第19話 波乱の夏祭り③
陽菜が夏休みの宿題を無事に終わらせた。
その後、千尋さんに電話をかけ、実家にある俺のアルバムを宅配便で送るよう頼んだのだが、
「私が直接お持ちいたします」
という、予想外の答えが返ってきた。
そこまでする必要はないと言いかける俺の言葉を遮るように、一方的に電話は切られた。
電話を切って数時間後。
ピンポーン、とインターホンが鳴り、千尋さんが姿を見せた。
「ここが若様と奥様の愛の巣なんですね」
その言葉を聞いて、陽菜がにへらと、だらしなく顔を綻ばせた。
「そうですよ~ 今はまだ一緒に住めてませんけど、通い妻として頑張ってます!」
「実際、家事はほとんど俺がやってる気がするけどな」
「うっ! そ、それは私がまだ花嫁修業を受けてないからだもん! 私だってちゃんと花嫁修業さえ受ければ、立派な通い妻になれるんだから!!」
「その花嫁修業の先生って、ユーチューブだろ?」
「最近、ユーチューブほどいい先生はいないんだよ!」
それ自体はいいのだが、目を離すと宿題を放り出して見入ってしまうのが問題なんだよな。
まあ、なんだかんだで宿題を終わらせたわけだし、これ以上あえて触れないことにした。
千尋さんはアルバムの入った箱を置くと、溜息混じりに呟いた。
「はぁ……。私よりずっと年下の若様でさえ、いい人と巡り会って見せつけてくるというのに……。なんで私は……。大企業に勤めて結婚資金さえ貯めれば、男たちが言い寄ってくると思っていましたのに……っ!」
「でも、祖父に頼めば結婚相手くらい紹介してくれると思いますけど? それとも、お見合いはお嫌なんですか?」
「もう頼みましたよ! 何回か会いましたし! でも私は、普通に日本で働いている同年代のサラリーマンがいいんです! スキャンダルになりそうな超有名男性アイドルとか、海外で大きな事業をやってて日本にほとんどいない起業家とか、まだ尻の青い一回りも年下のどこかの家の跡継ぎとなんて、結婚したくないんですよ!!」
恐らく祖父なりに千尋さんを大事に思っているからこそ、ハイスペックな男を何人も紹介してあげたのだろう。
ただ千尋さんは、平凡で誠実な男性を求めているだけ。
「これはやっぱりアレですよね!? 一生仕事だけして孤独死しろってことですよね!? 嫌だ!! 私だってこんな仕事辞めて、子供と一緒に家で夫の帰りを待ちたいの!!」
うわーん、と千尋さんはとうとう幼児退行したかのように床を転げ回り始めた。
最近、仕事のストレスがかなり溜まっているのだろうか。
もしかすると、わざわざアルバムを届けに来たのは、仕事から少しでも解放されたかったからかもしれない。
「千尋さん……」
陽菜が気の毒そうな目で見つめた。
そしてスマホを取り出し、写真一枚を千尋さんに見せた。
「私と少し年が離れた兄が一人いるんですけど、今フリーなんですよ。一度会ってみます? 職業は一応、会計士です」
千尋さんがその写真を食い入るように覗き込んだ。
本城家の家族写真らしく、陽菜だけでなく美咲先生も一緒に写っていた。
「この男性が、奥様のお兄様?」
「はい、そうです。いつも私のハーゲンを勝手に食べて、週末は一日中家でゲームばっかしてるんですけど、それなりに学生時代は女子にモテてたらしいですよ?」
俺も横からちらりと写真を見た。
確かに陽菜をそのまま男にしたような、かなりのイケメンだ。
同性の目から見ても、モテそうだと思う。
千尋さんが急に正座をして、真剣な顔で言った。
「奥様。いえ、お義妹様! どうかお兄様を私に!!」
「ご自由にどうぞ。手に負えるなら」
陽菜と千尋さんが、妙な形で意気投合したような気がした。
◇◇
母である麻美に人生で初めて琴音が反抗して以来、家の中での監視が一層強まった。
用事があって少し外出する際も、必ず家の者を最低一人は連れて行かなければならない。
琴音の外出理由が嘘ではないか、確認するためだ。
「……ちょっとコンビニに寄りたいんです」
「困ります。事前の予定にはございませんでしたから。どうしてもというのであれば、お嬢様自ら麻美様にお電話をなさってください」
はあ、と琴音は長い溜息をついた。
外出許可そのものが、以前よりさらに厳しくなった。
ただの気分転換すら許されず、必ず勉強や自己啓発に関わっていなければならない。
「……私はいったい、いつになったら自由になれるのでしょうか」
「お嬢様は島崎家の令嬢であり、後継者でいらっしゃいます。次期当主となられれば、島崎家の富と名誉を以て、庶民には享受できぬ自由を謳歌できることでしょう」
この地域の大人たちはいつも琴音を、富と名誉を継ぐ者という意味で、『島崎家のお嬢様』と呼ぶ。
そしてその大人たちは自分の子供たちに、決して『島崎家のお嬢様』の機嫌を損ねてはならないと言い聞かせ、子供たちは彼女を『島崎さん』と呼ぶ。
麻美を除けば、彼女を『琴音』と呼んでくれるのは、陽菜と美咲。
そして大輝だけだった。
(全部、私のせい……?)
だが、大輝はもう『琴音』と呼んでくれない。
琴音を見ていないという意味の『島崎さん』と呼ぶようになった。
その事実が、家を出る前の父の暴言と同じくらい、琴音の胸を押し潰した。
家に戻った彼女は、ラインのトーク画面を開いた。
思い出に浸ってこれまでの会話を遡っている最中、ふと一つの事実に気づいた。
(嘘……。私の口調……)
まるで、あの母そのものではないか――。
琴音は、はっと目を見開いた。
そしてもう一度、ラインの会話を読み返してみた。
(私は、いったい……)
琴音は麻美の支配に、心を削り喘いでいた。
あろうことか、大輝との対話の中にさえ、母の影が色濃く染み付いている。
だとしたら――
(藤森くんにあんなことを……!)
琴音の目に涙が滲み始めた。
今になってようやく、陽菜の忠告が理解できた。
大輝と一緒にいたいから。大輝のためだから。……そんな大義名分を盾にする姿さえ、麻美と瓜二つだった。
ことん、と琴音のスマホが机の上に落ちた。
彼女の全身が小刻みに震える。
「あ、謝らなきゃ……!!」
せめて大輝と、これまでの自分の態度について真剣に話さなければならない。
ラインや電話では、自分の本心がうまく伝わらないかもしれない。
だから大輝と、どうにかして会わなければならない。
(でも、どうやって……?)
琴音はそこで思考が停止する。
鉄壁の監視下にあるこの家からこっそり抜け出すなど、不可能に近い。
仮にできたとしても、間違いなく発覚して麻美の警戒がさらに強まるはず。
今度こそ本当に閉じ込められるだろうと、琴音は予想した。
(島崎の外にいる人間の協力が、どうしても必要……)
それも、麻美を説得できるほどの。
そんな人がいるだろうか?
琴音の瞳が揺れる中、卓上カレンダーが視界に入った。
(一か八かだけど……)
島崎家に来る、島崎家の人間ではない人。
夏祭りの日から授業を開始する予定の家庭教師だけだ。
琴音は人生で初めて、誰かに頭を垂れる覚悟を決めた。




