第29話 決別の新学期②
正直、俺は半分冗談だと思っていた。
けど新学期早々、陽菜は本当に起こしに来て、朝ごはんまで作ってくれた。
彼女の料理の腕前は目覚ましく上達していて、このままなら俺を追い越しそうだった。
青は藍より出でて藍より青し、ってやつか。
とにかく陽菜と手を繋いで登校し、俺は自分のクラスの3組へ、陽菜は4組へと別れた。
教室に入るなり、案の定、クラスメイトたちの視線が一斉に俺に突き刺さる。
「よお、リア充さん」
真っ先に声をかけてきたのは、サッカー部主将の佐々木だった。
名実ともにスクールカーストの頂点。
クラスの陽キャ代表だ。
「リア充だなんて、いつの時代の言葉だよ。それにお前からは言われたくない」
「お前こそ、いつまで自称陰キャを貫くつもりだ……」
「お前は一年の頃の俺を知らないから、そんなことが言えるんだ」
かつて東京のセレブ校にいた頃は、藤森家の威光を生徒のほとんどが知っていたため、自然とスクールカーストのトップに立っていた。
それが俺にとってあまりに当然のことだった。
だがこの平凡な高校に来て、その傲慢さは粉々に打ち砕かれた。
おかげで家の七光りがなければ、カーストの頂点どころか底辺がお似合いなのだと骨身に染みて理解できた。
「とにかくそれで、あれマジか?」
佐々木は俺の言葉などお構いなしに、ヘッドロックを決める勢いで首に腕を回してきた。
「あれって?」
「本城さんと付き合ってるってやつ」
「まあ、事実だけど」
「くぅ~ 羨ましいねえ!」
他の男ならまだしも、なんで佐々木が羨ましがるんだ?
モテるこいつなら、付き合う相手なんていくらでもいるだろうに。
「でもお前、島崎さん一筋じゃなかったのか?」
「……そうだったけど、やっぱり片想いを一年以上続けると精神的にきつくてさ。そんな時に本城さんが告白してくれて、どれだけ本気なのか伝わってきたんだ」
「あ~ なんとなく分かるわ。まあ、自分が好きな人か、自分を好いてくれる人か、ってのは世紀の難題だよな。お前は後者を選んだってわけか」
「世紀の難題って、大げさすぎないか?」
今朝、登校する前に陽菜との交際をどんな風に学校へ知らせるか相談した。
彼女も言っていたように、『二番目の彼女』として付き合い始めたという事実が広まれば、色々と面倒なことになるから。
嘘だけだとどこでボロが出るか分からないので、真実と嘘を適当に混ぜて噂を流すことに決めたのだ。
「で、キスはしたのか?」
「まあ、一応」
「こいつぅ、純情そうな顔してやることはやってんな! 童貞卒業もすぐそこじゃん」
悪いけど、もう卒業してる。
――そんな言葉を、あえて口にはしなかった。
前の席の佐々木は、俺が鞄を置くのも待たずに会話を続けてくる。
こいつ、意外と恋バナ好きなのか?
そんなことを考えている最中。
「くそっ、俺の本城さんが……!」
「あんなのがタイプだったのかよ! 性格真逆じゃん!」
「島崎さんと付き合えばいいのになんで本城さんと!!」
……俺への嫉妬が混じった男子たちの声が聞こえてきた。
やはり陽菜はモテるのだという事実を、改めて感じる。
佐々木がケラケラと笑った。
「当分は、のろけ話はほどほどにな。本城さんを狙ってた連中、胃に穴が開くぞ」
「そう言われると、見せつけるようにのろけたくなるな」
俺と陽菜の間に入り込む隙なんてないという事実を、知らしめたくなる。
やはり俺は、陽菜の言う通り独占欲が結構強い方なのかもしれない。
「お前もそういうとこ性格悪いよな~」
「どういうのろけがいいか、おすすめある?」
「昼飯でも一緒に食えば?」
「それはもう予定済みだけど? 陽菜が弁当作ってくれるって言ってたし」
「こいつ、すでにのろける気満々じゃねーか!」
バシッと、佐々木がふざけて俺の肩を小突いた。
こんな平和な会話が、なかなか気に入る。
ただ、まだ俺がやるべきことは残っている。
スマホを取り出し、陽菜にラインを送った。
『やっぱり今日、ちゃんと島崎さんに別れようって伝えるよ』
『なんで? この前私がうまくやるって言ったじゃん』
『そうだけど……やっぱり、こういうのは俺が直接言うべきだと思う。何より、二人の仲があまりこじれないでほしいから』
陽菜は幼馴染として、角が立たないようにうまく話をつけると請け負っていた。
だが夏祭りの一件を見ている俺としては、正直その言葉を鵜呑みにできない。
陽菜を信じていないというより、人間である以上、こういう問題はどうしても感情的になってしまうだろうから。
『本当に別れようって言うだけにするよ。もし心配なら横で見ててもいいから』
形だけの交際だったとしても、琴音と付き合っていた最中に陽菜という別の女性と浮気をしたのは紛れもない事実だ。
中途半端ではなく、きっちりとけじめをつけるべきだ。
迷っているのか、数分、返信が来ない。
やがてメッセージが届いた。
『分かった。別に大輝を疑ってるわけじゃないから、わざわざ見張ったりはしないよ』
『うん、ありがとう』
すぐに島崎さんのトーク画面を開く。
短く二文だけ打ち込み、迷うことなく送信ボタンを押した。
『真面目な話があるんだ。今日、放課後に時間作れる?』
◇◇
例の植物園デート以来、大輝から届いた初めてのラインメッセージ。
琴音はそれを読んだ瞬間、手の震えが始めた。
真面目な話。
きっと、別れを切り出されるに決まってる。
(わ、私は……)
どうしたいの?
本当に……このまま別れたいの?
琴音の頭の中は、もうぐちゃぐちゃだった。
普段なら、一言一句も聞き漏らすまいと集中できるはずだ。
だが今日の午前中、教師の言葉は右から左へと抜けていくばかりだった。
「分からない……」
琴音がぽつりと漏らすと、教師が驚いた表情を浮かべた。
「島崎さん? 私の説明がどこか不足してましたか……?」
島崎家の令嬢には、教師たちでさえ顔色を窺う。
設立者に始まり、歴代理事長は島崎家の分家筋が務めてきた。
実質、この学校も島崎家の領域だ。
「……いえ、すみません」
「そ、そうですか」
上の空のままぼんやりしているうちに、昼休みになっていた。
クラスメイトたちが琴音の周りに集まってきた。
そして自然と机を寄せ合い、それぞれ弁当を取り出した。
「今日も島崎さんの弁当、すっごく豪華だね!」
「うちも専属シェフとかいたらいいのにな~!」
「生まれ変わっても無理でしょ」
「生まれ変わっても!?」
わいわいと騒ぐ声が、琴音にはただ耳障りだった。
普段なら一言くらい返すのに、今日はそのおしゃべりが煩わしかった。
「……ごめん、私ちょっと用事があって。別で食べるわ」
「え? あ、うん」
琴音は三段重の弁当箱を包んだ風呂敷を手に、教室を出た。
特に行き先を決めているわけではなかった。
ただ一人になりたい気分だった。
あてもなく歩いていると、中庭のほうから生徒たちがひそひそと話す声が聞こえてきた。
「ラブラブだね、あの二人」
「なんというか、見せつけてる感じ?」
「結構お似合いでいいよね~ 私も彼氏欲しい~」
生徒たちの視線の先は、中庭のピクニックテーブルだった。
琴音も思わずその方向へ視線を向けた。
「っ……」
陽菜が大輝に甲斐甲斐しく弁当を食べさせている姿が、真正面から視界に飛び込んできた。
誰が見ても、お似合いのカップルだった。
見るに堪えず、琴音は顔を背けた。
もうこの学校に、自分の居場所なんてないんじゃないか――そんなことまで考えてしまった。
背を向けて、逃げるように早足で歩き出した。
他の場所はともかく、今の中庭にだけは近づきたくなかった。
「ああ~ 弁当を家に置いてきてしまうとは」
その時、溜息まじりに独り言をこぼす教師の背中が見えた。
「本城先生」
「ん? あ、琴音ちゃん——ここでは島崎さんか」
陽菜の従姉であり、この学校の教師である美咲だった。




