ep.122 再会
大地に腰を下ろし瞑想をしていると、天から降り注ぐ暖かな光が、心を穏やかにしてくれる。昨夜のごたごたで淀んだ心も、光に払われるように清々しい気持ちだ。これで今日からまた頑張れる。暗闇の中で過ごしていたら、メンタルやられるよな。そんな状態で人が集まれば、諍いが起きるのも仕方ない。
意識の外が騒がしく、意識を内側から外側へと向けていくと―――。
「ちょっと!?さっきから無視して何様よ!!いい加減こっちを見なさい!!」
我儘姫は腰に手を当てガミガミと文句を言い続けていた。
かれこれ1時間。日の光を浴び始めてからひたすらに喚き散らす我儘姫を無視し続けているのだ。もはや元パーティーメンバーは彼女から距離を取っている。必然的に狙われるのはヘイトが高いカミルということになる。
良くもまあ、それだけ口が動くというのものだ。冒険者よりも、別の方向に適性があると思うんだが。
「俺なんかに構ってないで、カドゥスにでも愛想を振りまいとけよ」
その途端、彼女の目が血走ったように見えた。
「相手にしてもらえないからアンタに文句を言いに来てるんじゃない!!昨日、恩を着せることさえできてれば……」
未だにそんなことを言っているあたり、帝国騎士を軽んじているのだろう。冒険者とは比較にならないほどの狭き門を潜り抜けた精鋭。あの戦闘に参加していたら、感謝されるどころか邪魔者扱いされていたかもしれないというのに。
「おい」
声を掛けられ振り返れば、この宿の主、カドゥスがこちらを見下ろしていた。
カドゥスの方から近寄ってきたことに、我儘姫は上機嫌になり笑顔の仮面を瞬時に被る。猫なで声で「なんでしょう?」と淑やかを装った態度ですり寄っていく。
「お前に用はねぇんだよ。あっち行け」
顎で遠くを指し示すも、我儘姫の表情は崩れない。口元やこめかみが僅かにピクピクと反応しているが、それでもこれまでの彼女の言動を考えれば耐えていると言っても差し支えないだろう。
カミルは立ち上がりカドゥスへ視線を送った。
「手合わせしねぇか?」
「なぜ?」
「昨日のあれを見ちゃ、本当に魔法が通じないのか試してみたくなるのもわかるだろ?」
「応じてやってもいいが、ハーバー先生に何があったのか、聞かせてもらうぞ?」
「構いやしねぇぜ」
カドゥスがカミルから距離を取る。
「俺の攻撃に耐えきれたらの話だがな」
カドゥスが拳を握り構えた。ピリついた気が空気を揺さぶり、カミルに圧を与えてくる。
やはり無手か。拳闘士と呼ばれる類の人間が騎士の中にいるとはな。
騎士の多くは剣を主流とする。無骨な武器よりも、洗練された剣と盾といった装飾で着飾り、帝国の印象を良くする狙いもある為だ。強く華麗な姿を子供達に見せ、将来騎士を目指すように仕向けているのだと思われる。
虚空から黎架を形成し、圧縮魔力を流しながら中段へと構えた。
「行くぜッ!!」
ダンッ。
力強い踏み込みで大地を蹴り、カミルへと迫る。振り上げられた右手に炎を纏い、顔面目掛けて振り切られた。
左耳のイヤリングが輝き、光はカミルを包み込み衣と化す。
カドゥスの拳が光の衣を貫いた。だが、炎が光の衣の上を滑り、拳から分離してしまっている。それでも元素の力に頼らない拳がカミルへと突き進む。
カァンッ!!
甲高い音が響き、カドゥスの拳はカミルを捉えることはなかった。
咄嗟に左手で鞘をぶつけたのだ。
カドゥスは瞬時に右拳を引き戻すと、右足を軸に水刃を纏う左脚が伸びていた。
光の衣へ触れた途端、水刃は衣の上を滑り後方へと流れていく。元素の力を失った左脚が、カミルの脇腹を捉えた。
「ぐぅッ!?」
後ろによろめくと、背後から岩の槍がカミルを襲う。
だが、岩はカミルを避けるように光の衣の上を流れていく。
「やはり魔法は受け流されちまうか。だが、物理的な攻撃はその限りじゃねぇと」
カドゥスは冷静に光の衣を分析し、ずれた眼鏡をくいっと押し上げた。
「なら」
拳に火の元素が収束していく。
「武技の元素はどうなんだ?爆爪」
指の1本1本に炎が灯り、開かれた掌がカミルに迫る。
「同じことだッ!!」
ガギィィィンッ!!炎を纏う指が振り切られる前に、黎架の刃がぶち当たった。
黎架は竜や鬼の皮膚すら斬り裂く鋭利さを誇る。それが何故か、カドゥスの指は難なく受け止めていた。考えられるとするのなら、指に纏った炎だ。魔法で生み出した純粋な炎ではない。武技――精霊から授けられた御業だ。炎の他に何らかの力を有していても不思議ではない。
「はッ、武器にまではその光は覆えないってところか」
掌が黎架の刃を握り締めた。
その途端、バンッ!!バンッ!!バンッ!!バンッ!!バンッ!!音が重なるように、カドゥスの拳が弾けだした。
咄嗟に距離を取ろうと黎架を引くも、カドゥスの膂力が許さない。
至近距離から爆発がカミルを襲う。
「ぬぁぁぁぁぁぁッ!?」
始めこそ爆発に抗ったが、あまりの衝撃に柄から手が離れ、後方へと吹き飛ばされてしまった。転がった身体を四つん這いにしながら、カドゥスを見上げた。
爆発が光の衣を貫通した……?
「その顔、お前自身もその衣の特性を把握できてないのか」
嘲るように笑うカドゥスは、握り締めた黎架を前方に放り投げた。
そこでカドゥスはふと気づいた。カミルの目にまだ闘志が満ちていることに。
瞬間的な慢心。
ザクッ―――。
不意の一撃に、カドゥスの顔が痛みに歪む。
放り投げたはずの黎架が宙で向きを変え、カドゥスの腹部を貫いていた。
「これでおあいこだな」
カミルはにやりと笑った。
現役の騎士に一撃を届けた。それが何よりも嬉しかった。
一年前の自分ではきっと届かなかった。学園での修練が、未来の世界の旅路が自分の中で脈付いている。その事実が、ただただ嬉しいのだ。
成長している実感があるからこそ、人はモチベーションが維持できる。アルフから帝都への移動も、未来の世界での竜や鬼との戦闘も、常に熟練の戦士達が周りにいる環境だった。自分の成長が実感し辛い状況に、自分を卑下することが何度あっただろうか。学園での勉強の遅れもまた、カミルを不安に落とす要因でもあった。
着実に積み上げていたものが力になっている。それだけで前を向けるし、鍛錬に精が出るのだ。
「これも、理の外の力ってやつか?」
黎架を引き抜き、カミルへと歩み寄る。血を初級水属性魔法スプラで洗い流し、カミルへと手渡した。
「そうだ。足掻いた末に得た力も、悪くないだろう?」
黎架を鞘に戻すと、黒の元素と同化させ世界に溶かしていく。
「虚を突く攻撃なら使えそうではあるな」
「今のは力の一端なんだよ。機会があれば見せてやるよ。それより」
突き刺した腹部へと視線を送る。
「あんたの方こそ大丈夫か?場所は選んだつもりなんだが」
カドゥスが傷口に視線を落とし、
「こんなもん、あとで回復薬を飲んどきゃ治るさ」
カドゥスがその場で胡坐をかいた。
「それで?エルンストの何が知りたいんだ?」
ハーバー先生のこともそうだが、この半年で起きた出来事を把握しておく必要があるか。
「半年ほど前、ハーバー先生はゼーゼマンの策略で捕らえられていた。それがどうして失踪になるんだ……?」
「割と有名な話だと思ってたんだが、知らねえってことは、お前、今までどこに居やがった?」
カドゥスの訝しむ視線が突き刺さる。
宿に泊まる際、身分確認に学生証を提示していた。カミルがセルヴィナ学園の学生なのは、カドゥスに伝わっている。アルフにいるはずの人間が、何故この事実を知らないのか。カドゥスにはそれが奇妙に映ったのだろう。
「オーウェンが帝城を襲撃した日、俺もその現場にいたんだ。派手にどんぱち撃ち合いされた結果、空間に歪みが生まれて呑み込まれたんだ。気付いたら王国に居たってわけ」
「おいおい、帝都から王国までどれだけ離れてると思ってやがる」
「でも事実さ。手持ちの金も無く、仕方なく冒険者として登録して、ここまでの移動費を稼いでたんだ。実力もない学生が冒険者になってもそこまで稼げない。それで帰って来るのに半年もかかっちまった」
未来に飛ばされたという情報だけ抜いて、ざっくりとありのままを話した。言ったところで信じてもらえると思えないし、根掘り葉掘り聞かれるのも億劫だ。
「まあ、嘘をつく利点もないか。お前がエルンストを逃がしていないのであればな」
カミルは目を剥いた。
「俺がハーバー先生を逃がす?それこそ、俺に何の利点があるんだよ」
「可能性の一つを言ったまでだろう?」
「笑えねえっての……」
こいつ、刺されたのを根に持ってんじゃねえよな……?
「帝城でゼーゼマン元公爵と魔族が撃ち合った時、その余波が牢まで届いてたんだ。檻を貫き、警備をしていた騎士も巻き添えで亡くなったらしい。その時に脱獄されたようだ。オスカニア第一騎士団部隊長が逃げるエルンストを見つけ、追跡。交戦の末、帝都の外へと逃げ延びたらしい。周囲を隈なく探索したが、痕跡ひとつ見つからなかったそうだ」
「そんなことが……」
「この半年、追加の情報は何も降りてこねぇ。生死不明のまま指名手配されている。これで満足か?」
「あぁ、ありがとう」
衝撃の事実だが、ハーバー先生が逃げ延びているのなら、これは俺にとって朗報だ。帝元戦争を止める為に力を貸してもらえるかもしれない。
「待てよ。それじゃあ、セルヴィナ学園の講師は今誰が……?」
「医務員のキョウなんたらってーのが臨時で務めているはずだ。年度を跨げば新任が来るかもしれないがな」
キョウ・シンジョウ先生か……。初めて会ったのは都市外戦闘訓練の時。初めて月読が発動し、初めて人の言葉を介す魔族と遭遇したこともあり、鮮明に覚えている。とても実技を教えられそうな雰囲気ではなかったが、繋ぎとしては妥当なのかもしれない。
「帰ったら、変化にいろいろ驚かされそうだな」
それから暫くして、馬車は再びトンネルへと旅立って行く。
カドゥスとの手合わせ以降、我儘姫の態度が豹変した。移動する馬車の中、やたらと距離感が近く、鬱陶しいことこの上ない。どうせ、カドゥスに傷を負わせたことで、将来性があるとか思われたんだろうな……。
「ねえ、あんたの――貴方の名前ってなんだっけ?」
媚びるような声で話しかけられ、鳥肌がたった。
「人に名を尋ねる前に自分の名くらい名乗ったらどうだ?常識がないヤツは嫌いなんだ」
嫌いという言葉をはっきりと口にするも、どうにもこの女は都合の良い言葉しか耳に入らないらしい。
「私はミュイカ・エラ。見ての通り弓を扱う21歳よ」
「いや、聞いてないんだが……」
べらべらと喋り出すミュイカは、肩甲骨まで伸びる桃染の髪をハーフアップしている。タレ眉とつり目をしており、左目の泣きぼくろが特徴的だ。シャープな顎のラインと厚い唇で、見た目だけなら男受けは良さそうではある。そのことは本人も自覚しているようで、左耳に三日月のピアス、右耳に星型のピアスで彩り、タイトなレザー生地のトップスに、際どいラインのミニスカートを着用している。ロングブーツを合わせ、絶対領域を生み出しているあたり、自分の武器というものを理解してそうだ。
だが、残念かな、性格がそのすべてを台無しにしている。いくら見た目が良かろうと、中身が伴わないと、体目当ての男しか寄り付かないだろう。
「で?貴方の名前はなんですか?」
笑顔の圧が怖い。良くもまああれだけ罵り合った間柄なのに、手の平を返すことができるよな……。そのメンタリティだけは尊敬できるのかもしれない。相手に名乗らせてしまった以上、名前くらいは答えておくか。
「カミル・クレストだ」
「カミル君ね、良い名前じゃない」
いきなり君付けかよ……。今知ったよ。俺って、ごりごり攻めてくる女性が苦手らしい。
「セルヴィナ学園の学生なのよね?歳はいくつなの?」
「……、16だ」
助けを求めるように元パーティーメンバーに視線を送るも、三者三様に首を横に振っている。
「それじゃ、あと4年は学園に通うのね。ねえ、学園卒業したら、一緒にパーティーを組みましょうよ」
ここぞとばかりに腕を絡めて来た。腕に柔らかな感触が伝わってくるが、自分でも驚くほど冷静だった。何だかんだ、女性の胸に触れれば反応してしまうのでは?と思っていたがそうでもないらしい。女性なら誰でも良い、そう思うタイプの人間でなかったことに、心から安堵した。もし自分がリアと恋人関係にならず、童貞のままであったのなら危なかったかもしれない。
「悪いが、俺は騎士を目指してるんだ。冒険者稼業をするつもりはないよ」
もちろん嘘である。騎士団の情報は欲しいところではあるが、帝国内での拘束力が増してしまう。それでは帝元戦争を阻止する為に動き回ることができない。
「あら?そうなの?」
何故か目がより輝き出した。
「やっぱり将来有望じゃない。ここで出会ったのも何かの縁。仲良くしましょうね」
グイグイと身体を押し当ててくるが、だるいことこの上ない。反応が薄いせいか、脚を組み替え絶対領域で目を奪おうと必死だ。
「ねえ、年上の女性ってどう思う?」
次の宿まで苦痛の時を過ごし、解放されたカミルは、日に当たる2時間以外は自室に引き籠ることを決意した。
ゴンッゴンッゴンッ
真夜中に部屋の扉が激しく打ち付けられた。
やっぱり来たか。扉の前にテーブル一式を仕込んでおいて正解だったな。
嫌な予感を感じ取ったカミルは、扉の前に椅子やテーブルを積み上げ、簡易的なバリケードを作り上げていたのだ。これもリタミア村での夜這いを教訓に、扉を厳重に封印することを学んだ為だ。
「ちっ。つまんないのぉ」
部屋の外でミュイカがぼそりと呟いた声が耳に届き、カミルは肝を冷やすのだった。
最後の宿でもまた同じやり取りをし、ようやくトンネルを通過することができた。
その頃には、カミルのメンタルはすり減っていた。
「ほら見て、海よ。うわぁ~、水面がキラキラしてるわ」
この時ばかりは海に最上の感謝の念が絶えなかった。このまま彼女の意識が海に奪われ続ければいいのに……。
海風が馬車の中を駆け抜け、潮の香りが嫌な気分を吹き飛ばしてくれる。あと1日、あと1日我慢すればアルフに到着する。そのことだけが救いだった。
暫く海に意識が向いていたのに、哀しいかな意識がこちらに向いてしまった。
「カミル君はやっぱり学園特区に住んでるのよね?」
「………そうだよ」
もはや返事も御座なりである。
「それだとあんまり会えないわね」
シュンと悲しげな表情を見せるも、それが演技だとわかっている以上、感情が動くことは無い。
「冒険者なら稼がないと宿にも泊まれないだろ」
安に近寄るな、というニュアンスを込めたつもりだが、その程度で絡むのを止めるのであれば苦労はない。
「うぅ~ん。やっぱり稼ぎは必要よね。アルフに着いたら宿と依頼探しかなぁ」
カミルは密かにガッツポーズを取る。
解放される。その事実が嬉しく、晴れやかな気分となった。
俺はその内に寮に逃げ込めば、この生活ともおさらばできる。あぁ、なんて良い日だろうか。そう思うと、なんだか元気が湧いて来る。
夕刻を向かえようとする時間に、馬車は賢闘都市アルフの門を通過した。半年ぶりの景色に、感無量だった。
ようやく……、ようやく帰って来たんだ……。2週間ほどの旅路だと思っていたのに、世の中本当に何が起こるかわからない。1日1日を大切に生きていかなければならないと、強く心に刻み込んだ。
馬車を降り、1ヵ月ほど乗り合わせていた馬車仲間と別れ、それぞれの道を歩んで行く。
「カミル君、ここでお別れなんて寂しいわ」
すり寄って来るミュイカを躱し「宿は早めに取った方がいい。寝泊りするところが無くなる恐れもあるしな」さっさとどっか行け、と促した。
「そうよね。まずは宿の確保しなくちゃだね。心配してくれてありがとう。名残惜しいけど……」
か細い声のミュイカとは対照的にカミルの声は弾む。
「あぁ、気をつけてな。俺も暫く寮を空けてたから、やることはいっぱいだし、お互い頑張ろうな」
手を振り「それじゃあな」そそくさとミュイカの下から離れていく。ここでまたあーだこーだ言われたら堪らない。逃げるなら今なんだ。
「あぁ、ちょっと!?まったく、つれないんだからぁ」
遠くでそんな声が聞こえたような気がしたが、気にしないことにする。
駆け足気味に街の中を進み、曲がり角をインを攻めるように小回りで通過していくと―――。
「きゃっ!?」
短い悲鳴と胸に軽い衝撃が走った。ミュイカから解放された喜びと、懐かしいアルフの街並みに浮かれ、勢い余って年下らしき女の子とぶつかってしまったのだ。
「あ、悪い。大丈夫か?」
ぶつかった反動で後ろに倒れかけた女の子の背中に手を回し、尻餅をつくのを防いだ。
「もうっ!!いきなり飛び出して来るなんてどういうつもり!?」
撫子色の腰まで伸びた髪が揺らしながら、女の子は文句を垂れている。
あれ?この子どこかで……?
既視感があった。でも、始めて見る女の子のはず……。
ぼけーっと顔を眺めて固まるカミルに、女の子はご立腹だ。
「なぁに?あたしの言葉ちゃんと届いてる?」
カミルの顔の前で手の平を素早く左右に振り出した。
「あぁ、聞いてる「桜華ぁ~、早くおいでよぉ~。置いてっちゃうよぉ~?」」
カミルの言葉に、別の女の子の声が被さった。振り向けば、二人組の女の子が桜華と呼ばれた女の子を待っている。
桜華……?桜華……?撫子色のウェーブのかかった長い髪……。
「あッ!?」
唐突に大きな声を上げたカミルに、桜華は「わっ!?びっくりしたぁ~」両手で拳を握り、胸の前で拳を抱え込むように身を縮こませビクッと身体を跳ねさせた。
まじまじと女の子の顔を見る。
そうだよ、桜華だよ!!未来の世界で嗣桜と呼ばれた鬼の元となった女性。それが桜華だ。姿は幼いが、間違いない。面影がある。
「いったいなんなのよ……。あぁ〜、そういうこと」
桜華はひとり納得するようにカミルの顔を眺めた。
「お兄さん?ナンパするならもっとうまくやった方が良いわよ?今のやり方だと相手をびっくりさせちゃうし、下手したら怪我をさせちゃうからね」
「へっ?」
カミルはきょとんとし、目を瞬かせる。
桜華はニコッと笑顔を浮かべると、
「いくらあたしがカワイイからって、女の子に簡単に触れるのは感心しないなぁ。見知らぬ男の子に触れられるのって気持ち悪いのよ?」
そこでようやく、自分の手が彼女の背中に回されていることに気づき、慌てて手を引っ込めた。
「すまない。そんなつもりは……」
桜華はカミルの顔を覗き込むと笑顔を笑みを浮かべる。
「ま、許してあげるわよ。お兄さんの顔、好きな方だしね」
年下女子に揶揄われ、何とも言えない気持ちとなった。もし、嫌いなタイプの顔だったら、俺はどうなっていたのか――考えたくもない。
「もぉ~桜華!!置いてっちゃうわよ!!」
「ごめんごめん。今行くから置いてかないでぇ~」
横をすり抜け、大袈裟に両手を前に出しバタバタと友達の下へと駆けて行く。
その途中、一度くるりと振り返ると「縁があったらまた逢いましょう?その時はもっと良い男になっててね」弾ける笑顔を見せ、友達と共に建物の陰へと消えていく。
嬉しくもあり、哀しくもあった。
人として暮らしていれば、天真爛漫な女性になっていたんだろうな……。
鬼の姿となった桜華を思い出し、今一度、帝元戦争を起こさせちゃいけない。そう胸に刻み込んだ。
学園特区に入ると、途端に学生服姿の人が増えてきた。洗練された街並みは変わりなく都会を連想させる。視線を巡らせれば、同級生のジョアン・イスタールの父、ヨシュアが営む雑貨屋カルニ・ニギラの店舗が瞳に入ってきた。
ひどく懐かしい気持ちになり、ついつい脚を運びたくなるが、今は自分が住んでいた寮がどのように扱われているのか気になる。
また後日行けばいいか。
まっすぐ寮に向かって歩き出す。
ガラス張りのお洒落な店の連なりを通り過ぎ、街の中では古めな学生寮の前へと辿り着いた。
見た目は古いけど、中はしっかりと整備されているんだよな。
半年という時間の流れが、一瞬にして今へと繋がっていく。
「なあ、頼むって。今月きついんだよ。回復薬、もうちょっと安くしてくんね?」
「今月って……。まだ年度跨いだばかりでしょう?一体なににお金使ったんですか?」
「剣にガタがきてたからよ、新調したんだよ。2年になったから奮発したんだけどよぉ、寮代のことすっかり忘れちまっててな。あはははははははは」
「いや、笑いごとじゃないでしょ……。もう、仕様がないな。父にツケ払いの相談してあげるよ」
「ちょっと待て、値引きはしてくれねーの……?」
「ただで値引きするとでも?ゼルに値引きする利点を納得できる言葉で説明してくれたら考えるけど?」
「おい、俺の話術を舐めてもらっちゃ困る。そんなこと、できるわけねぇーだろうがッ!?」
「なら、ツケ払いでいいね?」
「……はい」
階段を降り、二人の学生が玄関から出てくる。
白銅色のツンツン頭の男子学生と鈍色の髪をきっちりと整え、服装に乱れのない男子学生と鉢合わせた。
途端に懐かしさが駆け巡る。
「ゼル……、ジョアン……」
名を呼ばれた二人は顔を見合わせ、再びカミルの顔を凝視する。
「カミル……、なのか?」
ゆっくりと頷いた。
「ああ、そうだよ。ずいぶん遅くなったけど、ようやく帰って来れた」
「おおッ!!まじかよ!?帰って来んのが遅ぇってのッ!!」
「カミル君、おかえり」
高揚したゼル・クラークに首を絞められ、ジョアン・イスタールは穏やかだ。対照的なノリの二人に迎えられ、歓喜のあまり涙が溢れ出しそうになった。
「痛い、痛いって」
ゼルの腕をタップして離すように促すも、その腕が外れることはなかった。こちらの声など届いていないみたいだ。
「お前、この髪色どうした?帝都での流行か?」
ゼルが身体を上下に振るもんだから、視界がぐるぐると回り出している。
「と、とりあえず放してくれ……。三半規管は強くないんだ……」
「うぉっと」
ゼルの腕が首から外れ、前のめりになりながらも転けるまでには至らなかった。
「たく……。この髪は事故みたいなものでさ。色素が変質しちゃったみたいなんだ。たぶん、ずっとこのまま何だと思う」
「つもる話もあるけど、とりあえず一回部屋に戻りません?」
ジョアンの提案に二人は賛同し、寮の玄関を潜っていく。
リア、やっとアルフに戻って来れたよ。これでようやくスタートラインだ。すべては今日この日から始まるんだ。今はまだ、空間の繋げ方はわからないけど、いつか絶対リアを取り戻して見せるから、それまで待っていてほしい。
感情が入り混じる中、自室へと一歩一歩近づいていき、そして―――帰るべき場所へと辿り着くのだった。




