第24話 波乱の夏祭り⑧
待ち合わせの時間ぴったりに、約束の場所へ到着した。
夏祭り当日の今日は「絶対に早く来ちゃダメだよ」って、陽菜に念を押されていた。
だから、家を早めに出て、道中で時間を調整しながら来た。
陽菜の姿を探して辺りをきょろきょろと見回したとき――
「大輝!」
聞き慣れた快活な声が、背後から聞こえてきた。
すぐに振り返ると、そこに俺を呼んだ声の主がいた。
高く結い上げた金髪の下で、夕闇に白く浮かぶうなじ。
そこに淡いラベンダー色の浴衣が、驚くほど清楚に映えていた。
子犬みたいに無邪気な笑顔――なのに、帯の上に乗る豊かな曲線が、否応なく視線をさらっていく。
「本当に……綺麗だね」
今まで陽菜のいろんな姿を見てきたけれど、その中でも浴衣姿は圧巻だった。
普段は断然洋服派の俺ですら、目を逸らせないほどに。
俺の言葉に、陽菜は「えへへ」と笑って腕を組んできた。
「大輝、いつもより顔赤いよ~」
「い、いや、そんなことは……」
陽菜に言われてみると、確かに顔が火照っているのが分かった。
見た目だけで陽菜と付き合い始めたわけじゃない。
けど、彼女の可愛さが魅力の一つなのも否定できない。
「こんなに照れてる大輝が見れたんだから、今日頑張って着飾った甲斐があったな!」
「そ、そうか……」
「あ、そういえば知ってる? 本来、浴衣って下着なしで着るものなんだよ」
陽菜が悪戯っぽい笑みを浮かべて、俺の腕をさらに強く抱き寄せた。
彼女の言葉に一瞬焦ったが、すぐに肌に伝わる感触で分かった。
……ちゃんと下着は着けてるって。
「あんまりそういう風に男をからかうなよ」
「ふーん、なんで? からかいすぎると私、どんなことされちゃうのかな?」
さらに蠱惑的な表情でからかってくる陽菜。
挙句には背伸びをして、俺の耳元で小さく囁いた。
「大輝のパソコンに保存されてる薄い本みたいに、どこか暗いところに連れ込まれて、浴衣を半分脱がされたままで――」
「いや、俺のパソコンいつ見たんだよ!?」
俺の不健全なデジタル資産は、見事にバレていた。
陽菜には隠し事など何一つ通用しない。
その予感は、今や確信へと変わっていた。
「大輝なら、その薄い本みたいにしてもいいんだよ?」
「いや、普通に警察のお世話になるから」
俺だって、ファンタジーと現実の区別くらいはついている。
……それでも、誰もいない野外でアレコレすることに、少し興味が湧くのは事実だ。
いやまあ、男ならファンタジーくらい夢見てもいいだろ?
「それじゃ、そろそろ行くか。人が多いからはぐれるなよ」
「うん!」
陽菜は俺の左腕を抱きしめたまま、物足りないと言わんばかりに指を絡め、恋人つなぎにしてきた。
体のあちこちが触れ合うことなど、全く気にしていない様子だった。
むしろ、絶対に離れないという決意すら感じられる。
こういう恋人らしい振る舞いは嬉しかったが、あまりにべったりくっつかれると動きづらいのも事実だった。
その上、下駄を履いているせいで、歩くペースも普段よりずっと遅かった。
「なんだか今日の陽菜は、ナマケモノみたいだな」
「そう? あ、私この前、ナマケモノが交尾するドキュメンタリーをたまたま見たんだ!」
「どういう経緯でたまたまそんなの見るんだよ」
「ユーチューブで!」
恐るべし、ユーチューブ。
「ナマケモノはね、メスが発情期にオスへ合図を送ると、オスがそれを受け取ってメスに近づいて交尾するんだって」
「……そうなんだ?」
案外、陽菜って雑学好きなのかもしれない。
もしかしたら、動物に関心があるのかもしれない。
今度、動物園デートでもしようかな、と考えた。
「でもね、ナマケモノのオスは、そのあとメスのそばから去っていくんだって」
陽菜が繋いだ手にさらに力を込めながら、言葉を続けた。
「だから私、メスのナマケモノにだけはなりたくないなって思ったんだ」
「陽菜……」
既に俺が琴音への気持ちに整理をつけたといっても、陽菜の立場からすれば不安で仕方ないだろう。
かといって、長年の幼馴染を無下に切り捨てることなど、陽菜にとっても難しいはずだ。
少なくとも、俺は陽菜のそばを離れない。
そう言おうとした――その瞬間だった。
「あ! りんご飴だ!」
彼女が俺を引っ張って屋台へと近づいていった。
こうして夏祭りを楽しもうとする彼女を見て、俺も思わず笑みがこぼれた。
◇◇
「じゃあ、うちの言う通りにするんだよ?」
新しい家庭教師――小田七海の言葉に、琴音が小さく頷いた。
やがて二人は部屋を出て、当主の居間へと向かった。
本を読んでいた麻美が二人と対面するなり、すぐに眉をひそめた。
「授業はどうなさってここへ?」
「もちろん、授業のために来たんすよ~」
七海が全く臆することなく言い返した。
母親に睨まれただけで萎縮してしまう琴音とは大違いだった。
「野外授業にしようと思って、そう伝えに来たんす」
「野外授業? なぜわざわざ外に出てやるのです? 騒がしくてまともに集中もできないでしょうに」
「逆っすよ~ うるさい場所でもちゃんと集中力を維持できないとダメじゃないすか?」
試験会場では予期せぬ状況が起きたり、雑音が聞こえたりすることもある。
そういう時に備えておかないと、本来の実力を発揮できない。
だからあえて、適度に騒がしい場所で勉強するのも役に立つ――七海はそんな理屈を展開した。
「理屈は通っていますね。ですが……」
麻美が琴音を睨みつけた。
「なんだか外出するための口実に聞こえるのは、私の気のせいかしら?」
やはり母は勘付いている。
琴音の両手が震えだす。
自分は一生、母の掌の上で踊らされるしかないのか。
そんな恐怖感さえ押し寄せてきた。
しかし、七海は逆に笑った。
「麻美さん、私は許可をもらいに来たんじゃないんすよ。野外授業をするって通告したんす」
「……通告、ですって?」
「そ~っす。それともまさか、私の教育方針が気に入らないってことですか? 麻美さん自身が頼んできたのに?」
麻美は言い返せず、拳を強く握りしめるしかなかった。
そんな母の姿を初めて見た琴音は、自然と目を丸くした。
「ま、私のやり方が気に入らないならクビにしても全然構わないっすよ~ もちろん、パパには今日のことをそのまま報告しますけどね?」
「……分かりました。娘を、どうかよろしくお願いします。ともかく七海さんは――」
麻美が声を張って言葉を継いだ。
「琴音と未来の小姑として、末永くお付き合いする間柄なのですから」
「……!?」
琴音は後頭部をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
七海が未来の小姑?
どういうことなのか、すぐには理解できなかった。
そうしてふと、麻美の言葉が蘇った。
――琴音、あなたは私とは違う。しかるべき名家のご子息と結婚することになるわ。もう向こうとも話はついているの。
その名家が、小田家?
それじゃあ、七海の弟が、麻美の目をつけているお婿さん候補?
バシッ!
呆然としている琴音の背中を、七海が強く叩いた。
「琴音ちゃんが上手くやりさえすれば、私が小姑になることはないと思うよ?」
琴音が七海の方へ顔を向けた。
すると、七海がひとつウインクしてみせた。
どういう意図で自分を助けてくれるのかは分からなかったが、琴音には少なくとも七海が悪い人には見えなかった。
(もしかしたら今回ばかりは、お母様の見る目も間違ってなかったのかも)
ただやはり、自分の結婚相手を勝手に決められたことだけは、ただただ不愉快だった。
そういう意味では七海にとっても、愉快なことではないだろうと琴音は推測した。
大切な弟の婚約相手が、他の男と絶賛交際中なのだから。
「島崎家がこの地域でどれだけ影響力が大きいかは、うちの小田家もよく知ってます。ただ――」
七海が琴音の腕を軽く掴みながら、麻美に言った。
「井の中の蛙にだけはならないことを願いますよ」




