第27話 それぞれの十字架
結局、花火はまともに楽しめなかった。
呆然としているうちに、いつの間にか終わっていたから。
「送っていくよ。それとも、まだ行きたいとこある?」
それでも、やるべきことはやらないと。
何より花火を期待していたのは、俺だけじゃないだろうし。
「うーん……。行きたいとこ、あるかも?」
「どこ?」
陽菜が俺の耳元で小さく囁いた。
「大輝の家! ちょっと落ち込んじゃった大輝のために、私がご奉仕してあげる」
「いや別に落ち込んでは……」
「嘘。顔に全部書いてあるよ?」
そんなに分かりやすいか。
自分じゃ、ポーカーフェイスにはそこそこ自信があるつもりなんだけど。
もしかしたら、今まで俺を観察してきた陽菜だから分かるのかもしれない。
「さっき琴音に拒絶されたのがショックだった?」
「それよりは……」
どう説明すればいいかと言葉を選んだ。
「自分自身に幻滅したというか」
「幻滅? なんで?」
「あんなに俺を上から目線で見てた人が、崩れ落ちる姿を見たら……」
あは、と陽菜が軽く笑って代弁してくれた。
「嬉しくなっちゃったんだ?」
俺は静かに頷いた。
すると陽菜が俺の頬にちゅっとキスして続けた。
「やっぱり私たち、結構似てるかも」
「どの辺が?」
「実はさっき、私も嬉しくなっちゃったんだ。私、今までずっと琴音に負けてきたばかりだったじゃない? でも唯一勝てた。大輝を好きな気持ちだけは、少なくとも琴音を圧倒したんだって」
「陽菜……」
こんな感情が綺麗で望ましいとは言えないだろう。
でも恋人だから、共に背負うことはできる。
俺一人だけの十字架ではないということだ。
「そういう意味で、今日はたっぷりご奉仕してあげるから! 大輝の弱点、私は全部知ってるんだからね?」
「はは、お手柔らかに頼むよ」
そうして俺たちは俺の家へと戻り、夜のデートを続けていった。
◇◇
一人お堂に残された琴音は、自ら拒んで地に落ちた陽菜のハンカチをぼんやりと見つめていた。
いや――持ち主は陽菜でも、差し出したのは大輝だ。
琴音はハンカチを震える手で握りしめた。
「私、一体何してるんだろう……」
陽菜の様子がおかしかったから、二人が急速に親しくなった可能性は想定していた。
いや、グループチャットで二人の写真を見た時から、確信していた。
しかし直接出くわすと、理性が働かなかった。
謝って、気持ちを告白しようという計画など、頭の中から吹き飛んでしまった。
その代わり、別の思いが頭の中を埋め尽くした。
――藤森くんは私のものなのに!
――私の友達のくせに! この泥棒猫!!
――私がいるのに、それもよりによって陽菜と浮気するわけ!?
――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
大切なおもちゃを奪われた子供のように、ただ駄々をこねるだけ。
挙句にはハンカチの意味にも気づけず、感情に身を任せて行動した。
最後の花火が大団円を飾り、夏休みの終わりを告げた。
琴音は土の上に座り込んだまま、体を震わせるだけで、何もできなかった。
(遅すぎたのかな……?)
このまま遠くから二人を見守るしかないのか?
大輝に縋り付いて泣きついたところで、大輝は果たして振り向いてくれるだろうか?
制御の効かない涙が土を濡らした。
その時だった。
茂みからガサリという音と共に、足音が聞こえた。
「藤森くん……?」
夕立の時みたいに、また来てくれたの?
琴音はすぐにその場から立ち上がり、茂みの方へ近づいた。
「あ、ごめん〜 うちだよ。戻ってこないし、全然連絡もないから探しに来た」
「……」
琴音は失望感を隠せず、露骨に深いため息をついた。
七海は琴音の様子とお堂を素早く見回した。
「上手くいかなかったみたいだね」
「……はい」
「うちでよければ聞こうか?」
琴音は小さく頷いた。
そして縁側に並んで座ると、愚痴をこぼすみたいに、お堂で見た光景を吐き出した。
「そりゃまあ、ショックだろうね。てか、その陽菜って子? あいつも只者じゃないね〜」
琴音が膝を抱え込んで尋ねた。
「……私はどうすればいいんでしょうか」
「普通なら、浮気した彼氏なんて『こっちから願い下げだ!』ってそのまま終わりっしょ。まあ、恋は新しい恋で忘れるもんだし。時間が解決してくれることだってあるしね」
「そう、なんですか……」
どうして、もっと優しく接しなかったんだろう。
どうして、素直に表現しなかったんだろう。
どうして、大輝のために何もしなかったんだろう。
後悔の波が押し寄せ、琴音を呑み込んでいく。
「琴音ちゃん、うちが今言ったのはあくまで一般論だから。大事なのは琴音ちゃんがどうしたいかっしょ。このまま諦めて、うちの弟と結婚するのも一つの手ではあるよ? 琴音ちゃんなら歓迎だし」
「私は……」
琴音はどうしても自分の気持ちを整理できなかった。
七海の言葉はまさに正論だったが、涙を止めるには力不足だった。
「分かりません……」
ここでもがいたところで、勝算はあるんだろうか?
もう取り返しがつかないほど、大輝の心は離れてしまったんじゃないか?
だからといって、簡単に忘れられるほど浅い想いではなかったはず。
だがこのまま放っておけば、ただ辛いだけなのは自明だった。
「何も分かりません……!!」
琴音は声を上げて泣き始めた。
七海が子供を見るような眼差しで琴音をなだめようとする。
だが、泣き声はかえって大きくなった。
彼女の涙を止められるのは、ただ一人だけ。
その事実に、七海も気づいた。
◇
夏休みが終わって、二学期になった。
琴音は涙の跡をメイクで隠して登校したが、憂鬱な気分はそのままだった。
教室に入ると、聞きたくない話が耳に届いた。
「ねえ見て、藤森くんと本城さん付き合ってるんだって!」
「意外とお似合いだね! てっきり島崎さんとずっと付き合うと思ってたけど〜」
「だよね〜。藤森くんがあんなに追いかけてたんだし。まあ、島崎さんは藤森くんに興味なかったってことか」
「確かに、あの島崎家のお嬢様だし、藤森くん程度じゃ物足りないってこと?」
ダンッ!
琴音は思わず立ち上がった。
椅子が後ろに跳ね、倒れるほどの勢いで。
「ど、どうしたの島崎さん?」
隣の席の女子がおずおずと尋ねた。
琴音は唇を震わせるだけで、即答できなかった。
大輝が本気で好きだってことも ——本当は、あの嘘の告白が実は嘘じゃなかったってことも——口にできなかった。
「……ちょっと急用を思い出したから」
「あ、うん、そうなんだ」
琴音はそのまま席を離れ、廊下へと出た。
2組の空気が凍りつくのも顧みず、4組へ向かった。
4組には、陽菜がいる。
琴音は足音も荒く、4組へ踏み込んだ。
周囲が「え、何?」「島崎さん?」とざわついた。
陽菜の机まで詰め寄った琴音が、険悪な表情で声をかけた。
「ちょっと話があるんだけど」
「私は話すことないけど?」
何も知らない顔ですっとぼける陽菜の態度に、琴音は拳を強く握りしめた。
「いいから来なさいよ!!」
言うなり、琴音は陽菜の手首を乱暴に掴んだ。




