第30話 決別の新学期③
昼休みになった。
教室まで迎えに来てくれた陽菜に連れられ、中庭へと向かう。
うちの学校の中庭にはパラソル付きのピクニックテーブルがあって、弁当を食べる生徒たちに結構人気がある。
(まだちょっと暑いな)
9月に入ったばかりで、昼の気温は28度近くまで上がっていた。
そのせいか中庭はいつもより人影が少なかったが、陽菜は気にも留めず、テーブルの一つを陣取った。
彼女はむしろ楽しげに鼻歌を口ずさみながら、ランチバッグを開けた。
「今日、作るの大変だったろ?」
家まで来て朝飯を作り、昼の弁当まで用意してくれたんだ。
どれだけ早起きしたのか、想像もつかない。
彼女にあまりにも頼りすぎている気がして、提案した。
「明日は俺が作るよ。一日交代で作ろう」
あるいは、弁当だけは俺が作る。
そうやって分担すべきなんじゃないか。
少なくとも、陽菜にばかり負担をかけたくなかった。
ところが陽菜は、不満げに頬を膨らませた。
「別にそんな言葉が聞きたくて作ってきたわけじゃないんだけど」
恋愛初心者の性なのか、予想外の反応にどう返せばいいか、戸惑った。
こういう時は、相手の立場で考えるべきか。
もし俺が恋人のために弁当を作ったなら、どんな言葉が欲しい?
「あ、その……。俺のためにありがとう。美味しくいただくよ」
おずおずと言うと、陽菜がにっこりと笑った。
「私がやりたくてやってるんだから、分担なんて言わなくていいの! その代わり、私が大輝のことを好きだからやってるんだって、そこだけ分かってくれればいいの」
「あ、うん。それでも気をつけるよ。陽菜がご飯作ってくれるのを当たり前だと思わないように。お返しもちゃんとするし」
「お返しは、私をたっぷり可愛がってくれること! それで十分!」
陽菜があまりにいじらしいことを言うものだから、思わず顔が火照った。
こういう日常に潜む幸福感こそが、恋愛の醍醐味なんだろう。
彼女も俺と同じくらい、幸せを感じてくれてるといいんだけど。
「どっちが俺の?」
「これ! やっぱり男の子は青でしょ?」
「なんだよその偏見」
テーブルに並んだ二つの弁当箱のうち、青いほうへと手を伸ばした。
ところが陽菜が、
「ふふっ。タダってわけにはいきませんよ、旦那?」
と言って、伸ばした俺の手をパシッと叩いた。
「今度はなんなんだよ」
「さっき言ったじゃん? お返しは私をたっぷり可愛がってくれることだって」
「前払いだったのか?」
「さあさあ、旦那は大人しくしていてくださいまし~」
陽菜が青い弁当箱の蓋を開けた。
そして箸で卵焼きを一つ摘まむと、俺の口元へ差し出した。
「あーん」
「……陽菜を可愛がるんじゃなかったのか? これじゃ俺が可愛がられてるみたいなんだけど?」
「私も知らなかったんだけど、どうやら私、尽くすほうが好きなタイプみたい! だからさ、食べさせてあげるの受け入れて? それが私への可愛がりってことで!」
「あ、うん……」
言うまでもなく、中庭には俺たち以外にも少なからず生徒がいる。
好奇と冷ややかさの混じった視線が、肌を刺した。
だが公表したからには、こういう視線も甘んじて受け入れる覚悟を決めたのだ。
それに正直、我ながら低俗だとは思うが、若干の優越感さえ覚えて、決して悪い気はしなかった。
「お、美味い」
「よかった!」
陽菜が差し出した卵焼きをそのまま口に入れた。
お世辞抜きで、俺の好きな味だった。
関東風の砂糖を効かせたものではなく、関西風の出汁が香る塩味。
「これも千尋さんにレシピ教えてもらったんだ!」
「どうりで」
卵焼きだけでなく他のおかずも、俺の好物を中心に作ってきてくれていた。
それでいて栄養バランスも考えられているのか、肉と野菜の割合も適切だった。
俺が美味しくおかずを味わっている間、陽菜も自分の弁当のおかずを口に運んだ。
さっき俺の口に触れた、その箸で。
まあ、今さら間接キスを気にする間柄でもないだろうけど。
(それにしても、やっぱり運動部だから俺と量が同じくらいだな)
一年の頃はともかく、今の俺だって一般的な男子高校生並みには食べる。
それなのに、体型には全く無駄がない。
バレー部の練習がハードなせいもあるだろうが、もしかして脂肪が胸にいくタイプなのか——なんて考えていたら。
「え、なに? おっぱい触りたい?」
無意識に向けた俺の視線に気づいたのか、陽菜がいたずらっぽい表情を浮かべた。
「さすが大輝。食欲と性欲の同時解決とは、やるね。よし、どんと来い!」
「いやだから、こんな人の多いところでそういうこと言うなって。それに、そこまで見てない」
思わずちょっとチラ見しただけなのに。
女子は視線に敏感だという話は本当だったのか。
くすくすと笑いながら、陽菜がまた箸を差し出した。
「私の体は大輝のものなんだから、いつどこでもオッケーだよ? ほら、あーん」
「陽菜の体は陽菜のものだ。以上」
そう答えてから、おかずを受け入れて食べた。
うん、やっぱり美味い。
うちのレシピだからか、どことなく馴染みがあって、懐かしくさえあった。
「えー、大輝のものだよ? 元の持ち主の私があげるって言ったんだから。いっそ念書でも書こうか?」
「そんな念書は民法的に無効です、お客様」
「えー、つまんないの~。ほら、あーん」
陽菜とこんなふうに軽口を叩き合いながら、昼食を続けた。
ただ——
「……陽菜、ここからは自分で食べるよ。俺の箸、ちょっと貸してくれないか?」
いつの間にか俺の弁当を半分以上食べていた。
全部、陽菜の手によって。
普通は、恋人同士の「あーん」なんて数回で終わるもんじゃないのか?
それに俺だけ一方的に食べさせられてるし。
「ないけど? 箸は一膳だけだよ」
「え?」
俺はもともと学食派で、マイ箸なんて持ってない。
だからこの際マイ箸を用意しようかと思って、どれを買えばいいか陽菜と話したことがある。
けど陽菜は「私が箸も用意してくるから、買わなくていい」って言ってたんだ。
「だって私が全部食べさせてあげるつもりだから」
「……」
「ほら、あーん」
うん、ちゃんとマイ箸を一膳買おう。
◇◇
「どうしたの? 弁当持ち歩いて」
琴音は美咲の姿を見て、ある考えが浮かんだ。
陽菜は一度走り出せば、ゴールに辿り着くまで——たとえ倒れようとも走り続ける。
けれど、スタートラインに立つまでが長いタイプだ。
「お弁当、忘れたみたいですね。私と一緒にどうですか?」
「え? いや、いくらなんでも教師が生徒に弁当をごちそうになるわけには~」
「大丈夫です。いつも多すぎて残したりあげたりしてますから。それより、実は相談したいことがありまして」
「相談?」
「藤森くんと陽菜についてです」
美咲がびくりと肩を震わせ、困った顔でぎこちなく答えた。
「あ、ああ~」
琴音は直感した。
やはり美咲が今回の件に少なからず関わっていると。
夏休みに道で偶然会った時、あの東京旅行の件を誤魔化したあたりからおかしかった。
「じゃ、じゃあ厚かましくもお弁当いただくとするわ。他の人には言わないでね?」
「はい。私が口が堅いことはご存じでしょう」
「は、はは、そうだね!」
美咲が琴音の顔色を窺いながら先に立った。
二人が通されたのは空いている相談室。
電気をつけて向かい合って腰を下ろした。
琴音が風呂敷を解いて弁当を差し出しながら言った。
「単刀直入にお聞きします。美咲さんは陽菜と藤森くんが恋人関係になったことを――夏休みの時点で、すでにご存じでしたよね?」




