28) トゥリと姿見
「美しい……」
白い魔石を使い、トゥリはシンシア妃に化ける。あまりの美しさに、部屋の鏡を見て惚れ惚れとする。
美しく流れる白い髪に、蒸気した白い頬。
青みがかった灰色の瞳が、じっ……と鏡の向こうから、トゥリを見つめる。
自身がシンシア妃になっている分には、恐怖は感じなかった。
(このシンシア様の死体が欲しい)
トゥリはシンシア妃に化けたまま、接続を切る。ゴッと音を立てて、椅子に頭をぶつけながら、少年の死体が床に転がる。
ナメクジ姿のトゥリは、口から這い出る。
少年の死体が頭をぶつけて床に転がっているのを見て、自分の愚かしさにおどろく。
アステルの声が脳裏に響く。
『きみは、シンシアのことになると途端に鈍感になってしまうね。何故なんだろう?』
(いや、違う……シンシア様だけではなく、アステルのことでもそうだ。
私は、美しい死体のことになると、愚かになる。情欲が絡むと、ダメなのだ)
トゥリは、恥いる。
そうしてもう一度、少年の死体のなかに入ると、シンシア妃に化けて、鏡を見つめた。
(こんなに美しい、死体のような、亡霊のような人が……こんなに美しい人が目の前にいるのに、手に入らないなんて……)
トゥリはシンシアの姿で、さめざめと泣く。
鏡に映る悲しそうな顔すらも、美しかった。
トゥリは鏡を見つめるうちに、気づき――ハッとした。
(シンシア妃は、いま、アステルがもっとも会いたい相手なのでは?)
トゥリは鏡に白い指を添える。
(シンシア妃の姿なら、アステルの部屋に入れるのでは?)
そして、もうひとつ思い出す。
(アステルは、シンシア妃に化けたミミックに襲われたという話ではなかったか? それがミーロの母だと)
(つまり、この姿であれば、アステルとセックスすら、できてしまう……?)
鏡に映る美しいシンシアは……トゥリは、考え込む。
(いや、でも……したいか?)
トゥリは支配したいのであって、支配されたいわけではないため、考え込む。
(まあ、つまり――この姿は最強の免罪符だ。
なんだって、できる……ルアンに見つからなければな!)
トゥリは、シンシア妃への変化を解く。
白い魔石を白い服のポケットへと入れる。
トゥリは、ルアンを探しに行く。ルアンは厨房に向かうところのようだ。トゥリは急いで先回りして、カゴをのぞきこむ。果物はもうひとつしか残っていない。
トゥリはそれを急ぎ、地下倉庫へと隠し、自身は窓から外へと出る。
ルアンは、カゴを覗き込む。
あっ、という顔をする。すんすんとにおいを嗅ぎ、トゥリのにおいを感じ取ったのか顔をしかめる。
ルアンはタッと走り出す。
トゥリはそれを、物陰から見ていた。
(ルアンは、果物を城の果樹園……温室までとりに行った)
アステルの家庭菜園や果樹園のあるエリアは、すこし距離がある。
ルアンの速い足であっても、すこしは時間が稼げるはずだ。
トゥリは、走る。
アステルの部屋へと向かう。
部屋へと繋がる廊下に来ると、歩いて息を整える。夕暮れどきだ。
震える指で、ポケットのなかの白い魔石に、触れる。
シンシアになると、もう、震えはおさまる。
(シンシア様は心が強いと、アステルも言っていた……シンシア様の皮をかぶっていれば……中身が私であろうと、強い者になれる。
だって――シンシア様は、アステルの、特別だ)
トゥリは、アステルの部屋への扉に、シンシアの白い指で触れる。
予想通り、部屋の扉は、開く。
『シンシア』が入るとぱたんと音を立てて、すぐに扉は閉じる。
部屋のなかは、薄暗かった。
アステルはベッドの上にいる。いつもどおりの黒いローブを羽織った魔王の姿で。まるまって、泣いている。その姿は、トゥリが知っている、偉大な魔王と称賛されたり、神様だと崇められるアステルとは違った。
500歳なのに、まるで幼子のような姿は。
トゥリはおどろき、扉の前に立ったまま、アステルを見つめる。
トゥリにとってアステルはずっと――トゥリを保護し、守る存在だった。トゥリはアステルの手のひらの上にいて、ガラスの箱の中にいて、それをイヤだと感じる気持ちもあった。
けれど、このアステルは、ルアンが守っている――『自らを傷つけないように、ルアンが見張っている存在』なのだ。
トゥリは、アステルをなんとかしたいと思う。
トゥリの知っているアステルに、戻って欲しいと願う。
人間のシンシア妃の姿で、泣くアステルに近づく。黒い背に、白い手を置く。
アステルは、ハッとして身を起こす。
「シンシア」
アステルは、泣き腫らした目をトゥリに向ける。驚きから、表情がやわらいだかと思うと、ぽろぽろ、と嬉し涙をこぼす。
「ぼく、夢を見ているのだろうか」
白い髪に手を伸ばし、トゥリの体を抱きしめながら頭を撫でる。
「夢でも、きみがそばにいてくれて、本当に嬉しい」
アステルはトゥリにとても、とても優しく口付ける。
「愛しているよ、シンシア」
唇を離したアステルの青い瞳は、シンシアへの愛を語る。
トゥリは、気づく。
まっっっったく、嬉しくないことに。
撫でる手も、抱きしめる腕も、優しいキスも、すべてがトゥリのものにはならない。すべて、すべて、すべて、シンシアのものだ。『特別』のものだ。こんなのは、トゥリの欲しいものには、ほど遠い。
たまらずに変化を解く。
喜びに満ちていたアステルの瞳は、フッと翳る。表情が曇ったか、と思うと。
トゥリのことを、ベッドに突き飛ばす。
「え?」
アステルは、トゥリをベッドに押し倒す。
青い瞳は、焔のようにゆらめく。
怒っている。
静かな声で、聞く。
「どうしてこんなことをするの? イリオス」
「イリオスって誰ですか? アステル様」
手首を押さえつけられたトゥリは、きょとんとして、アステルを見上げる。
「ぼくは、きみが、触れられるのが苦手なことを、知っているよ」
アステルは、トゥリに乱暴に口付ける。
トゥリは、アステルからのキスに驚く。
先ほど、アステルがシンシアにしたような気持ちのこもったキスではない。ミーロがトゥリにするような、優しく完璧なキスでもない。
ただの、乱暴なキスだ。
けれど、キスはキスだ。
気持ちのこもった、キス。
アステルはトゥリを押し倒すのをやめる。
ベッドから降りて立ち上がると、どこか遠くを見るように壁に差す陽をぼんやりと見つめて。
ふっ、と、転移魔術で居なくなってしまった。
トゥリは、アステルのベッドの上にひとり、残される。
トゥリは、真っ赤になる。
(いまの、キスは、)
大いに動揺し、アステルのベッドのシーツを握りしめる。
(だれへの、何のためのキスだ!?!?)
ベッドの上で赤面し動けないトゥリの耳に、なにかが聞こえる。
キュウキュウ、チュウチュウという、ちいさなネズミの鳴き声だ。
ふと気づくと、床の上に、1匹のねずみがいる。白く美しい、そのねずみ。
(シンシア様は、亡くなったはずでは……)
ねずみは、トゥリに語りかける。
チュウチュウと囁き、その声で、姿で、トゥリを手招く。
『ついておいで』、と。
『アステルはこっちだよ』、と。




