは、あたたかいお茶をそのまま飲む。
「ねえ、ふたりきりのときくらい、ぼくのこと、呼び捨てにしても良いんじゃない?」
「上下関係は大切にしないといけません」
「う……ルアンみたいなことを……思ってもいないことを言っているでしょう、きみ」
「はい、思っていません」
ふたりは視線を交わし、どちらからともなく、笑いあう。
初夏の日差しと、あたたかなお茶と、なごやかな会話だ。アステルはこのあいだ、面白いことがあったのを思い出す。
「ねえ、聞いてよトゥリ、あのね……」
(トゥリフェローティタは魔王様の特別になりたい おわり)
〜あとがき〜
今後は、幕間や番外編や後日談を更新したいと思いますが、ひとまず完結です。
お読みいただき、本当にありがとうございました!




