第34話 決別の新学期⑦
見たって、昼休みに中庭でやってたアレのことか?
陽菜が弁当のおかずを俺に食べさせていた姿?
それを今、耳まで赤くして、震える手で真似しているのか?
なぜ?
今日ほど島崎の思考が読めない日はない。
俺が戸惑って呆然とそのスプーンを見つめていると、彼女はスプーンを皿の方へ戻した。
「……そう。私とはこういうことできないってことなんだね」
俺はあえて反論しなかった。
その通りだったからだ。
俺たちはもう、恋人じゃなくなるんだから。
「琴音さん、知ってると思うけど、俺は陽菜と正式に付き合うことになった。罰ゲームで付き合っていたとはいえ、結果的に浮気になった。そこは謝りたい。本当にごめん」
俺は深く、頭を下げた。
去年までは——いや、ほんの数ヶ月前まで、不倫に走った母さんが理解できなかった。
だが今は、状況は違えど、その気持ちが少しだけ分かる気がする。
少なくとも母さんは、政略結婚とはいえ、父さんとの結婚生活に少なからず期待していたのだろう。
「……そう」
頬を叩かれる覚悟で言ったが、意外にも島崎さんは淡々としていた。
それとも仮面を被っているだけで、内心では激しく怒っているのだろうか。
どちらにせよ、もう前みたいには戻れない。
友達だった頃にさえも。
「で、話はそれだけなの?」
「え? いや……」
彼女は何事もなかったかのように、今度はピザカッターでピザを一切れ切り分け、口に運んだ。
……俺、今確かに浮気したと自白したよな?
やっぱり彼女にとって俺は、最初から好きでもなければ彼氏でもなかったのか。
「詫びの品というか、俺と陽菜で準備したんだ」
ポケットに入れていたメモ用紙を一枚、島崎さんの方へ差し出した。
彼女はメモを手に取り、内容を見た。
「……何これ? アイディー?」
「うん、ラインのアカウント。前に気に入った男子がいるって言ってたろ? 陽菜のツテでどうにか手に入れたんだ」
「気に入った男子って、何の話よ」
サッカー観戦の時の話を、かいつまんで説明した。
俺の話を聞いた島崎さんは、これまでにないほど慌てた口調で言った。
「い、いやあの時は別にそういう意味じゃなくて……! ただ芸能人を見るような感覚で言っただけで、恋愛的な意味では……」
「一度直接会って話もしてみたけど、俺から見てもいい奴だったよ。琴音さんの写真を見せたら、向こうも気に入った様子だったし」
「私は別に、その人に興味なんて……」
「でも琴音さんのタイプだろ? イケメン俳優似なのに同年代で、しかも琴音さんのこと気に入ってるんだ。十分に会ってみる価値はあるんじゃない?」
向こうの学校では島崎さんと似たような立ち位置で、王子様扱いされているようだった。
高嶺の花と王子様なら誰が見てもお似合いだろう。
直接会ってみた感じ、性格も悪くなさそうだ。
俺も陽菜も、安心できると思う。
「……大輝くんは、私が他の男のところに行けばいいと思ってるの?」
「行ってほしいというか……俺、今まで琴音さんに散々迷惑かけただろ?」
「迷惑?」
「イジメられそうだったのを助けてもらったのに、しつこく毎月告白して、付きまとって。本当に反省してる」
ある意味、島崎さんのおかげで陽菜とも結ばれたわけだし。
いろんな意味で恩人だ。
「琴音さんには、いい人と結ばれて幸せになってほしいんだ」
「っ……」
島崎さんがフォークをテーブルに乱暴に置いた。
浮気を告白された時より、明らかに感情的だった。
彼女は制服のスカートを両手でぎゅっと掴んだまま、うつむいて尋ねた。
「ねぇ、大輝くん。私、どう変わればいいのかな。教えてくれない……? 私、どうすればいいか分からないの」
「別に琴音さんが変わる必要はないよ。ただ俺が全部悪かっただけだから。琴音さんは今のままで十分だと思う」
俺と島崎さんは、ただ色々合わなかっただけだ。
ありふれた恋愛話だ。
伝票をちらりと見て、財布から現金を取り出した。
「半分は俺が出すよ」
言うべきことは全部言った。
渡すべきものも全部渡した。
これで俺と島崎さんは、罰ゲームで付き合う関係じゃなくなった。
陽菜の幼なじみだ。
ただ、それだけだ。
現金をテーブルにそっと置き、立ち上がろうとした。
——その時だった。
「……待って」
島崎さんが俺の手を、とっさに掴んだ。
「まだ話終わってない。それとお金、持って行って。私が全部出すって言ったでしょ」
「いや、でも……」
「終わってないって言ってるでしょ!」
彼女は腕に力を込めて、俺を半ば強引に席に座らせた。
これ以上、何を話すことがあるんだ?
お互い気まずいだけなのに。
「これ、私にくれたんだから、私の勝手にしていいのよね?」
島崎さんが先ほど俺が渡したメモを指差した。
俺が頷くと、彼女はそのメモを両手で掴んだ。
ビリビリッ——
メモを破り捨てた。
一度、二度、三度、四度、五度……。
執拗なまでに細かく引き裂かれた紙片が、雪の結晶のようにテーブルへ舞い散っていく。
「私、別れるつもりなんてないから」
俺は島崎さんの宣言に、言葉を失った。
一体何を考えているのか、思考がまったく追いつかない。
彼女の立場からすれば、俺はもう付き合う価値なんてない男じゃないのか?
「言葉通りよ」
「なんで……」
「なんでって、それは当たり前でしょ」
島崎さんが、今まで俺の前では見せたことのない笑みを浮かべた。
そして俺の両手を、祈るようにそっと包み込んだ。
「大輝くんのことが好きだから」
「俺のこと、好きだって……?」
「うん」
島崎さんは不意打ちみたいに告白してきた。
恥ずかしげに俺と視線を合わせ、すぐに顔を赤らめてそっぽを向いた。
俺は確かに自分が浮気したと告げたはずだ。
あの生真面目な彼女が浮気者を好むはずがない。
それなのに、彼女の心がまったく読めなかった。
「……琴音さん。どうして今さら、俺のことを好きだなんて言えるんだ? あの日の告白は、罰ゲームで仕方なく言っただけの嘘だったんだろ?」
「今さらじゃないわ。付き合ってる頃から好きだった。ううん、たぶん一年の頃には、もう無意識に好きになってたんだと思う」
「……もしかして、俺が浮気したことに復讐したくて、演技してるんじゃ――」
「違う! 信じられないかもしれないけど……。私は本気で、大輝くんのことが好きなの」
島崎さんは、今も俺の両手を握りしめたままだ。
指先のかすかな震えが、触れた肌から伝わってくる。
頭はぼんやりしているのに、彼女の言葉だけは嘘じゃないと、はっきり感じられた。
「たとえ一年の頃から俺のことを好きでいてくれたとしても、もうとっくに愛想が尽きてるんじゃないか? 俺なんて陽菜とああいう関係にまでなっちまったんだし……」
「正直、恨んだこともあったわ。でも、私のほうがもっと悪かったって気づいたの」
「別に琴音さんに非は――」
俺の言葉を遮るように、島崎さんが首を横に振った。
「私、恥ずかしいってだけで、大輝くんにひどいことばかり言ってきたじゃない。それに変に意地を張って、罰ゲームだから仕方なくなんて最悪な告白をしちゃったし……」
考えてみれば、彼女は他人の恋バナを聞くだけで顔を赤らめるほど、恋愛に疎い。
エッチなことに耐性のある陽菜と違って、保健体育で習った範囲から、ほとんど抜け出していないのだ。
「言い訳はもうしない。私、これからは大輝くんにとっていい女になれるように努力するわ。だから、チャンスをください」
島崎さんは頭を下げたまま、言葉を続けた。
「私が変わるチャンスを……」




