第20話 波乱の夏祭り④
結局、流れで千尋さんも交えて、幼い頃の俺の姿をアルバムで眺める鑑賞会をして過ごした翌朝。
眠っていたが、どこからか美味しそうな匂いが漂ってきて、自然と目が覚めた。
眠い目をこすりながら寝室を出ると、台所に人の気配がした。
肩甲骨にかかる金髪が、白い夏服の背中で軽やかに揺れている。
エプロンの紐がしっかりと結ばれ、朝食を準備する後ろ姿に花を添えていた。
「朝ごはん作ってくれてるのか、陽菜?」
俺の言葉に、陽菜がすぐに振り向いた。
「うん! 昨日千尋さんと連絡先交換して、藤森家のお味噌汁のレシピを教えてもらったんだ!」
「……千尋さんがどうして藤森家の味噌汁のレシピを知ってるんだ?」
秘書の仕事に料理は含まれていないはずなんだが。
というか、いつの間に連絡先を交換したんだ?
それに、もう合鍵を十分に活用してるし。
「藤森家の専属シェフから聞き出してくれたんだって! 若様の奥様候補がご所望だと伝えたら、すぐに教えてくれたみたい!」
このままじゃ俺より藤森家の人たちと仲良くなってしまうんじゃないか?
まあ、陽菜の人懐っこさなら、不可能なことでもない気がした。
えっへん、と陽菜が得意げに言葉を続けた。
「私が言ったでしょ? 私だってちゃんとお味噌汁作れるって!」
「こんなに早く実現するとは思わなかったよ」
「私はやる時はガンガン行くタイプだから!」
実に自分のことをよく分かっている。
陽菜の行動力は、二番目の彼女として付き合うことになった日から、身にしみて知っているからな。
「それはそうと……」
俺はそっと陽菜の肩に手を置いた。
「制服エプロン、似合いすぎてるというか、男心をそそるね」
「そう? ガチガチになっちゃう?」
「……陽菜の肩、やっぱりバレー部だからガチガチだね」
「あ、逃げた! もう、大輝はこういう時、地味に臆病なんだから!」
陽菜が手に持っていた調理器具を置いた。
そして、自分の肩に置かれた俺の手をがっしりと掴むと――
「これくらいはしてくれないと?」
「いや、危ないだろ。料理中は」
「平気だよ? 大輝の手なら、いつどこに触れられても驚かないし。むしろ安心するというか」
「安心?」
「私、ちゃんと大輝の女なんだな、って」
陽菜がにっこり笑って顔を後ろに向け、俺と目を合わせた。
俺の祖父と会って以来、彼女は俺の女というフレーズがいたく気に入ったらしく、やたらと強調してくる。
俺たち二人は体の関係から始まっただけに、俺が彼女の体を求めることを愛情の証だと受け止めているようだ。
(まあ俺は、気持ちが乗らないと、体も本能的に拒絶してしまうみたいだからな)
この前、島崎さんに手を握られた時でさえそうだった。
学校で高嶺の花と呼ばれる美少女だというのに、体が芯から冷えていくような感覚に襲われた。
性欲と愛情を切り離せるほど、俺は器用な人間にはなれそうにない。
「ああっ、今他の女のこと考えてる! このこの~」
どうして分かったんだ?
エスパーか?
瞬間的に島崎さんのことを思い出したのは事実だし、ツッコむのもどうかと思って黙っていると、陽菜がいたずらっぽく言った。
「こういう時は陽菜ちゃんをどう攻略すればよいか、お教え致しまする、お代官様~」
「どういうキャラだよ、それ」
「ギャルゲーのお助けキャラ?」
漫画やラノベまでは読んだことがあっても、ギャルゲーはやったことがないから分からないが……。
「そんなキャラがそんな喋り方するのか?」
「やったことないから私も知らない!」
「知らないのかよ……」
「とにかく!」
陽菜がくるりと後ろを向きながら言葉を続けた。
「陽菜ちゃんの口から拗ねた声の代わりに『ああん♡』っていやらしい声を出させればいいの!」
「……」
結局はまたこういう展開か?
「前菜は私だったってこと?」
「食後のデザートも、たっぷりいただくつもりだからな」
「うん、部活の時間までいくらでも……!」
このマンションには色々な利点があるが、中でも防音性能の高さは特筆すべきものだ。
今日ほど、その恩恵を感じたことはなかった。
◇
バレー部の練習に行かなければならない時間になり、陽菜が再び夏服を着た。
部活に備えて髪を高い位置でポニーテールにまとめながら、彼女は言った。
「ねえ、大輝。東京から帰ってきた日、琴音と会ったでしょ?」
「あ、うん……」
これほど確信に満ちた口ぶりなら、既に相当な情報を掴んでいるはずだ。
下手に嘘をついて否定するのは得策ではなさそうだった。
別に陽菜に隠さなければならないようなことをしたわけでもないし。
「夏休み中、全く連絡をしていなかったのが、減点対象だったみたいだ。ただ通りがかりに俺を見かけたから、声をかけただけだって。別に俺に会いに来たわけじゃなくて」
「ふうん……」
陽菜が少しうつむいて、じっくりと考えているようだった。
俺は島崎さんの言葉をそのまま受け取ったが、他に隠された意味でもあるんだろうか?
幼馴染である陽菜だけが分かるような。
「他には何か、なかった?」
「そのまま俺は家に入ったよ。でも急に夕立が降ってきてさ。考えてみたら島崎さんは鞄も傘も何も持ってなさそうだったから、まさかと思ってちょっと出てみたんだ。そしたら、ずぶ濡れのまま立ち尽くしていて」
俺のせいで風邪を引かれでもしたら、寝覚めが悪い。
とにもかくにも、島崎さんは彼女かどうかはさておき 、俺の恩人ではあるし。
いや、単純に人として傘を貸すくらいは、おかしなことじゃないと思った。
「そうだったんだ。大輝はやっぱり優しいね」
「その……。怒ってるわけじゃないよな?」
陽菜が首を横に振った。
「私は言ったでしょ? 二番目の彼女でも構わないって」
「本当に?」
どこか陽菜の声には、普段の快活さが感じられない。
だからといって彼女の言う通り怒っているわけではなさそうだが、少なくとも快く思っているような表情ではなかった。
「うん。特に琴音なら仕方ないとも思うし……。ただ、大輝、一つだけ約束してほしいな」
「何でも言って」
陽菜が顔を近づけて言った。
「私のこと、絶対に見捨てないでね。二番目でもいいから。だから……約束だよ?」
「それは当然だろ。むしろ俺は陽菜に捨てられるんじゃないかって、そっちが怖いんだけど?」
「多分、ううん絶対、私のほうが何倍も大輝のこと好きだよ。大輝が私を好きなのよりも」
「そんなことは――」
彼女が俺の言葉を遮った。
「私、最近バレー部の練習中も、こんな時間があるなら大輝と一緒にいたいって……そんなことばっかり考えちゃうから」
今も本当は、部活に行きたくない。
陽菜はそう言って、スポーツバッグを手に取った。




