第33話 決別の新学期⑥
琴音は美咲の話を淡々と聞いた。
陽菜もまた多くの悩みを抱え、大輝の心を得ようと絶えず努力していたのだと悟った。
ただ、その形が『二番目の彼女』。
琴音としては発想すらしたことのない概念で、頭が真っ白になった。
「大丈夫、琴音ちゃん……?」
話をすべて終えた美咲が、気遣わしげに琴音の顔色をうかがった。
琴音は今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
だがここで泣いてしまえば、せっかく話してくれた美咲を困らせるだけだ。
「大丈夫です」
琴音は席を立った。
三段重の弁当は、テーブルにそのまま置かれていた。
「それ、全部差し上げます。お重だけ明日返してください」
「こ、琴音ちゃん?」
美咲を背に、琴音は相談室を後にした。
食欲が完全に失せた。
だが昼休みが終わるには、あいにくまだ時間があった。
それに、大輝から午前に届いたラインに返信もできていない。
行く当てのない琴音は、結局誰もいない非常階段へと足を向けた。
独りになりたいけれど、独りにはなりたくない。
そんな矛盾した感情が胸を締めつけていた。
(どうすればいいのか分からない……)
美咲と話して覚悟を決めたところまではよかった。
自分の選択が険しい道のりになるという事実も、はっきりと理解した。
けれど、大輝からの別れの宣告が目前に迫った今、どう切り抜ければいいのか――その答えが見えなかった。
(こんな時、いつも相談に乗ってくれたのは陽菜だったのに……)
琴音の脳裏に、陽菜との幼い頃の思い出が次々に蘇った。
自分を島崎家の令嬢ではなく『琴音』として見てくれた、初めての同性の友達――陽菜。
箱入り娘として育てられた琴音とは違い、陽菜は男の子のように活発でやんちゃだったが、同時に男の子にはない繊細さも持っていて、幼い琴音の目には神秘的にさえ映った。
(陽菜に憧れてたんだよね、私……)
人懐っこくて、愛想がよくて、その気になれば何でもできる。
琴音はそんな陽菜になりたくて、陽菜がやったことは全部真似しようとした。
勉強も、運動も、自分磨きも、それこそゲームさえも。
(だから好きになる男まで同じになっちゃったのかな)
笑えないわ、本当に。
琴音は非常階段に腰を下ろし、顔を膝にうずめた。
その姿勢のままじっとしていた彼女は、やがてスマホを取り出した。
『真面目な話があるんだ。今日、放課後に時間作れる?』
大輝のラインメッセージが画面に表示されたままだった。
このまま既読スルーしてしまえば、関係まで消滅するかもしれない。
だが、会いたいけれど会いたくない――そんな気持ちのせいで、事務的な返信すら打てずにいた。
スマホを操作してラインのトーク画面から出ると、トーク一覧が表示された。
その中の一人の名前が琴音の目に入った。
――小田七海
夏祭りの時、自分の事情を理解して協力してくれて、慰めてくれた人。
家庭教師に過ぎない七海に、これ以上迷惑をかけたくはなかった。
だが今の琴音には七海以外に頼れる人がいなかった。
『先生、今電話大丈夫ですか?』
送信してから10秒も経たないちに、
『OK〜』
という文字が大きく入ったスタンプが飛んできた。
琴音はすぐに名前の横にある受話器のアイコンをタップした。
「久しぶりじゃん、琴音ちゃん〜 元気にしてる?」
「そんなに久しぶりでもない気がしますけど。……元気かと言われると、どうでしょう。とりあえず、生きてはいます」
「それ元気じゃないじゃん! まあ、今連絡してきたのもそうだし、あのボンボンのせいでしょ?」
やはり七海は勘が鋭い。
それでも文句一つ言わないあたり、彼女は優しくもあると琴音は思った。
「はい……。私、色々考えたんですけど。大輝くんのこと、諦めないことにしました」
「あ、やっぱり〜」
「……予想してましたか」
「まあ、なんとなく? 琴音ちゃん、あのボンボンのこと普通に好きってレベルじゃなさそうだったし〜」
あはは、と七海の快活な笑い声がスマホのスピーカー越しに伝わってきた。
琴音はまだ自分の恋心を口に出すのが恥ずかしくて、顔を赤らめた。
「でも私、これからどうすればいいか全然分からなくて……。先生なら、もしかして分かるかなって」
「うちもそんなドロドロした恋はしたことないから、役に立てないかもよ?」
「それでも、お願いします」
せめて聞いてほしかった。
そんな気持ちで、琴音は夏祭り以降に起きたことを要約して七海に話した。
先ほど知った『二番目の彼女』や、嘘告を含めた自分の過ちについても。
「いやー、やっぱりその陽菜って子、ハンパないね。あの子にかかったらイチコロじゃない男なんて一人もいないんじゃない?」
「……私には勝算が一つもないんでしょうか」
「正直よく分かんないな〜 単純な浮気とか二股って定義しにくい問題だし。ただ、琴音ちゃんにもアドバンテージはあるよ」
「アドバンテージ、ですか?」
琴音は目を丸くした。
「なんだかんだ言っても、そのボンボンが元々好きだった相手は琴音ちゃんでしょ? でも琴音ちゃんが引いてばっかりだったから、本当に離れてっちゃったわけで。しかも嘘告なんて最悪なことまでやっちゃったしさ〜」
「っ……」
「だから一度、思いっきり押してみなよ。てかそもそも、琴音ちゃん、ちゃんと自分からボンボンに本当の気持ちを伝えてもないじゃん? まだリングにすら上がってないんだって」
「理屈は分かりました。でも具体的にどうすればいいのか……」
大輝があちこちに連れ出してくれるようになるまで、琴音は麻美が許可した作品しか見ることができず、メディアの知識さえ乏しかった。
ありふれたアプローチや、恋人同士がすること、「友達以上恋人未満」とかも、単語を知っているだけだった。
「うーん……。こう考えてみたらどうかな? 琴音ちゃん、麻美さんのこと嫌いでしょ?」
「……少なくとも、今の母のことは」
「でもうちから見ればさ、麻美さんも琴音ちゃんのこと、ものすごく大事にしてるからこそだと思うんだよね」
「私を家の道具としか見ていない気がしますが」
「多分そうじゃないと思うよ。ま、とりあえずうちの言う通りだと仮定してみて」
琴音はあまり納得がいかなかったが、とりあえず「はい」と答えた。
「琴音ちゃんの立場でさ、麻美さんにどんなふうにしてほしい?」
「……え?」
「だから、もし麻美さんが本当に琴音ちゃんを愛してるなら、どんな姿だったと思う?」
琴音は、父親もまだ家にいた幼い頃を思い出した。
あの頃の麻美は今のように厳しくなく、むしろ使用人に甘やかしすぎだと言われるほど優しかった。
今のような姿になったのは、父との離婚以降だった。
「なんか思い浮かんだっしょ? それをそのまま、そのボンボンに向けてみなよ〜 それが琴音ちゃんの知ってる、愛の原体験なんだから」
「愛の原体験……」
「愛ってさ、形は違っても本質は同じだと思うんだよね。だからきっと、琴音ちゃんはもう知ってるはずだよ」
七海は小さく笑い声を漏らし、言葉を継いだ。
「愛を表現する方法を」




