29) ねずみなんてこわくない
トゥリフェローティタは、白いねずみの後を追って魔王城を歩く。ねずみはトゥリの知らない道をたくさん通り、じぐざぐと進んで行く。
トゥリは匍匐前進までさせられたあと、見知った白い螺旋階段をのぼる。
(なんだ……? この先は、池があるだけなのに)
そこまで考えて、トゥリはハッとする。
アステルは、ミーロが話したように『シンシアの後追い』をしようとしているのではと考えたからだ。
ルアンがいない状況で、あんなことをトゥリがしたから。
けれども、ねずみの案内の先に、アステルは居なかった。
螺旋階段をのぼり、廊下を進んだ先には……水面が静かに揺れるだけだ。
背後にざわめきを感じて、トゥリは振り向く。
そこにいたのは、大量のねずみだ。
チュウチュウ。キュウキュウ。
「え……わっ!?!?」
トゥリは、白いねずみたちの大群に池へと突き落とされる。
もがき苦しみ、溺れるうちに流れに飲まれ。どこかへと流されていく。
「げほっ ごほっ」
トゥリは、水を吐いて目覚める。
あたりを見回して、そこが、見覚えのある部屋であることに気がつく。
その部屋には高い位置に天窓だけがある。
他に窓も扉もなく、白く、狭い。
トゥリが、500年を過ごしたというその部屋。
(最下層まで流された……?)
ねずみがトゥリの足元を這う。
うごめく気配が、足先を、かかとをなぞる。
トゥリは気づく。
これは、かつての拷問の再現だ。
だが、この部屋にアステルがいないことは明白だ。
ずっと城にのしかかるようだった、アステルの魔力の気配がここにはない。
別の何者かがトゥリを陥れ、この部屋に閉じ込めたのだ。だってここには、出口がないのだから。
トゥリは、焦る。
魔術で出ようとする。
弾かれる。
神聖力を使う。
効果がない。
足元をうごめく数多の気配。
ねずみだけ。
ねずみだけだ。
けれど、トゥリは思い出す。暗い記憶。生き物に触れられ、喰まれ、蝕まれ続けた日々。ちいさなナメクジになって、耐えしのび続けた日々。蠢くものたちとの。
トゥリの心に恐怖が溢れ出す。
「い、嫌だ!!!! 助けて!!!!」
トゥリは壁をたたく。
「だれか!!!! アステル!!!!」
アステルは、正気を失っている。
「ミーロ……」
ミーロは、城にいない。
トゥリは、気づく。
呼べるのは、ひとりだけだ。
大嫌いな、来るかもわからない、あいつだけ。
トゥリは(絶対に嫌だ)という気持ちを(部屋から出たい)気持ちで押しのけ、叫ぶ。
「ルアン!!!!」
壁を叩き、蹴りながら、遠い天窓に向かって叫ぶ。
「ルアン!!!! おい!!!!」
トゥリの体に、ねずみたちが登り始める。
「いいのか!?!?
私が居なくなったら、アステルは、きっと、泣く!!! アステルをこれ以上、泣かせて、いいのか!?!?」
「ルアン!!!! 私を、助けろ!!!!」
トゥリは、叫ぶ。
返事はない。
そもそも、声が届く保証がない。
トゥリは、ねずみの濁流に飲まれる。
こうなってしまってはもう、からだの中に入られないように口を閉じるしかない。
大量のねずみに全身を喰まれながら、トゥリは口をぎゅっと結び、ねずみの濁流に耐える。
しばしのち、ねずみたちは一旦、退く。
トゥリは床でまるまって体を小さくしている。
泣いている。
「うっ う、うう……」
一旦去っただけで、また来るとトゥリにはわかっている。一回で終わるはずがないからだ。
(おまえは本当に愚かだな、トゥリフェローティタ……)
トゥリは涙をぬぐう。
(助けに来るわけがないだろう、ルアンが……私を嫌っているのだから)
トゥリは一旦、落ち着こうと思う。
深呼吸してすこし考える。
少年の口から這い出る。
(この体のほうが、生き物に触れる面積が少ない)
トゥリは、モゾモゾと少年の体の下に隠れる。
(人間の私は……小さな体になることを、願ったのかな? 500年を過ごすなかで、それが一番良い方法だと気づいて……)
トゥリは少年の腕にピトッと寄り添う。
(はあ……こんなときでも、死体は落ち着くな……)
そのとき、白い部屋に急に光で描くように扉があらわれたかと思うと、大慌てのアステルが駆け込んできた。
「トゥリフェローティタ!!!!」
アステルのこんな必死な声を聞くのは、トゥリは、はじめてだった。
アステルはねずみの噛み跡の残る、顔色の悪い少年を抱き抱える。
「えっ 冷たっ えっ……!?」
アステルは死体を抱えて、おろおろ、きょろきょろとする。
「どこにいるの、トゥリフェローティタ……」
アステルは明るいところで見ると、金色の髪はボサボサだし、黒いローブも乱れているし、痩せているし、泣き腫らした目だし、美男子が台無しだ。
呆然としていた白く小さなトゥリは、
(この状態のアステルの死体は欲しくないな)
そんな考えが頭をよぎり、フッと笑った。
アステルが部屋に入ってきたあたりから、ねずみたちの気配は消えていった。
トゥリは、そろりそろり、とアステルに見える場所へ出ていく。
「トゥリフェローティタ……」
アステルはトゥリを床から掬い上げると、両手で、とても大事なものを包むように包み込んだ。
「よかった、無事で……」
アステルはトゥリを包んだ手に、額を寄せる。しばしのち、顔をあげると、教えた。
「ルアンが教えてくれたんだよ。城にトゥリの気配がないって。ぼくを叩き起こして……この時期に、彼がぼくにそんなことをするのは珍しいから、なにか大変なことがあったのだと……でも、城から出て行った痕跡はないのだもの」
トゥリの叫びが、ルアンに聞こえたのだろうか。
(いや……私がいないから、逃げ出したり悪さをしたと考えたのでは?)
トゥリはルアンをやや、疑う。
本当に求めに応じ、助けてくれたのかどうか、かなり半信半疑だ。
トゥリは何があったかを話す。
アステルは黙って頷いたのち、部屋を見回す。
「この部屋……この部屋はね、ぼくの管理外なんだ。城のなかでこの部屋だけは」
「アステル様が作られて、私を閉じ込めたのではないのですか?」
アステルは首を横に振る。
「違う。きみへの拷問は、ぼくの計画ではない。けれど、ぼくは、計画に加担した。魔物を迫害するきみへの対処を、拒みきれずに……この部屋に魔王の魔力を与えた」
「だからきみの500年をつくりだしたのは、きみを地獄に落としたのは、噂どおり、ぼくだよ」
トゥリは、アステルの青い瞳を見上げる。空の色をした瞳からは、感情が読み取れなかった。
けれどトゥリのちいさな、紫の瞳と目が合うと。アステルの瞳は、まあるく光って。光がこぼれ落ちるように、涙の雨が降ってきた。
「イリオス、」
アステルは、もういない人間の名前を呼ぶ。
「ごめん、ごめんね……」
手のひらの上のトゥリに、首を垂れて泣く。
トゥリには、人間のときの自分と魔物の自分との連続性がわからない。
けれど、アステルは……連続性のあるものとして見ている。
トゥリは、思う。
トゥリの記憶に爪痕を残している、おぞましい感覚のこと。
この部屋を出たころ、トゥリにとってアステルは神様だった。何をされたって仕方ない存在だった。けれどトゥリにとってのアステルは、もう、ただのアステルだ。
大切な人間たちを失い続ける、ひとりぼっちのアステル。
「アステル」
アステルは顔をあげる。
トゥリフェローティタは告げる。
「許しません」
アステルの手の指に、小さな白い手で触れた。
「でも、そばにいます」
アステルは、泣く。
たくさん泣いたあとで、小さな声で言った。
「ありがとう、トゥリフェローティタ。
ぼくの、大切な友人」
アステルがねずみのシンシアの死に向き合えるようになって、元気を取り戻すにつれて、城に魔物たちが戻ってきた。
休暇を終え戻ってきた魔物に順々に、少年トゥリは神聖力でいたずらをしてまわる。アステルはというと……たしなめるくらいの感じだ。
ミーロが帰還するなり、トゥリはミーロでゲームをはじめる。神聖力を針のように練り、当て、得点を数えながら追い回す。
「なに、なになに!?!? なんでそんなに元気なの、なにがあったの!? トゥリフェローティタ!?」
「あはははは ミーロ、おかえり。魔王城へようこそ」
「ボクの家なんだよ! ボクは第一王子なのに、なんで城に帰って城のなかで追い回されなきゃいけないわけ!?」
アステルはにこにこと告げる。
「ミーロ、トゥリはね、ミーロが帰ってきたのが嬉しいんだ」
「父様! 見てないで止めてくださいよ!?」
後日、トゥリとミーロが話しながら廊下を歩いていると、トゥリの足元に白い小さなねずみが歩いている。
「ひっ」
トゥリは大げさに避ける。
あの一件以降、トゥリは、ねずみが苦手だ。
「トゥリってねずみ、ダメだったっけ?
母様をあんなに眺めていたのに」
トゥリの顔色は、青い。
「こわいの?」
「こわくはない」
ミーロは白ねずみを優しく追い払う。
「ただの、ねずみだよ。でも今回はね、増えすぎだよねえ」
ため息をつき、伸びをしながら廊下を歩く。
「この城で起こることはね、ぜーんぶ父様のせい」
トゥリフェローティタは、結局、ルアンにお礼は言えていない。
(本当に私を助けたとしても……あいつは、アステルのために私を助けたんだ)
(でも、それでいい)
トゥリは砂糖をすこしばかり小皿に入れて、ルアンの部屋の前に置いておいた。
翌日、小皿が空になっているのを見て。
トゥリはなんだかおかしく感じた。
(なんだよ、砂糖が好きな犬って。いかにも肉しか食べなさそうな顔をしているのに)
トゥリは、機嫌よく。
笑いながらルアンのお皿を回収する。




