第14話 決意①
祖父がマンションまで車で送ると言ってくれたが、すぐに断った。
電車で、陽菜と二人きりで帰りたかったから。
そう伝えると、陽菜はニヤニヤと笑った。
「大輝、意外と独占欲強いんだから。もし私が二番目の彼氏を作るなんて言ったら、寝込んじゃうんじゃない? 大輝は今、彼女が二人もいるくせに」
「うっ……」
返す言葉がなかった。
陽菜が提案したことだとはいえ、結局それを受け入れてしまったのは俺なのだから。
琴音との関係も、心の整理はある程度ついたが、正式な別れはまだ切り出していない。
母の不倫を責めたけれど、俺も大差ないのかもしれない。
「ごめんね、私がちょっと意地悪すぎたかな。心配しなくていいよ。私は大輝以外の男にはこれっぽっちも興味ないから。さっきお祖父様にひ孫の顔を見せるって言ったの、冗談じゃないんだよ?」
陽菜が俺の胸元に指を這わせた。
とっくに一線を越えた仲だというのに、顔が赤くなる。
「学生結婚でもしたいのか?」
「私は構わないよ? 正直、普通に考えて私の人生で大輝以上の男なんて絶対現れないもん。優しくて、勇気があって、努力家で、ちゃんと結果も出して、顔もいいし、家柄もいい。むしろ私のほうが、めちゃ得してるんだから」
俺が陽菜に対して感じていたことを、陽菜も同じように感じてくれていたのだろうか。
そこまで俺を高く評価してくれているとは思わなかった。
「あとは大輝の決心次第だよ?」
もし本当に陽菜との結婚を決めるなら、父は反対するだろうが、今も家の中で一番の発言権を持つ祖父が支持してくれるはずだ。
母方の実家も、手放しで喜ぶことはなくても、母の件がある以上、強くは出られないだろう。
(陽菜の言う通り、大事なのは俺の気持ちか)
祖父をはじめとする実家という心強い味方がいても、最終的に責任を負うのは俺自身だ。
単にお金の問題ではない。
陽菜の人生を背負う覚悟の問題だ。
「……真剣に考えてみるよ」
「私と学生結婚すること、真面目に考えてくれるんだね! 大輝ったら、どれだけ私のこと好きなのさ」
「今の陽菜は、ちょっと小憎らしいかもな」
「えーっ」
陽菜が例の小悪魔的な笑みを浮かべて、小さく囁いた。
「じゃあ、ベッドの上でたっぷり私をお仕置きしてね?」
今日はこのまま、それぞれ帰宅する予定だった。
けれど、やはり途中でラブホに入って休憩することになった。
……陽菜のこういう誘いに乗ってしまう俺も、つくづく単純だと思う。
◇
帰り道、急に電話を受けた陽菜が、お土産に『東京ばな奈』を買った。
相手は聞こえなかったが、多分家族だろう。
(そういえば、俺も陽菜の家族に挨拶しなきゃな)
陽菜は勇気を出して俺の祖父に会ってくれたのに、俺だけ勇気を出さないのは卑怯だ。
……ただ、やはり『二番目の彼女』という関係をきっちり清算してからにするべきだろう。
陽菜が平然と家族に「私、大輝の二番目の彼女なの!」なんて宣言したら、俺はその場の空気に到底耐えられない。
「じゃあ、私そろそろ行くね! いつも送ってくれてありがとう、大輝!」
ちゅっ――陽菜が軽くキスをした。
毎回こうして素直に表現してくれるから、わざわざ反対方向の陽菜の家まで送る手間も、全く苦にならない。
「後でラインするね」
「わかった! あ、私明日はバレー部の練習なんだけど、終わったらそのまま大輝の家に行ってもいい?」
「構わないけど」
お家デートがしたいのかな。
男の一人暮らしの部屋も、陽菜が来れば一気に明るくなる。
俺としても断る理由はなかった。
「じゃあ、これからも暇さえあれば大輝の家に行っていい? 家事とかも私がやってあげるから!」
「えっ? わざわざ陽菜にやってもらう必要はないんだけど……?」
一人暮らしの歴はそれほど長くはないが、ネットで調べて家事スキルもそれなりに磨いてきた。
完璧とまではいかなくても、せめて目に見える場所は普段から掃除している。
「えー、通い妻はいらないの、旦那様? 制服エプロン、見たくない?」
「……それは見たいな」
「さすが私の旦那様! 欲望に忠実だね!」
「いっそ合鍵でも渡そうか?」
「本当!? 欲しい! 休み明けたら毎朝起こしに行ってあげるから、合鍵ください!」
まるでおやつを待つ子犬のように、両手を合わせて差し出してきた。
半分冗談のつもりだったが、ここまで期待されると冗談だとは言えなくなった。
「わかった。じゃあ、明日渡すよ」
「やった! 大好き!」
陽菜が俺に抱きついた。
本来なら、陽菜が俺のために色々してくれると言うのだから、俺のほうが喜ぶべきなんだろうけどな。
「あ、そうだ……。明日、遅くても今週中には、琴音ときちんと別れるよ」
ズルズル引きずらないと言いながら、上書きデートを言い訳に先延ばしにしてきた。
ちゃんと期限を決めて、実行に移すべきだと思った。
陽菜のツテで、琴音が以前タイプだと言っていた、俳優似の他校の男子が誰なのかを突き止め、連絡先も手に入れたしな。
しかし、陽菜は意外な反応を見せた。
「うーん……。大輝がどうしても夏休み中にしたいって言うなら止めないけど、できれば二学期になってからにしない?」
「二学期に?」
「うん。理由は二つあるんだけど、まずは学校にゆっくり噂を広めたいの。 琴音との罰ゲームでの付き合いが終わって、私と大輝が夏休みに正式に付き合い始めたって。大輝だって、私たちの関係を隠すよりオープンにして、学校でもできるだけ一緒にいたいでしょ?」
「それはまあ、そうだな」
琴音は俺と付き合っていることを、あまり大っぴらにしたがらなかった。
今思えば、彼女の立場からすれば当然だ。
罰ゲームで仕方なく付き合っているだけの関係なのに、本命でもない男が、自分を彼女だと言いふらして回ったら困るだろうからな。
「変な噂が立つと、ちょっと厄介なんだよね。万が一、『二番目の彼女』から始まった関係だなんて噂されたら、私も大輝も困るでしょ? だからこういう時は、むしろ私たちのほうから先に噂を流しちゃうのがいいと思うの」
「確かにそうだな。わかった。手間をかけるけど、その辺は陽菜に任せるよ。俺より陽菜のほうが、そういうのは適任だろうし」
「手間だなんてとんでもない。むしろ私は大輝とあんなことやこんなことしたって、自慢できちゃうし!」
「……あまり詳しく話しすぎるなよ」
女子が彼氏とのあれこれを、男以上に詳しく話すことは分かっている。
それを止めることもできないし、そもそも女子同士のコミュニティだから、陽菜の円満な学校生活のためにも尊重するのが筋だろう。
ただ、俺の耳には届かないでほしいというのが本音だ。
「もう一つの理由は?」
「それは、大輝が一番目の彼女と二人きりになるのは、やっぱり焼きもち焼いちゃうから」
「でも、それは二学期になっても必要なことだろ。人前で別れよう、なんて言えるわけもないし」
「それでね、その辺も私に任せてくれないかな?」
「えっ?」
俺が戸惑いを見せると、陽菜が付け加えた。
「正直、どうせ罰ゲームで付き合ってたんだし、わざわざ大輝が直接別れを切り出す必要はないと思うんだよね。私と正式に付き合うことになれば、自動的に罰ゲームでの関係は自然消滅するわけでしょ?」
「そういうものか……?」
「そういうものだよ」
「でも、陽菜の負担にならないか?」
「私にとっては、大輝と琴音が二人きりでいるほうが嫌だもん。それに、私と琴音は幼馴染でしょ? 角が立たないようにうまく話せるよ」
「それならいいんだけど……」
俺の言葉は、琴音にはあまり響かないだろう。
俺の知る限り、琴音が心を許し、言葉を真面目に受け止める相手は陽菜だけだ。
「何から何まで、本当にごめん。いや、ありがとう」
「ううん、私の我儘を聞いてくれて、私のほうが感謝してるよ! お礼と言っちゃなんだけど、一つだけお願い聞いてくれる?」
「もちろんだ。どんなこと?」
「二学期までは、もし琴音に会うことがあっても、私と付き合ってる事実は隠してほしいの。できるだけ、そういう気配すら琴音に見せないで」
「わかった。その辺は全部陽菜に任せると言ったんだから、従うよ」
「ありがとう、大輝」
もう一度、陽菜が小さく口づけをした。
◇◇
(あ、やっと――!)
大輝の姿が琴音の視界に入った。
だが、彼はマンションから出てきたのではなく、駅の方から歩いてくるところだった。
単に外出する用事があったんだ。
琴音は安堵しつつ、思わずいつもより早足で大輝に近づいた。
「奇遇だね、藤森くん」
「あ、うん。奇遇だね、島崎さん。こんなところでどうしたの?」
「ここの近くにある――」
用意しておいたベーカリーの名前を言おうとして、琴音の体が固まった。
(え……島崎さん……?)
大輝は今年琴音と付き合い始めて一番最初にしたことが、下の名前で呼ぶことだった。
なのにどうして呼び方を変えたの?
琴音は大輝の変化が理解できなかった。
「ふ、藤森くん」
「うん?」
「どこ行ってきたの……?」
「あ、ちょっと東京まで」
琴音の脳裏に、さっきの陽菜との通話が蘇った。
――ごめん! 今東京にいるの




